第三話 お嬢様と担任

校長先生のスキル『鳴り止まぬ拷問』から解放された俺達は無事(?)入学式を終える事ができた。

校長先生の話しが終えると会場内にいた全員の魂が灰色から徐々に正気を取り戻して行き、何とか元通りの色である自分を取り戻す。

だがスキルの影響なのか、やけに体には疲労感は残っており、それだけは取り除かれる事はなかった。

入学式のプログラムが終えると俺達新一年生は席から立ち上がり、クラス毎に用意された先導を率いる教師の後をついていきながら会場を後にする。

学生達はぐったりと肩を竦めながら惚気足で去って行くのを見て、それがまるでゾンビのように見えてしまった。

この校長先生、もしかしてゴールドマン!? ゾンビ化しないよね!?

と、心の中で不安に思いながらも俺達のクラスが退場する番がやって来た。

既に一組、二組と数字の小さい順に退場していき、学年の最後尾である十組は学年の中でも最後の退場となる。

見送りの拍手や吹奏楽の演奏で場を盛り上げている者達はもうすぐ見送りが終わろうとすると、終わりが見えて気分が高揚したのか、一組や二組の退場の時よりも一層効果音が大きくなった気がした。

ぐったりとしているのは俺達だけじゃない。この人達もそうだ。

俺達は長時間座りっぱなしなので思いっきり体を解したい気分であるはず。

そう言った意味では体をほぐすように歩き出し、会場を先に後にする事が出来るのはありがたい事。

歩いたおかげで血行が良くなって来た気がする。

俺は少々申し訳ない気持ちを胸の内で秘めながらも、この会場内にいた人達に感謝の言葉を呟く。


綺麗な装飾でこの場を作って下さった皆様、盛大な拍手で見送ってくれた皆様、素敵な音色を届けて下さった皆様。

皆様のおかげで、一生忘れる事の無い素敵な思い出として心に刻まれる入学式となりました。光陰高校に入学してから初めて嬉しく思います。

人生で一度きりしかない高校生活を無駄に送るのではなく、後悔する事の無い充実した日々を送る事を心がけたいと思います。

皆様、本当にありがとうございました!


––––––そして校長、貴様は許さん。



     ★



会場を後にした俺達は教室に戻り、自分の席に着く。

俺の席は廊下の反対側、つまりグランド側の端から二番目の一番後ろという事で、中々いい位置なのではないかと内心ウキウキしている(隠れてスマホゲームをする予定の為)

アリスの席は俺の左隣の列の一番前にある。

名前の順で席が決められている為、アリスは必然的に前になってしまったという事だろう。

うわー、あの席じゃなくて本当に良かった!(隠れてスマホゲームをする予定の為)

ご愁傷様です! と心の中で一礼して唱えた後、俺はこの後やる事を頭の中で思い浮かばせる。

後やる事があるとすれば…………あれ、なんだっけ?

この後の予定を把握していない俺は本日の予定が記載されている紙きれ一枚をバッグから取り出し確認する。

「ええっと……、『クラス担任の指示に従って進める』、か」

どうやらこの後の進行は担任の判断に委ねられるらしい。

まぁ入学式でやる事など殆ど無いだろうし、担任が誰であろうと興味は無い。

これまで担任に目をつけられるような事はしてきていないし、関わりがあったとしても面談やちょっとした手伝いや連絡程度。

やる事が無く暇な状態の俺は体の中の空気をプシューと追い出すように机に身を預けダラーンとし、教室内を見渡す。

クラスメイト達も全員知り合いがいないのか、自分の席に大人しく座って気を誤魔化そうと予定表に目を向けている者や寝ている者、もしかして寝ているフリをしている者、こっそりとスマホをいじってゲームやらSNSを見て暇つぶしをしている者もいる。いーけないんだー、いけないんだー、セーンセイにーいっちゃーおー! と小学生の時に一度は聞いた事がある名台詞を脳内で煽りながらスマホいじっている奴に鋭い視線を向けるが、俺が直接注意する事は勿論ない。

