誹謗中傷についてのおしゃべり①
皆さんこんばんは、かんなづきです。
ラジオ第2回ですね。前回はWeb小説について話したんですけど、なんか、無責任だと思われてしまったようで……。
カメラを作るだけって話したんですけど、あの、当たり前ですがそれだけではないことはわきまえてますよ。読者さんたちから見てそんな裏側まで気にする必要なんてないわけで、自分の活動をわかりやすいようにそう比喩にしてるわけなんですが。
なんでそこまで解説しなくちゃいけないんだって感じですけどね。
これがかんなづきが考えてるすべてって思われてしまいましたね。後から読んでみたら確かにそう思われる文章だったので、これは僕が悪いんですけど。
別に創作論でもなんでもないですからね。あんなもの創作論とか言われたら多分みんなキレますよ。そもそも小説読む時、作者の掲げてる創作論を元に読むってなかなか気持ち悪い行動かも知れませんね笑。
僕の作品を読むにあたって、作者の存在は気にしなくてもいい。って言えばわかりやすいのかな。ごめんなさい、すごくわかりにくい表現をしてしまいました。お詫び申し上げます。本当にごめんなさいっ。
これに対してですね、無責任だと言われて「あぁ、そうなのかもしれないな」と思う自分もいました。なんというか、しばらく小説は書きたくないかもしれません。
書いてはいけないのかもしれません。
……とか反省してると今度は「凄いんだから自分を卑下するな」って言われるんですよね。解釈の過剰摂取ですよ完全に。わーおですよ。
でも実際、結構、自己否定癖あるんですよね。何か言われたらとりあえず自分の悪いところを探そうとしますし、そうでなくても自分の中に生まれた違和感に焦点が合いっぱなしになったりしちゃいますね。
思い返してみれば、過去作でも一人称視点の主人公たちが自己否定に走る傾向って言うのがあったかも……やばい、癖出てるのかな。
ただ、僕がカクヨムで語ってるようなことは全然その程度に入らないですよ。卑下なんて全然満たないです。もっとえぐいですからね、自己否定なんて。何回も自分殺すんですから。
んーそうか。好き勝手人格と能力を査定されて、わかったような気になって気持ちよくなられるのも腑に落ちないんで、いつかおしゃべりしようかな笑。でもあんまラジオで暗い話ってしたくないんですよね……。
さあ、今日も一つ曲をかけていきましょうか。
今日のお供はこちら。
彩は流れ、而して舞う。 打楽器三重奏
https://www.youtube.com/watch?v=zWVsc_8cJzo
これはかんなづきの自作曲ですね。結構落ち着いた和風の曲なので、ぜひ静かな部屋でおひとりでどうぞって感じです。
さて、題名にもある通り今日は「誹謗中傷」についておしゃべりしていこうと思います。これは僕が実際に受けた体験を元におしゃべりしていきます。僕の主観で進みますので、もしかしたら気分悪くなられるかもしれません。
なるべく強い言葉は避けていきますね。あと、このラジオ、「おしゃべり」ですからね? 僕の論考のお披露目会じゃないのでそこはわかってください。
皆さんは「誹謗中傷」って受けたことありますか? おそらくほとんどの人が受けたことないと思いますし、そう願いたいんですけれど。
もし自分が受けたらこうするな、みたいなのってありますか?
