四日目 晴れ 【展望】

四日目 晴れ 気温ちょうどよい 湿度いい感じ


 見慣れた住宅街を抜け、大通りを渡って歓楽街の高層建築物の合間を征く。普段は走行しない公道は、地図も持たない碧の前にまるで迷路のように立ちふさがっていた。朝九時過ぎに目覚めた碧の本日の目的地は、学校の最寄りよりも数駅先にある小さな山である。

 友人らとの会話で、世界が滅亡したらやりたいことなんて話題は、中身のない話の代表格にあった。碧が頻繁にあげたのは、線路を歩いてみたいだとか、普段なら立入禁止のところへ踏み入ってみたいだとか、綺麗な景色を見に行きたいだとか。その中で一番の醍醐味ともいえる絶景の展望を、今日は果たそうとしているのである。

 学校指定の赤いジャージを着て分厚い袖を捲り、片手にはスマートフォンを所持している。違法行為だとは知っているが、来たこともない道を走るには無知は危険すぎる。そもそも最早、犯罪を取り締まる警察など存在しないといえば、そうなのだけれども。

 ながら運転に衝突する歩行者もいなければ走行車もいない公道は、転倒でもしない限りは交通事故の危険性など無に等しい唯一の懸念をあげるのならば、負傷した際に傷の容態を診てくれる人が居ないという点か。足を折ったら最悪は野垂れ死にの運命だろう。

 注意しつつもペダルを漕ぐ碧は、先日の雨により濡れた地面に足を取られ、その度に横転の可能性に冷や汗が流れた。



 四季において碧が最も好んでいるのは、幼少の頃から変わらず春だった。鮮やかな桜花爛漫は、春の頃のみ目にすることができるからこそ儚く、散る花の美しさは何物にも代えがたく、陽光にを吸い春風に流される花弁の艶やかさは言い表し難い。

 春初めの木漏れ日が差す登山道は、利用者のために施された歩道と、過去に度々人が行き来した獣道のおかげで、比較的安全な道行きだ。梅の花筏に目を奪われ、雄々しく茂る緑陽の木漏れ日で身体を休める。常日ごろから授業の一環でしか運動を行っていなかった碧ではあるが、緩やかな地形と周囲を取り囲む絶景に背中を押されながらも、難なく足を進められている。

 入山から道半ばに至れども、自然界の力は壮大なものであった。都会の荒んだ埃まみれの空気とは相対して、山道は酸素が美味なものに錯覚する。木々の合間を抜けるからか空気も冷たく、過酷な登山というよりは一種の散歩を行っている感覚で歩みを止めずにいることができた。

 碧はもとより田舎の風情ある景色を好む質だったから、なおのことだろう。山登り自体に、さほど時間を割くことは無かった。緩やかな山稜を、精々一二時間程度。しかし家を出発するのが昼すぎであったり、街道で迷っては涙を流しかけたおかげか、ようやっと景色を遠望できる地点にたどり着いたのは十九時に差し掛かった頃。

 春といえども日はすっかり暮れて、眼下の地平線から見える陽光はとうに僅かなものとなっていた。山の上から拝むその光景は、絶景と呼ぶに相応しいものであった。世界が滅亡した今、民家や施設に明かりは灯っていない。これまで星明りを遮っていた激しく人工照明の明滅が消えた夜空は、流麗なものだった。

 幾百、幾千だろうか。目が眩みそうな程の星月夜は、こぼれ落ちてしまいそうなほどに瞬いていた。星座、天満月、煌めく夜空を彩る要素は際限なく溢れている。月光は思いの外眩しいもののようだ。

 地球上に暮らす人間の数と星の数、どちらの方が多いのだろうか。

──嗚呼、今なら星のほうがよっぽどおおいか。

 一人になりたいと考えることは、これまでに幾度もあった。友人と喧嘩をしたとき、不機嫌なとき、何もかもが嫌になったとき。

 そのときは考えもしなかった。地球上に一人というのは、こんなにも寂しいものなのか。



 碧は糸が切れて魂が抜けたように、何も思考することなく帰宅した。明日からの道筋も、過去を憂うこともなく。

 時刻はとうに二十四時をまわっていた。外出をする前に沸かしておいた風呂に浸かり、夜食にはカップラーメンを食した。布団に臥した碧は、直後、意識が切り落とされたかのように、深く微睡む眠りについた。

 今日だけは、何も考えずに眠ることができるかもしれない。

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