何故なら俺もいじる予定だからだ。(悪い目)

校内での携帯電話の使用が禁止されている光陰高校は電源を切って鞄の中にしまっておくという規則がある為、制服のポケットや手にしているだけでも校則違反とみなし没収されてしまう恐れがあるのだ。

どのぐらいの期間没収されるのかは詳細不明の為、これも担任の判断に委ねられる可能性があるだろう。

担任に好印象を持たれれば即日に返してくれるかもしれないし、なんなら『今日だけ、特別だぞっ♡』と蠱惑魔的な囁きで見逃してくれるかもしれない。(美女教師前提)

中学と違い、そういった意味でも高校では担任から好印象を持たれるのはメリットがありそうだと結論づけたシノンは、早速担任がいない隙をついて鞄からスマホを取り出しゲームをしようとした。

––––––その時、前方のドアが優しく開かれる。

「は〜い! みんな〜、おはよ〜♡」

トロ〜リとしたあま〜い声が教室内に響き渡る。

元々教室内は静かな方ではあった為、嫌にもその声が全員の耳に入ってしまう。

教師は前方中心に置かれた教壇の前に立つと、教室全体を見渡しつつ学生にも大雑把に目を向ける。

初めて素性を知らぬ担任を目にした事による興味本能が際立ち、学生の視線は一斉に教師の方へと向けられる。

薄ピンク色のロングヘアにおっとりとした瞳。服装は花柄の刺繍が控えめに縫われた白のブラウスにシンプルな無地の紺のスカートを身に纏っている。

身長は160センチ程で然程背は大きくないのにも関わらず、適度に付いたふっくらとした無駄の無い脂肪、そのボディは男性の視線を釘付けにする。

主にその胸! 巨乳! 今回のようなシンプルな服装に優しく盛り上がっている大きさからしてGに違いない。(シノン調査)

言い例えるなら、ふっかふかのベッドが擬人化したかのようだった。

男としての性が無意識に反応してしまい、今すぐあのナイスボディに飛び込みたくなるような魅力を感じる。

……お嬢様。見ていますか?(哀れみの目)

「では早速だけど、軽〜く自己紹介をしたいと思いま〜す」

そんな本能をグッと堪えていると女教師は天使のような微笑みで手を胸に当て、軽く自己紹介を始めた。

「これから一年間、皆さんの担任として務める事になりました。名前を『エリーナ』と申します。みんな〜、仲良くしてね〜♡」

最後は両手を合わせおねだりするかのようなポーズを決め、エリーナ先生のあま〜い自己紹介が終わる。

その後ゆっくりと一礼した後、盛大な拍手が自然と沸き起こる。

そして、お辞儀をした時に見せる胸元の隙間が無防備になる瞬間を俺は見逃さない。

(……なるほど、ピンクか)

俺は瞳を閉じ、フッと鼻息を漏らしながら前髪を払う。

心なしか、爽やかな風が舞い起こった気がする。

え? このっ変態って? いやいや、他の男子もさりげなく姿勢を低くして覗こうとしていたよ? 僕だけ変態なわけじゃないんだよ? 本能だから仕方ないのっ☆  男の子の事情なのっ♡

