もう、大丈夫だから…

ここみさん

もう、大丈夫だから…

朝、涼を含んだ風が窓から入って、寝ぼけまなこの私を撫でる

早起きにはもう慣れたものだ。寝坊ばっかりして、町の人たちに迷惑をかけてた私にしてはだいぶ頑張っている方だと思う

井戸の水で顔を洗い普段着に着替え、黒い髪を梳かしてお気に入りのリボンをつける。鏡にはちゃんと、ウサギの耳みたいで似合っている、と言われた私が写っている

戸棚から、前の日から用意していたサラダとサンドイッチを取り出す。未だにトマトが苦手で、トマトが食卓に並ぶことは減ったが、それでもなんとか栄養バランスを意識した食事を心がける。昔の私からは想像できない進歩だ。水とパンさえあれば生きていける、と豪語し軽く説教されてた日が懐かしい

「別に間違ったことは言ってないと思うんだけどな…」

ツッコミが返ってきそうな独り言だけど、勿論返ってくるはずもなく、私の独り言は虚空に消えていく

「はぁ、最近独り言が増えてきたな…」

朝食を終えると仕事の準備に取り掛かる。と言っても、自営業で自由気ままに経営している魔女のアトリエだ、看板を掲げて注文を受けた商品を梱包するくらいしかやることはない

「掃除…昨日は私がやったし、今日はいいかな」

カウンターで頬杖を突きながら客が来るのを待つ。この開店したばかりで、まだ人の来ない退屈な時間にも段々慣れてきた、前は魔法の勉強や練習に付き合っていたため、ゆっくりなんかしていられなかったからね

退屈な時間が長ければ長いほど、私は一人だ、という意識が強くなっていく。ポッカリ空いているのは時間だけでなく、私の心もだ

「おぉ、私なんだか詩人っぽい。魔女兼作家というのもありかもしれないわね」

そう言って誤魔化しながら、忙しくなる時間まで待った

「いらっしゃいませ、傷薬が四点ですね」

「こちら、注文いただいた指輪です」

「茶葉のブレンド一袋ですね」

太陽が真上に近づけば近づくほど、アトリエが活気づいてくる。商品を買いに来た客や、注文しに来た客、注文したものを受け取りに来た客など多種多様。魔法を使ってそれなりに戦えることから、町の防衛の依頼なんかも来ている

忙しいのは良いことだ。変なことを考えなくて済むから

前はここまで忙しくなかったのに、そんなことすら考えないで済むから

正午を過ぎると一旦お昼の休憩に入る

「お腹すいたぁ。今日のお昼なにぃ?」

だらしなく椅子に凭れかかりながら、大きな声でアトリエのキッチンのほうに向かって声を出した

「…そうだった、私が自分で用意しなくちゃなんだ」

昨夜のシチューを温めて、パンを浸しながら食べる。不味くはないが味気ない

「おかしいなぁ、昔は味気なくても別に問題なく食べれたのに。舌が肥えたのかな、まぁそれは儲かっている証拠かな」

お昼を済ませると、少し休んでからアトリエを再開、普段ならその流れなのだが今日は違う

看板を下げてクローゼットの中から余所行きの服を取り出した。普段着ているような白い服ではなく、落ち着いた黒を基調にした色の服だ

鏡の前で何度も身だしなみを確認する。何度も何度も、一応辛うじで女の子なんだから

アトリエを出て、道行く人に愛想を振りまきながらどんどん進んでいく。大丈夫、私一人でもちゃんと街に溶け込めている

進んでいくにつれ、人の通りは少なくなっていき、周りの風景はどんどん寂しいものに変わっていく。だけど私には、その寂しさがどこか愛おしく感じられた

数十分歩いたが、足取りはどんどん軽くなっていく

久しぶりに会える、待っててね

「ハァハァ、やっとついた」

いつの間にか小走りになっていた私は、なんとか息を整えながら目的地の門をくぐった

そこは、この町唯一の霊園だ

「あら、ノアさん」

私を呼ぶ声が霊園の一角から聞こえた

「おばさん、お久しぶりです」

「久しぶりね。アトリエの評判は聞いているわ、元気そうで何よりだわ」

これを皮肉と感じてしまうのは、私の性根が腐っているからなのだろうか

「おばさんも、その、お元気そうで…」

何とか言葉を紡ごうとしても言葉が出てこない

自分の息子を亡くした母親に、その息子を信じて預けてもらった私がなんて声をかければいいのだろう

「いいのよ、無理しなくて。あの子が自分の生きる道を走った結果なんだから、あなたが気負う必要も、私に気を遣う必要もないわ。カナタが亡くなった日にもそう言ったはずよ」

