キリヤ公国建国史 第7回 キリヤ公国と伊達家・毛利家・上杉家らの臣従っ!!毛利家編っ!!
アマテラス独立御三家である毛利家は、独立大名王時代だったマギアンティア世界統一暦・1555年・5月14日に、本拠地である広嶋市の広嶋港で、キリヤ公国連合国のナデシコ自治統合軍とある人物達を巡って小規模な諍いを起こしてしまいます。
毛利家旗下の吉川家は、小早川家と並ぶお家柄で、アマテラス神皇国の中津国地方を統合統治する毛利大名王家統合の象徴に位置付けている家柄。
毛利三姉妹の次女である吉川・春美・隆春が養子と成って、お家の跡目を継いで居る名家でも在ります。
毛利家は、元々をたどれば、安芸国の国人衆の一人に過ぎない弱小国人に過ぎませんでした。
それが毛利基就が跡目を継いでからは、権謀術数で中津国地方を支配を成し遂げながら各地を転戦。
中津国地方の東地方の怪物と謳われた尼子常久。
西の静かなる巨人と謳われた大内義隆。
大内家宰相を務めていた陶隆房。
安芸国守護大名王家だった武田信重。
備前国の梟と言われた某将・宇喜田直家と言った数々のアマテラス戦国大名王・武将達を次から次へと討ち破り、中津国地方最大の版図を持った大名王と成った。
その中で毛利家は、東側の吉川家と瀬戸内海に面する小早川家に対して、次女の吉川・春美・隆春と三女の小早川・隆美・影長の二人を養子に出し、毛利基就の妹である毛利清を安芸国の国人衆である宍戸元家へと嫁がせて安芸国の国人衆を纏め上げて居る。
そうした中で中津国地方の東地方の怪物と謳われた尼子常久の子供達の一人で在る尼子・勝美・久勝が、キリヤ公国の仕官者公募を聞き付け、毛利家と織田家との抗争が激しい播磨国から安芸国へとやって来ると言う情報が入る。
毛利家三女にして、外交官としても名高った小早川・隆美・影長こと、隆美は、播磨国・摂津国・河内国・和泉国・北近江領を治めるまでに出世して居た羽柴・陽菜・秀吉との話し合いで、突如としてアマテラス地方に現れたキリヤ公国連合国に対しては、毛利家・織田家両家は中立を貫き、両家内から渡海を申し出る者達は、構い無しとする取り決めが為されて居た。
これに反発したのが、尼子家への攻勢に一躍をに成って居た毛利家・次女の吉川・春美・隆春こと、春美である
尼子家残党達は、本拠地である出雲国の月山戸田城が落城し、忠臣達と共に東へと逃れて以来、ゲリラ戦を繰り返しては、毛利家領と成った旧尼子家領内で散々に暴れ回って居た。
それに対処をして居た春美は、等々尼子家残党を織田家領内へと取り逃がしてしまった事を悔やんで居た。
だが、この時の毛利家は織田家とキリヤ公国連合国との間に中立条約を交わして居り、播磨国と丹波国、それに備前国の東西に国土を持って居た宇喜田家と浦上家の独立自治権を認める事を条件に停戦する事が取り交わす事に成ったのである。
そんな中で春美は、尼子・勝美・久勝を始めとした尼子家残党達を広嶋港で捕えようとするが、寸での所でナデシコ自治統合軍に保護された。
これに激怒したのが父親である毛利基就で、姉である次期当主と決められて居る毛利・輝実・隆宗からも𠮟責され、ようやく反省する事に成る。
毛利家は早くからユーラシアン大陸内での情勢下の変化に気が付いており、キリヤ公国が大いに躍進した先進国で在る事を知って居たと記録には残って居る。
この不手際を危惧した毛利基就は、桐谷勇治とキリヤ公国に臣従する事を決定し、同時に毛利家当主から隠居する事も決意する。
更には毛利家は、ゲルニアン帝国がキリヤ公国へと宣戦布告した戦争にも参戦する事も決定する。
序で長女である毛利・輝実・隆宗こと輝美を次期当主に成る事を命じるが、輝美はこれを固辞。
毛利家当主への就任は、ゲルニアン帝国とキリヤ公国との戦争が終ってからとする事を申し出る。
行き成り当主と成っても、家臣達と領民達が付いて来てくれるのかを危惧したからだと言われて居り、後に公帝戦争と言われた戦争に措いて十分な実績を出した上で堂々と就任するたいとの思惑も在った様だ。
その後毛利家は、公帝戦争経てからキリヤ公国連合国の加盟国として、桐谷勇治とキリヤ公国本国に臣従し、独立自治国権限を持った毛利独立自治安芸藩王国を建国し、アマテラス神皇国地方から独立を宣言する。
その国土は安芸国・伯耆国・但馬国・因幡国・美作国・出雲国・石見国・備前国・備中国・備後国・周防国・長門国・隠岐国と九州島の筑前国・豊前国と14か国地域を治める大大名王家。
前当主だった毛利基就は「国家の体制を握る天下人を望んでは成らず、自国の安堵吞みを心掛け、毛利家を大事にしてくれる主君に使えよ」と言って来た事から、その教え通りに強大な力を秘めて居ると見た、キリヤ公国に使える事を決めた事で、その繫栄は約束される事に成ったと言えるだろう。
その切っ掛けを作ってしまったのは、毛利家次女の吉川・春美・隆春がキリヤ公国連合国海軍との揉め事を起こした事が切っ掛けだったが、それが引き金と成ったお陰で、毛利家は後々の運命を決定付ける重大な決断をし、キリヤ公国連合国へ藩王国として加盟臣従をした。
初代毛利安芸藩王と成った毛利・輝実・隆宗は、百万一心の仁君として、家督相続時に教わった父からの教えを継承し、その教えを後世に伝えと言う。
公帝戦争後に正式加盟と成った為に、キリヤ公国連合国の登録ナンバーでは5番として登録されている独立藩王国で、家格の順位は侯爵王家の扱いと成って居る。
その国家を立ち上げた三姉妹達は、長女・輝美が側室妃。
次女・春美と三女・隆美らが愛妾妃と成って嫁いで行く事に成る。
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