そんなわけで見るべき物を見る事が出来て満足した俺は姿勢を正し、エリーナ先生に興味なさそうに視線を向ける。

「じゃあ早速だけど、みんなにも軽〜く自己紹介でもしてもらおうかしら〜」

エリーナ先生がそう告げると口をやや膨らませながら顎に人差し指を当て、目を上に向けながら何やら考えている素振りを見せる。

自己紹介のトップバッターを誰にするか考えているのだろう。

顎に当てていた指を上にピンッと向け、ひらめきの顔をしだした。

「じゃあ、出席番号順で始めたいと思いま〜す。……ええッと、一番はっと……」

エリーナ先生はA4サイズの黒のバインダーを広げ、名簿を目にしながら番号と名前を照らし合わせている。

初めての顔合わせなので顔と名前が一致していないのは当然だ。

この自己紹介も兼ねて、生徒の事をちょっとずつ知っていくつもりなのだろう。

暫くすると、エリーナ先生は名簿から顔を上げ、番号が一番の生徒に目を向ける。

このクラスで一番はというと……。

「ではアリスさん、お願いします」

ニッコリと天使のような微笑みをアリスに向け、自己紹介を促そうとする。

「は、はいっ……」

その微笑みを受け取ったアリスは控えめな感じで席を立ち上がろうとする。

後ろの席からアリスを眺めると、背中から感じられたのは普段の強気な感じではなく、頼り甲斐が無い弱々しい感じだった。

「……あ、……あっ……」

顔なしかお前は! 普段の強気な姿勢はどうした! ハッキリと喋りなさいハッキリと!

(……ん? いや待てよ。……あいつひょっとして、緊張して声が出せないのか?)

普段のアリスとは見るからに雰囲気が違う為、その原因は直ぐに合点が付いた。

アリスは大勢の人の前に出るのが苦手なのだと。

アリスからすれば自己紹介と称した公開処刑なのだと。

一番前の席にいるアリスは後ろ姿しか見えない為、本来なら後方に振り向き全員に顔を見せながら自己紹介をするのが礼儀であろう。

今まで小中と何回も自己紹介する場はあったがみんなそうしていた。

それが普通である事は本人も冷静になればそうしている筈だ。

だが、そんな普通で常識で礼儀な作法も出来ずにいるアリスは頭の中がパニック状態で真っ白になって思考の歯車が狂ってしまっている。

(……なーるほど。そういう事ね)

高校生活のスタートにおいて自己紹介というのは非常に大事だ。

極僅かな短い時間の中、たった一言でその人のクラスの立ち位置、付き合う友人、個人による勝手なランク付けが自然と行われるからだ。

極端な例を挙げれば、騒がしいウェイウェイ系の陽キャラはクラスを引っ張る中心人物、逆に大人しくツンツンとした陰キャはクラスに引っ張られる端っこの人物といえる。

数多くあるレッテルの中で最も厄介なのが『笑い者扱い』される事だ。

一度こういったレッテルを貼られてしまうと『いじり』や『ネタ』扱いされる確率が高まり、それがエスカレートしていくと最悪『いじめ』の対象にも繋がってしまう。

俺はそんな人を多く見てきたから分かる。非常に滑稽だ。

だから俺が、執事である俺が、お嬢様を、アリスを救わなければならない。


––––––ガタンッ!


教室内の後方で椅子が倒れる音が響き渡り、全員が一斉に音の出先に目を向ける。

向けられた目は感情を共有しているかのように皆、目を大きくパチクリさせ、口はポカーンと開いている。

そいつらの顔には『何やってんだ、こいつ』と書かれている。

こいつとは––––––この俺、『シノン』だ。

俺は椅子の背もたれに寄っ掛かりその勢いでバランスを崩し、そのまま仰向けで後ろに倒れている。

俺は『いってぇ〜』とボソッと呟き腰辺りをさするだけで、それ以上は何も口にしない。立ち上がろうともしない。

ただその間抜けな姿を好きなだけ拝めろと言わんばかりにじっとしている。

急な大きな音に全員びっくりしてしまい教室内は静寂に包まれている。

そんな静寂を破ったのはクラスメイトの一人。

笑いを堪える事が出来なかったのか、くすっと吹き出すとそれに便乗するように他のクラスメート達も一斉に笑い出した。

はははっ! と指差しながら爆笑する者もいれば、『だっせ!』とか『はっず!』とか『童貞、乙!』とか罵倒する者もチラホラいたが俺は気にしない。最後言った奴は後で死刑だな。