全てを見透かしたような目で微笑む

「それでも、結局私は…」

「それじゃあ私はもう帰るわね」

私の言葉をさえぎって、枯れた花や水の入っている桶を持って歩き出した

すれ違い、数歩歩いたあたりで足音が止まるのが分かった

「私がいたんじゃ話せないこともたくさんあるでしょ。私は私の思い出、あなたはあなたの思い出を聞かせて上げましょ」

私は、おばさんが霊園から出て行くまで一歩も動けなかった

足音が完全に聞こえなくなってから、私は彼のお墓の前まで来た

「……久しぶりだね、カナタ。師匠が来たわよ」

墓石相手だ、勿論答えはない

「最近はさ、ちゃんと早起きできてるんだよ。前はいっつもカナタに起こされてたわよね、アトリエの準備があるのにいつまで寝ているんだってね。全く、女の子の寝室にまでズカズカ入ってきて、とんでもない弟子ができたと思ったよ」

勿論答えはない

「ご飯もしっかり栄養のことを考えて、カナタが作ってくれたご飯を真似しているんだ、今日の朝のサンドイッチなんてなかなかうまくできたのよ、振舞いたいくらい。パンと水だけあれば十分とか言ってた私がだよ。トマトはまだ苦手だけど、いつかはちゃんと食べられるようになるから」

答えはない

「身だしなみも気を遣っているの、このリボンだってウサギみたいで似合っているって褒めてくれたから、毎日可愛くなれるように髪を梳かしてつけているんだ。まだ髪の手入れはカナタにやってもらった方が綺麗だけど」

答えない

「アトリエも軌道に乗って大忙しで、朝から晩まで働き詰めよ。こんなに忙しいと、魔法の勉強や練習に付き合えなかったわね、今思うとそんなに繁盛してない時期と弟子入りの時期が重なって正解だったよ」

答えるわけがない、だってカナタは死んでいるのだから。だけど感情がどんどん押し寄せて、喋るのが苦手な口からどんどん言葉があふれてくる

「今日だって本当に忙しくて、自分のお昼ご飯を用意するのもやっとだったんだよ。もう、なんでこんな大変な時にいないの、絶対おかしいよ。普段はグチグチ私の生活に口を出して、早起きしろだの、女の子なんだから身だしなみを整えろだの、服を脱ぎ散らかすなだの、食器くらい片付けろだの、お前のアトリエなんだから掃除くらいしろだの…弟子のくせに可愛くなかったわよね」

言葉と共に涙があふれてくる

何度も何度も涙をぬぐい、しゃくり声で話しかける

「本当によく言われたわよね、どっちが弟子でどっちが師匠なのかわからないって。一人暮らしになって自分の駄目さがよくわかった…でもね、最近はちゃんとしてるから。ほら見て、この格好だってカナタには信じられないだろうけど、私一人で何度も鏡を見て整えたんだよ。少し走ったから乱れているところはあるかもだけど」

その場で体全体を見せるように一回転する

「ね、ちょっとずつだけどちゃんとしているでしょ。だからね、安心していいからね、なんなら君を忘れている時間が長くなったくらいだよ。だからね…静かに眠って…」

そこまで言って、感情が爆発した

私はその場でみっともなく大声をあげて泣き出した

「いやだ…やだよぉ、私ひとりじゃ何もできないよぉ。まだ私にはカナタが必要だし、カナタに教えたいことだってたくさんあるんだよ、ずっといてよ。忘れるなんてできるわけないよ、アトリエの隅々にまでカナタとの思い出があるんだから、一秒だって忘れられないよ」

その後、私はひたすら泣いた、涙が出なくなるまで泣いた。一頻り泣いた後「また来るね」と、コツンと額を墓石にあてた

ねぇ、もし死後の魂なんてものがあるのなら、カナタ、まだもうちょっとだけ残っていて。師匠の我儘を散々聞いてもううんざりだと思うけど、これで最後だから、もう我儘言って困らせたりしないから

「私を一人にしないで」

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もう、大丈夫だから… ここみさん @kokomi3

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