カッター〜無価値な自身への報酬

ぱつまな

始まり そして 終わり

私は血を舐めとる。自分の腕に滲み出た鮮血を。一滴もこぼさないように、丁寧に。若干の生温さを舌で感じながら何回も綺麗に舐めとっていく。私はこうすることで生きている快感を見出だすことが出来るのだ。


私はこうして自分をなだめる方法をつい最近思い付いた。きっかけは些細なことだが、ちょっとした自分の失敗が許せなかったからだ。私は幾度と無く他人に迷惑をかけて生きてきた。その事実が許せなかった。そしてそんな自分を罰したいと思った。


罰する方法は幾らか思い付いた。自分で自分を殴ったり、責め立てたり。ただここで最も重要なのは、反省を次に繋げ二度と同じミスをしないことであろうと思った。それに責め立てたりしても何も自分に対して生産性もなく誰の利益にもならない。寧ろ所属する社会に尽くし、利益を生産しなければ生きている意味はない。そう思いを巡らせていた。何か誰にも迷惑をかけず、二度と失敗しないように少し反省させ、自分に痛い思いをさせるものはないか。

[あった。]私は気づいてしまった。そう思い付いた瞬間、ふと

近くにあった刃物を手にし肌をスクラッチをするかのように引っ掻いた。

少々の痛みがゆっくり脳に伝わってきた。何だか心地よい。もう少し奧まで引っ掻いても大丈夫だろうと思い、次はゆっくり刃物の腹を当て、肌をなぞる。普通なら血が出てもおかしくない強さだが血はでない。肌が少し丈夫なのだろう。

しかしながら怖くてこれ以上は刃物で腕を傷つけることはできない。臆病さと、自制心が相絡まって心に宇津巻く。

私はこんなときどうすればいいのか分からなかった。ただ93年で砲長を罰したことや三国志で泣いて馬謖を切るなどの事柄を思いだし。こう決心する。

[他人よりも自分には人一倍厳しくしなければ。]

そして若干のはこぼれした刃物は一瞬の鋭い感覚と共に私の腕を少し切り裂いた。

プツリプツリと血が出てくる。

[やった。成功だ。]

達成感が脳を支配する。ドーパミンが放出され快感を覚えてしまったのか、私はもう一度別の箇所を切った。

血はやはり出てくる。

そこにそっと口を当てると血の鉄くさい独特の味がした。唇を噛んで出す血よりも赤く綺麗な色をした血を少しずつ舐めとった。不覚にも美味しいと思ってしまった。しまった。脳が味をしめてしまったのか?ただ、まあ此は此で良い。新たな趣味嗜好が出来上がったのだから。

傷は浅く、数日で消えていった。後になって考えると、生命が宇宙であるなら私のしたことは、他人を傷つけていることに繋がっているのではないかと感じた。ただもしそうなのであれば、誰かが気づき、誰かが認識したところで始まる。誰も気付いていないことにどうして他人を傷つけることになるだろうか。そう思い直した。そしてこう決意する。

[それならば気付かれないようこっそりと切ろう]と。


実際、私は切ることがそんなに悪いとは思っていなかった。寧ろ切ることで自分の罪悪感を再認識し、さらに血を舐めとることで幸福感まで感じられるなら、誰がこの行為を止められようかと思う。人には何事もなかったかのようにいつも通り接し、他人のためだけに尽くすことができればそれでいいのだ。恩返しをし抜くのだ。こう新たな決意まで生まれた。


果たしてこの私の行為は世間ではしない方がいいと捉えられているが本当にそうなのだろうか。つまるところ、こうすることで幸福感を生み出せるならそれでよいのではないか。

私は別に病んでもいないし、その行為を人に知ってもらい心配してもらいたいような寂しがり屋でもない。ただ純粋に自分に厳しくしようとした結果なだけである。こんな私を誰が止めることができようか。そしてあなたはどう捉えただろうか。


私はこの極端かもしれないが自分の例を通して伝えたいことがあった。それは、回りでは好ましくないとされている行為も誰かにとっては幸せとなりうることもあると言うことだ。集団行動を好まず一人が好きな子だっていれば、何かしらの欠点のように感じられるものを持っている子もいる。これらは本来、今、世界が提案している個性として慈しまれるべきなのに、現実は違う。会社にしかり、学校にしかり求められるものはある程度統制がとりやすいような相手側にとって都合のよい個性である。従順な人間しか必要とせず、何かに異議を唱えたものは社会から排除される。このおかしな現状を気づいている人は何人いるだろうか。


私は、自他共の幸福、絶対的幸福を根幹において行動できるなら必然とそこに向かうまでの過程も決まってくるし、やるべきことも明確になると思う。そうした人間側の思想ひとつひとつがあれば、核兵器などのようにまるで子供が車を暴走させるかのように、愚かな行動には繋がらないだろうと考える。科学技術を扱う人間側に全て元凶があるのだ。

昭和の時代が良かったとか科学技術の発展が人間を駄目にしたとかは結果としての現象なのであって、その根本的な背景には人間がいる。技術にまかせて勝手に思考も行動も衰退していった人間は私を含めてまだことの本質が見えていない。


その本質を探すために限りある人生で、模索し、貢献する。

それこそが思想が真に求められる理由であるのではないだろうか。


この例はフィクションであると言いたい。

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カッター〜無価値な自身への報酬 ぱつまな @Patu_Mana

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