笑いの爆弾を放ったせいで教室内は静寂から一気に賑やかになり鳴りが収まらない。

––––––だが、これでいい。

俺はゆっくりと倒れた体と椅子を起き上がらせ、正しい姿勢に戻す。

「君! だ、大丈夫!? 怪我は無い!?」

クラスメイトが爆笑している中、エリーナ先生はちっとも笑う事なく、心配そうな目で俺の所まで駆け寄ってくる。

「あ、大丈夫です。すみませんでした」

手で制した後、軽く会釈する。

エリーナ先生にそう言うと、まだ心配そうにしていながらも教壇の方へと戻って行く。

俺一人の為にこれ以上時間を奪うわけにはいかない。

エリーナ先生の後ろ姿を見届けた後、今度はアリスの方へと視線を向ける。

クラスメイトが全員此方を振り向いている中、アリスは一人だけ俺の方へは体を向けず、机に俯きながらお腹を抱え体をプルプルと震わせていた。

お腹が痛いのだろうか……。いや、笑いを必死に堪えているだけだ。

その証拠に、チラッと俺に向けてきた顔はくすぐったいのを我慢しているかのように笑顔を浮かべ、目尻にはじんわりと涙が浮かんでいる。

そして言葉を発する事なく、口だけを動かし何やらメッセージを伝えてきた。

その嘲笑うかのような表情と口の動きがセットになると、何を行っているのか直ぐに分かった。


『バーカ』。


笑顔で向けられたそのたった一言は、何故か胸の辺りがじんわりと温まるような、何処かホッとしたような、そんな感覚にさせられる。

アリスと目が合ってしまった俺はスルーする事が出来ず、同じように口の動きだけで言葉を返しておく。


『うるせ、バーカ』。



     ★



俺のせいで一時的に中断してしまったアリスの自己紹介は何とか再開し始める。

完全に笑いは鳴り止んでいなかったが、エリーナ先生のパンパンと拍手音のおかげで何とか収まる。

その名残のせいか、教室内には緊張した空気は無く、気の抜けた緩い空気が張り巡らせていた。

「私の名前はアリス。桜坂中学出身で、生まれも育ちも水戸です。みなさん、これから宜しくお願い致します」

そのおかげか、アリスは最初のように緊張している様子は一切無く、リラックスした状態で淡々と自己紹介を終える。

当たり障りのないテンプレとも言えるシンプルな自己紹介に全員から拍手が送られる。

それに対しアリスは一礼した後、ホッとしたように席に着く。

俺の見間違いであればいいのだが、席に着いた後、アリスが柔らかくて温かい眼差しを俺に向けてきたような気がした。



     ★



「ごめんなさいね、アリスさん。手伝わせちゃって……」

「いえ、これくらい何ともないですよ」

急遽エリーナ先生の荷物持ちを手伝う事になってしまったアリスは、二人隣で一階奥にある倉庫室から二階職員室に歩いて向かっている。

荷物は両手で持たないといけないぐらいやや大きめな段ボール箱で、華奢な二人にとっては視界が少し遮られてしまい、ちょっとバランスを崩せば倒れてしまいそうな程だ。

なので、殆ど足元だけに目をやり進んでいる。

「本来なら先生一人でやるべきなのだろうけど、ちょっと量が多くてね。それに、今日ヒール履いてきちゃったから……」

てへぺろ☆と顔だけでドジっ子アピールするエリーナ先生。

それに対しどう返答したらいいのか分からず、アリスはとりあえず微苦笑いして『あはは』と誤魔化す。

そして心臓破りでもある階段を、一段一段神経を使いながら登って行き、ようやく目的地である二階職員室へと到着する。

「っだあー! 疲れたー!」

これくらい何ともあったアリスは、段ボールを職員室前で下ろすと同時に大きく吐息を漏らす。