例えば、えっとそうだな……よくあるので言えば、「無視する」とか「訴える」とかですかね。
僕にも「気にしない方がいいですよ」と声をかけてくださった方っていたので、まあ多くの人は「そんなの無視すればいいんだ」と思っているのかなと予想します。
あのですね、はっきり言ってそんなことできません。
受けたらわかるんですけど、「無視する」ってホントに難しいです。てか無理です、僕は。もちろん気にしないようにはしたいし、まあその方がいいって言うのはなんとなくわかるんですけど、あのですね、とにかく無理なんですよ。ちょっと言葉にするのは難しいですけれど。
しかもこの感覚って、「実際に受けないと分からない」っていうのがネックなんですね。だからある意味最強の人生経験だと踏んでます。僕は。
なるべくわかりやすく説明したいと思います。
先に断っておきますが、誹謗中傷を受けている人が全員僕のような感覚になるわけではないですからね? 普遍的なものだと思わないでください。
決めつけの思考はどんなに優しいものであっても凶器になる可能性を含んでいます。そこだけ注意してください。
今回僕が受けたのは「ネット上での誹謗中傷」です。小学生の頃は対面で受けたこともありますが、それはまた別の機会に……。
インターネットなので、もちろん相手の顔は見えませんよね。名前もわからないし、性別もわからないし、住んでる場所もわからない。入ってくる情報は、書き込まれた文字だけです。言葉遣いから、性別は割り出せたりしますけど。
駐輪場に停めておいた自分の自転車に「死ね」って落書きされてたら、「!?」ってなりますよね。状況としてはそれに近いかもしれません。
大きな特徴として挙げておきますが、「被害者」と「その周りの人」には絶対的な壁が出来ます。これはしょうがないことで、実際に被害を受けているのといないのとでは、感覚に差が出来てしまうんです。
どれだけ周りの人が分かってあげようとしても、乗り越えられないんです。僕に温かい言葉をかけてくれた方がいて、僕も助けられはしましたが、事実としておそらくその方々も僕の心は察せていません。
じゃあ、どんな感覚なのか。
受けたことない人が持っているイメージは、おそらくこんな感じです。
「被害者」
匿名を武器に加害者は好き勝手言っている。被害者は顔の見えない相手からの攻撃に苦しんでいる。
これだと、攻撃避けられそうじゃん? と思う方が多いでしょう。
ですが実際の僕の感覚はこうです。
「顔を覆われた被害者」
違い、わかりますか?
加害者って匿名を武器にやってくるわけじゃないんですよ。顔なんか隠してないんです。ただ被害者の人格、言葉、すべてを否定することで、被害者の顔に袋をかぶせて覆い隠してしまうんです。人格否定ってそういうものなんですよね。
被害者の自由を奪うってまさにこれだと思っています。僕が取り上げたセカンドレイプなんて特に。
これの被害者目線、想像できますか?
自分の顔を覆われて、まあ自分のすべてを否定されるってことですね、それで、どこからともなくひどい言葉が聞こえてくる。息苦しい。狭い、怖い。
洗脳に近いかもしれません。
顔の見えない相手から攻撃されるということに変わりはありません。ですが、被害者は身動きが取れないんです。ほんとに。攻撃避けるなんて、言われ慣れてないとできません。耳も塞ぐことができません。
手足を拘束されて何の音でも聞こえる状態で、黒板を爪で引っ掻く音とかフォークでお皿をキィィィってする音とか聞かされたら死ぬじゃないですか普通に。
顔を隠した相手からの攻撃ならいいんですけど、被害者自身に袋を被されてしまうと、寄り添おうとしてくれる人達、本来顔の見えるはずの人達からの言葉も、その効果を発揮しなくなります。「気にしないでいいよ」、「大丈夫」なんていう言葉が、本来持ち合わせない鋭さを持つことがあるんですよね。
自ら命を絶ってしまう理由もわかるような気がしてくるのが怖いですよね。
皆さん今まで想像できなかったのではないですか? 「生きるのが辛い」と嘆いて、あの世に身を投げる人たちの気持ち。「救えるはず」だなんて、軽々しく思っていませんでした?
僕は思っていました。誹謗中傷って無視することできるんじゃないのかなって。
しかし実際被害者側に立ってみると、その思考の幼さに気付かされます。何もかも否定されて蓋をされた人たちを救い出すのが、どれだけ難しいのか。
実際にその人を殺してしまったのは、「加害者」ではなくて「寄り添おうとした人達」である可能性もあるのかもしれない。それくらい闇としては深いんですね。
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