私が声優になった理由

猫山知紀

私が声優になった理由

「はい……はい、そうですか……わかりました。いえ、ご連絡ありがとうございました」



 私はマネージャーさんからの通話を切ると、一つ大きくため息を吐いた。



(また、駄目だった……)



 これで13回連続。主役どころか、端役にも引っかからない。



「やっぱり……才能ないのかな?」



 地元の高校を卒業して、声優の専門学校に入った。


 きっかけは単純、中学生の頃友達に言われた言葉だった。



『月山さんの声、かわいいね』


『声?』


『うん、魔法少女とか似合いそう』



 私の声をかわいいと言ってくれたその子はいわゆるオタクだった。


 私とクラスメイトだった彼女は、その頃すでに深夜アニメを見ていた。彼女がなぜ深夜アニメという存在を知ったかは知らない。その頃、良い子ちゃんだった私は夜十時には寝ていたし、インターネットもあまりやらなかった。そんな生活をしていれば私が深夜アニメに出会わないのは必然だ。


 しかし、彼女は知っていた。毎週何十も放送されるそれらのほとんどを録画し、時間の合間を縫って出来る限り見ようとしていた。


 いや、時間の合間を縫ってではなかった。彼女は彼女が不要と判断した時間を犠牲にして、出来る限りのアニメを見ていた。



 彼女に声がかわいいと言われるまで、私にとって彼女は授業中によく寝ている、ただのクラスメイトだった。いや、その時は彼女が居眠りをする理由を知らなかったから、授業中に居眠りをする、出来の悪いクラスメイトとして、ある種軽蔑的な目で見ていたかもしれない。



 彼女は睡眠時間を削って録り貯めた深夜アニメを見て、削った睡眠時間を授業中に寝ることで帳尻を合わせていたのだ。



 私はそれまで自分の声が好きではなかった。皆より一段高い私の声は、いつも悪目立ちしていた。中学生になっても、家で電話に出れば幼い子供と間違えられるし、面と向かって『変な声』と言われたことはなかったが、友達と遊んでいる時につい大きな声を出してしまうと、決まって瞬間的に場が静まる。そのいたたまれない空気が言外に『何?、今の変な声』と言われているようで、私は大嫌いだった。



 彼女はそんな私の声を肯定してくれた初めての人だった。



 単純な私はそれから彼女とよく話すようになった。それぞれに別の仲の良い友達がいた私たちは、親友と呼べる間柄ではなかったかもしれないが、放課後や休み時間の短い時間を使って私は彼女から、その時々に流行っているアニメを教えてもらうのが習慣になった。それだけではなく、彼女は時折録画したアニメを記録メディアにコピーして私にオススメしてきた。


 彼女のオススメは私に毎回衝撃を与えた。彼女が私に勧めて来るものは、私にとって『必ず』面白かったのだ。



 しかし、私がそうやってアニメ好きになるには、それなりに時間がかかった。思春期に入り、私は子供っぽいものを敬遠するようになっていた。アニメもその一つだった。「ドラえもん」や「プリキュア」は子供が見るもの、私のような中学生が見るのは恥ずかしい。当時の私は本気でそう思っていた。「ドラえもん」や「プリキュア」は子供向けに作られているので、私の対応は間違ってはいない。しかし、私は「ドラえもん」や「プリキュア」といった特定の作品ではなく『アニメ全体』を見るのが恥ずかしいと思っていたのだ。



 だから、私に対してアニメを勧めてくる彼女が、最初は鬱陶しかった。我ながら最低なことをしていたと思うが、私は最初、彼女から借りたアニメを『見ずに』彼女に返していた。



『面白かったよ』と、嘘を吐きながら――。



 そんな私に対して彼女は『そ、よかった』と笑顔で応えてくれた。


 そして、そんなやり取りが二、三回続いた後のある日、学校で彼女が話しかけてきた。彼女の手には記録メディアがあった。



『またか』



 口には出さず、私は心の中でひとりごちた。



「これ、見てみて。――『絶対に』面白いから」



 彼女の言葉に、今までになかった枕詞が付いた。今までの『これ、面白いから見てね』という気さくな感じではなく、その言葉は明確な意志と絶対の自信に満ちていた。人を射抜かんばかりの彼女の視線に、私は気圧され息を飲んだ。



 彼女の差し出すディスクに手を伸ばす時には、妙な緊張感に少し手が震えた。



 夕方家に帰ると、私は彼女から借りたディスクを『初めて』再生機に入れた。彼女の威圧感にあてられたというのもあるが、私の彼女に対する罪悪感への抵抗も、もう限界だった。


 再生機が唸り声を上げ、映像の再生が始まる。オープニングが流れ、主人公と思われる女の子がベッドで寝ている姿が描かれていく。可愛らしい絵柄だ。でも子供向けなのに音楽が少し物悲しい。サビの前で女の子が変身した。彼女は魔法少女なのだ。


 小学生三、四年生ぐらいまでだっただろうか、私も魔法少女モノのアニメを見ていた。『地球に代わって断罪よ』と、主人公が話数ごとに出てくる悪役を倒してく、勧善懲悪モノのアニメだった。今、私が見ているのもきっとその類なのだろう。