大袈裟のように吐かれた吐息は大袈裟にやったのではなく、本心からだった。

華奢でかつ女性である為、中身が重い段ボールを運ぶのは容易ではないのだ。

同じくダンボールを置いたエリーナ先生も1往復しただけにも関わらず、顔には少しだけ疲労を浮かべている。

「……ていうか、こういう力仕事は男性がやるべきなのでは?」

ダンボールに訝しむ目を向けるアリス。

「それが、男性職員は入学式に設置した道具の片付けに回されちゃって他にいないのよ〜。中には手が空いている人もいたんだけど、いつの間にか帰っちゃっててさ〜」

「うわー、それもしかしたら頼まれる前に先に帰ろうとしたパターンかもですね」

うえ〜ん、と喚くエリーナ先生に対して顔を引きつらすアリス。

「それに、これは学年主任の仕事らしくて、例年そういった決まりがあるみたいなの」

「それでも荷物運びは男性が引き受けるべきだと思いますけどね。女性には大変ですよ。後、何箱あるんですか?」

「う〜んと……後6箱かな」

「え!」

「たはは……」

二人で運ぶとなると、3往復する事になる。

1往復するだけで大分体力を削られた二人の心境は重いものに変わる。

ここまで大変だとは思っていなかった二人の足は重りが付いているかのように重くなる。

足だけではなく、気分や空気までもがそうだ。

そんな二人が青ざめながらげんなりしていると、一人の好青年が姿を現す。

「……何やってるんですか? お、アリス」

癖が残っているのか、思わずお嬢様と呼び掛けてしまった。

「……シノン!」

アリスもシノンからの名前呼びに慣れていない為か、一瞬だけ躊躇ってしまった。

それでも俺の姿を見た瞬間、アリスは雨雲のように薄暗かった気分が一気に晴々とした明るい雰囲気に変わって行く。

まるで飼い主の帰りを楽しみに待っていたペットのようだ。

「直ぐに終わると言ってたから待っていたものの、遅いので様子を見にきてしまいましたよ」

「ご、ごめんね。思った以上に重労働だったもので……」

「重労働?」

「うん。この段ボール箱が想像以上に重くてね……」

アリスがダンボール箱に視線を向けるので、つられて俺もダンボール箱に視線を向けてしまう。

俺は腰を落とし、ダンボールを持ち上げようとする。

「……結構重いな。一般男性でも中々大変だぞこれ」

「でしょ!? それを女性にやらせようとするんだからおかしいよね!」

アリスは腕を組みながら怒りを顕にする。

「あ、アリスさん。お友達を待たせていたのね。ごめんなさい! 後は私が何とかするから大丈夫だよ。運んでくれてありがとね」

にっこりと笑みを見せるエリーナ先生の顔は無理をしているように感じる。

「そ、そんな! 先生一人じゃ大変ですよ!」

「ううん。元々は私に課せられた仕事だから。アリスさんが気にする事はないですよ」

「で、でもっ!」

「……それ、俺が一人でやりますよ。力仕事なら男が引き受けるべきだ」

女子トークに男子の思わぬ言葉が入り込んだせいで女子二人は驚きを隠せないでいる。

「いくら男子だからって……あのダンボール箱を一人で6箱運ぶのは相当大変よ」

6箱、ねぇ。

「そうね〜。後は先生が運ぶから、気にしなくて大丈夫ですよ」

そのヒールで、ねぇ。

「それに、シノンもさっき男性でも大変って言っていたじゃない」

「一般男性ならな」

「えっ?」

言葉の意味が理解出来ず、アリスは困惑している。やはりアホだ!

エリーナ先生も言葉の意味が理解出来ず困惑している。やだ可愛い! ダイブしていい?

