ジンベイザメと会議録

 翌朝、ホテルを出発した3人は再びレンタカーを走らせていた。向かった先はちゅら海水族館。階を跨ぐ巨大な水槽で飼育されるジンベイザメや、熱帯魚やサンゴ礁など沖縄ならではの生き物が見られることから県内でも屈指の人気観光スポットだ。

  サンゴ礁が並ぶエリアを抜け、順路に沿って下っていくとかの有名な巨大水槽が目に入った。広々とした水槽内を、ジンベイザメやマンタが優雅に行き交っている。3人はスマホを構え、何とかベストショットを撮ろうと苦心した。あれから社用携帯に連絡が入ることはなく、美味しい食事とホテルでリラックスしたことも相まって、由香里の鬱屈とした気持ちはすっかり消え去っていた。


「あ、見て! 今から餌やり始まるみたい!」


 詩織が指し示した水槽の先で、係員がマイクを持ってアナウンスを始めていた。


「さぁ皆様ご注目ください! 水槽の上から餌が投げ込まれ、マンタとジンベイザメが直立の姿勢になって食事をする、世にも珍しい光景が見られます!」


 そう聞くや否や、誰もがそのレアな瞬間をフィルムに収めようといそいそとカメラやスマホを構え始めた。アマチュアカメラマン達の熱気が会場を包み込む中、係員がカウントダウンを始める。3……2……。

 1、の合図があるのと同時に鞄から愛想のない着信音が鳴り響き、由香里は思わず水槽から視線を外した。次の瞬間、周囲からおおっという歓声が上がり、慌ただしくシャッターを切る音があちこちで聞こえた。どうやら餌が投げ込まれた瞬間を見逃したらしい。由香里はそれを惜しいと思う間もなく水槽から離れ、急いで社用携帯を取り出した。


「……もしもし!?」


『あ、東さん? 原田です。すいません連日……。あの、怒ってますか?』


 連絡してきたのはまたしても原田だ。旅行の邪魔をされたことで怒鳴られたと思ったのか、いつになく声がビクついている。


「ううん、違うの。周りがうるさいから声が大きくなっちゃっただけ。で? 今度はどうしたの?」由香里は努めて冷静さを取り戻して尋ねた。


『あ、それが……。東さんが作った先週の会議結果報告書なんすけど、内容に誤りがあったらしいんすよ。それで差し替えの必要があるらしくて』


「そうなの? でもそのデータなら共有フォルダに保存してたはずだけど」


『それが課長、探しても出てこないから東さんに保存してる場所聞けって言うんすよ。東さんが出勤してからじゃダメなんすかって言ったんすけど、担当者に聞けばすぐわかるんだから後回しにしない方がいいとか言って……。あの人、夏休みの意味わかってるんすかね?』


 休み中の人間にたびたび連絡させられ、さすがに原田もうんざりしているようだ。由香里は自分よりも原田の方が気の毒になってきた。


「……確か、共有フォルダの上の方だったと思うんだけど、『営業課内会議』っていう名前のフォルダがあったでしょ? そこに年度ごとに保存してあるから、今年のフォルダを見ればわかると思う」


『了解っす。課長に言っときます。すいませんホントに。もうこれっきりにしますんで……」


 電話口の向こうで原田が平身低頭している姿が目に浮かぶ。由香里は電話を耳から離しながら、またしてももやもやとした気持ちが湧き上がってくるのを感じた。


「由香里、大丈夫? また会社から電話?」


 いつの間にか餌やりが終わっていたらしく、詩織と菜摘が心配そうな顔で近づいてきた。


「うん……。会議結果報告に記載ミスがあったらしくて、データどこにあるのかって聞かれた」


「会議結果? それ急ぎじゃないよね? なのにわざわざ電話してきたの?」菜摘が顔をしかめた。


「うん……。担当者に聞いたらすぐわかるって課長が言ったらしくて」


「何それ? わざわざそんなことで休み中に連絡してくんなっての!」


 菜摘が憤慨したように言った。由香里も去年までなら同じように考えただろう。だが今は、不在中の状況を目の当たりにしたことでまたしても後ろめたさが生じている。


「……何か嫌だね。旅行中なのに電話ばっかりかかってきて。これじゃ由香里、全然仕事から離れられないじゃん」菜摘がため息をついた。


「でも、会社からの連絡じゃ無視できなくない? 後で文句言われても嫌だし……」


 菜摘と詩織は自分のことのように気の毒がっている。由香里はだんだん申し訳ない気持ちになっていった。せっかくの旅行なのに2人にまで仕事のことを思い出させてしまっている。これならいっそ自分は来ない方がよかったんじゃないだろうか。

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