 ほら、思った通り。パートナーになる可愛らしい動物のキャラクターが出てきた。冒頭、そのキャラクターを助けるところから物語は始まった。



 一話、子供向けにしてはダークな雰囲気もあってよかった。面白かった……かも。



 二話、何だろう、惹きつけられるこの感じ、思っていたのと違う。



 三話、……、えっ!?…………



 ……………………………………


 ……………………


 …………



 全十三話。見終わった後、私はしばらく茫然としていた。結局休むことなく、ぶっ続けで見続けてしまった。何度か母が夕飯の準備が出来たと呼びに来た気がするが、返事をする気さえ起こらなかった。


 ――後で謝ろう。



 私が見たのはアニメであって、私が知っているアニメじゃなかった。期待を裏切られた。思っていたのと違った。アニメを子供向けとバカにしていた自分は宇宙の彼方へ飛んでいってしまった。


 練り込まれたストーリー、ドラマでは作ることの出来ない表現に満ち溢れた映像。共感を抱かせる魅力的なキャラクター。そして、ただの絵であるキャラクターに、命を与える生き生きとした声。私の意識を画面へ引きこむ何かがそこにはあった。


 こんなに面白いのなら、最初からちゃんと見ればよかった。彼女が貸してくれた他の作品はどうだったのだろう?これに匹敵するか、もしかすると、もっと面白い作品だったのかもしれない。『嗚呼』と嘆いても返してしまったディスクは戻ってこない。悲嘆にくれるが、腹は減る。私は素晴らしい作品と出会えた充足感と、過去の自分へのやるせない憤りを抱えながら部屋を出て、階下へ向かった。


 リビングでは冷たくなった夕食が待っていた。



 次の日の放課後、私は借りていたメディアを返すため彼女の席へと歩み寄った。



「これ、ありがとう。なんていうか、上手く言えないんだけど、すっごい、すっごい面白かった」



 当時の私の貧弱な語彙ではこれが限界だった。自分の気持ちを、自分が感じたことを上手く言葉に出来ないことが、彼女に伝えられないことが、もどかしかった。



「それで、ね」



 今日の目的はメディアの返却だが、それだけではない。



「ごめんなさい!!」



 私は深々と頭を下げた。



「私、あなたが折角貸してくれてたの、本当は見てなかった。『面白かったよ』っていって嘘をついて返してた。本当にごめんなさい」



 顔を下に向けたまま、目をつぶったまま、一息に彼女に伝えた。言葉に飾りを付けず、本心をそのまま伝えた。そのほうがより謝罪の言葉が伝わると思ったから。彼女からの言葉が届くまではこのまま頭を下げていようと思った。


 私にとって、とても長く感じた幾秒かが経った時、彼女の声が届いた。



「知ってたよ」



 ――えっ?



 驚いて顔をあげると、薄っすらと、困ったように笑っている彼女の顔があった。



「見てないの、知ってた」


「え、な、なんで?」



 私は彼女から借りたアニメを見てないことは誰にも言っていない。友達と話した時にも絶対に話題に出していない。それなのに、どうして――。



「だって、あんなにおもしろい作品を貸したのに、感想が『面白かった』だけで終わるわけないじゃない」


「――あっ」


「ま、今日も月山さんは面白かったって言う感想しか言ってなかったけど、今日の『面白かった』は本当に面白かったっていうのが伝わってきたよ」



 してやったりと微笑む彼女は、歳に似合わない大人びた雰囲気に見えた。



「そっか、――よかった。そして、本当にごめんなさい」


「もういいよ、月山さんに面白いって言わせることが出来て私も満足したし。私の方こそ、今まで押し付けるような事しちゃってごめんね。もう、無理に見させようなんてことはしないから」



 違う、悪いのは嘘をついた私だ。断ることが出来なかった私だ。あなたは悪くない。


 そんな言葉が頭を巡る、どういえばいい?


 貸してもらったの面白かったって、今までのも、もう一度貸してって、どんな言葉にすれば、どう言えば彼女に伝わる?


 彼女の言葉を受けて私が黙っていると、彼女は私へ背を向けて、教室のドアへと歩き出した。



「あっ」



 待って。現金なことはわかってる。今まで見なかったくせに、一度見たものが面白かったからって、手のひら返してこんなこと言うのは。



「ま、待って」



 ――でも、我慢できない。



「あの、こんなこというのは本当に申し訳ないんだけど。また、貸してくれないかな?今までに貸してくれてたやつ。ちゃんと見たいから、あなたが勧めてくれたやつ」



 その言葉を聞いて、彼女はぽかんとした表情になったが、すぐに口元を歪めてニヤリと笑った。



「わかった。じゃあ明日、二回目と三回目に貸したやつ持ってくるね」


「え、あれ?一回目のやつは?」


「ふふっ、やっぱり気づいてない。昨日月山さんに貸したやつは、一回目に貸したやつと同じやつだよ。――騙すようなことしちゃって、ごめんね」



 オレンジ色に染まる教室で彼女はそう言って、いたずらっぽく笑った。

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