「まぁとりあえず、俺に任せて下さいよ」

やや強引な言い方に、二人は任せてしまう申し訳なさと重労働を回避出来た事による幸福感の半々の気持ちで複雑であったが、紳士的な対応に惹かれてしまい何も口に出来なかった。



     ★



荷物運びの詳細を説明し終えるとシノンは颯爽と動き出す。

階段を降りて行く姿を見送り終えた後、職員室前で待機するアリスとエリーナ先生。

最初に持ってきたダンボール箱はシノンが一人で中の所定の位置まで運んでくれた。

ただ突っ立っているのも居心地が悪いので、何か世間話でもして気を落ち着かせる事にした。

「良かったですね。男の人が手伝ってくれて」

「う〜ん、そうなんだけど〜……。ちょっと悪い事しちゃったかな」

「いえ、大丈夫ですよ。シノンは意外と紳士的な部分もあるので」

「あら? もしかして、アリスさんの……彼氏、とか?」

「え!? な、なななななっ、な、なんでそうなるんですか!」

顔を真っ赤にしながらあたふたしてしまうアリス。

「シノンさんの事、よく知っているような言い方だったから、ついそういう関係なのかと思っちゃって」

「……いえ、知らないですよ……」

––––––本当に、何も。

私達の関係は、ただのお嬢様と執事の関係でしかなく、それ以上もそれ以下でも無い。

その事に、少し寂しげに感じたアリスは特に意味も無く柄一つ無い白い床に視線を向ける。

白い床には、所々掠れたような汚れが染み付いている。

「でも、仲良さそうには感じたよ? だって二人で帰ろうとしているぐらいだもの。仲良く無いわけがないわ」

「……ええ。まぁ……」

それも、護衛する目的があっての事。

シノンは割と責任感が強い方なので、責務は全うするのだろう。

「シノン君は見た目も中身も紳士的なんだね。何だか女の子にモテそうだな〜。アリスさん、良いお友達に恵まれて良かったですね!」

「そ、そんな。お友達だなんて……っ」

「えっ? お友達じゃないの?」

「ああっ! いや! なんていうか……そのぉ……言い辛い関係というか……」

「…………」

人差し指同士でチョンチョンと合わせながら視線をあちこちに泳がせているアリスに対し、エリーナ先生は唖然としてしまう。

(…………ま、まさか……。……二人は…………体だけの関係ッ!?)

彼氏でもない。友達でもない。でも仲が良い。二人で帰る。言い辛い関係。

これらのピースを掛け合わせた結果、体だけの関係と結論に至ったエリーナ先生は頭の中が昇天してしまう。

(……そ、そんなっ……。二人がそんなドロドロとした関係だったなんてっ……!)

「先生?」

(ふ、二人の担任として、私がしっかりしないと!)

本来なら二人の事情に割って入るのは些か無礼ではあるのだが、今の世の中はハメを外した性的問題が多発している為、情報を得た以上みすみすと見逃すわけにはいかないのが担任としての責務なのだろう。

二人の間で起きた問題であっても、理不尽に火の粉が振り被ってくるのが教員というものだからだ。

それが自分の受け持つ生徒であれば尚更の事。

エリーナ先生が100%悪く無いとは言い切らせてくれないのが非常に厄介なモンスターペアレンツなのだ。

「アリスさん」

「は、はいっ」

急に名前を呼ばれたと思ったら、両方をガシッと掴まれギョッと困惑するアリス。

目の前で向けられるエリーナ先生の目つきは真剣そのものだった。

「もし困った事があったら遠慮なく聞いてね。いつでも相談に乗るから」

「え? あ、はい……?」

(よし、これでアリスさんとは今後自然に相談には乗れるわ。後は……シノン君ね)

顎に手を当て、考える仕草をするエリーナ先生。

(いやでも、いきなり二人の相談に乗ろうとするのは勘付かれそうで危険ね。……となると、シノン君は陰で様子を見るのが適切ね)

一人でうんうんと頷き、納得し始める。

(アリスさん。シノン君。……これから貴方達の事、担任としてしっかりと監視させていただきますからね!)

エリーナ先生が内心強く決意すると、アリスとシノンの気持ちが珍しくシンクロした。


「……なんか寒気がする」

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