第二章 あと一回

しゅうもっとお尻を上げて見せて。

君の大事な所をよく見せて」


 水森さんがオレに、あの少し掠れたセクシーな声で命令する。

オレは言われた通りに、彼の目の前で思い切り恥ずかしいポーズをとっている。


「興奮してるんだ。君はとってもイヤラシイ子だね。まだ触ってもいないのにこんなにして…」


 そう言うと水森さんはオレのヒップに口付けた。湿った谷間を舌が遡り、早くも反応しているオレのJr.を口に含むと身体に電気が走ってオレは仰け反った。甘ったるい疼きが沸き起こり、オレは水森さんの口の中で果てていた。


「水森さん!」


 彼の名前を叫んでオレは飛び起きた。呼吸が荒い。そして下肢の不快感。


「あー…やっちゃった…」


 落ち込みながら時計に目をやると、既に9時。寝過ごした。15分後には電車に乗ってないと水森さんのアトリエに間に合わない。超高速で下着を変えて歯を磨き、9時15分には電車に飛び乗っていた。


 あんな夢を見て水森さんをオカズにした。何時もは楽しみな土曜日なのに、今日は何だか後ろめたい。あの声に命令されながら、オレはちゃんと仕事が出来るだろうか。





「いらっしゃい。寒かったろう、中入って」


 当然、何も知らない水森さんは、いつもの様ににこやかにオレをアトリエへと招き入れた。

 慣れて来た筈なのに、今日は初めてここに来た時よりもぎこちない。


「何だか今日は緊張してるのかな?」


「え、いやっ…別に」


「肩に力入ってる。リラックス」


 裸になったオレの肩を、水森さんが掴んできた。素肌に水森さんの温もりを直に感じる。こんなに彼を意識したのは初めてだ。

 オレは何て罪作りな夢を見てしまったんだろう。

なんか息苦しい。


「伊東君は、下の名前は愁って言うん だろう?」


「えっ?」


 同じ声だった。夢の中でオレの名前を呼んだ彼の声は今朝からずっと耳に残ったままだ。

 そんなふうに呼ばないでくれよ。


「寒いかい?耳赤いよ」


 とっさに耳に手をやった。恥ずかしかった。オレしか知らない夢を悟られそうで焦ってしまう。


「本当に、今日はどうしたの?いつもみたいにお喋りは無し?」


「いやっ、そうじゃ無くて…っ」


 そんな会話を交わしながらも水森さんの目はオレをずっと捉えている。

鉛筆の音が、まるでオレの肌を愛撫しているように聞こえてしまう。


 最初は十五秒間クロッキーから始まるのが水森さんのルーティン。

オレが十五秒毎に好きに動いてそれを水森さんが素早く次々に写し取っていく。

 今日のオレの動きは多分とても消極的だ。オレは水森さんから背を向けて屈伸するようなポージングを取った。


「あ、もう一つあった」


 ふいに水森さんの声。オレは焦って素っ頓狂な声を出していた。


「な、何がですか?」


「ホクロ。自分じゃわからないだろうけど、鎖骨の真ん中とお尻の谷間が始まる所。小さいのがね」


 そうなんだ。

今更だけど、オレは自分でも見られない場所を水森さんに曝け出している。

そう思ったら、もうこの場に立っていられなかった。


「…オレ、今日、調子悪くて。

ごめんなさい」


 蹲み込んだオレに水森さんが優しくブランケットを掛けてくれた。


「大丈夫かい?今日入って来た時から何だか調子悪そうだった。良いんだよ、無理はしないほうがいい」


 本当は今すぐにでも、この場から逃げ去りたい。なのに今オレは裸のままだ。勃ち上がりかけてた物を早く静める事で頭はいっぱいだった。


「すいません、後一回しかないのに」


「後一回あって良かった」


 水森さんは、プロ意識の無いオレに、優しい言葉を掛けてくれた。

そう、後一回しかないのに。

とことん自分が情けないと思った。


 そもそも、この感情は何だろう?

ただセックスへの興味?風が吹いても勃ってしまうお年頃のせい?

それともオレはあの声に恋をしてるのか?セクシーな声なら水森さんじゃ無くても良かったのかな。

 水森さんのアトリエから帰る道々考えた。


「こんなオレって何だろう?」


そしてまた雪。

何度これが今年最後だと思うんだろう。




 次の土曜日が来るまで何だか長かった。待ち遠しいと言うより寧ろ、怖かった。

 そして答えが出ないまま、とうとう金曜日を迎えてしまった。

 悶々とした気持ちで通りかかった職員室から何と偶然にも水森さんが出てくるのが見えた。

 オレは咄嗟に階段の陰に隠れてしまった。

 何しに来たんだ?オレの事じゃないよな。まさかね。バイト生に欲情されたのでモデルをお断りします。とか?

そんな事はない筈だ。

 水森さんは、職員室から原田教授と連れ立って外に出て来た。


「そんな訳で先輩

宜しくお願いします」


「ああそうか、それじゃあ仕方ないね。当分バイトの募集は取り下げとくよ。で、何処に移るんだって?」


「軽井沢です。空気も良いし、身体のことを思えばここに居るよりはと」


「君も大変だなあ水森。

大事にな」


「有難うございます、それじゃあ」


 えっ?今なんて?


 隠れているオレに気付くことなく、その脇を水森さんが去って行く。


 水森さんは病気なのか?

それで急に軽井沢に静養しに行くって事?だからバイトも後一回で切り上げた。

 そう言うことなのか?

校舎を出て行く水森さんの後ろ姿を見送りながら、オレは呆然となっていた。

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