山小屋の朝 その二

「言っとくが、期待通りじゃなくても文句言うなよ」

 せっかく寒さが和らいだのだからとツナトーストを手に取ると、閃がじとりとめつけてきた。巴はわざとらしく目を見開き、驚いて見せる。

「僕が君のごはんにケチつけたことあった?」

「……ない、のがなあ……」

「というか僕が想定してたのより豪華になってる」

「この程度で豪華なのか……」

 ド困惑している呟きをよそに、「いただきまーす」と言うや否か巴はかぶりつく。じゅわり。バターの風味とツナの脂。もっちりとした麺麭パンに沁み込んでいたそれらが至福の心地と共に口の中に広がる。噛み切ろうとするとチーズがみよんと伸びた。ジダ村で売っていたチーズだろう。なかなかの伸縮力に巴が手こずっていると、それに気づいた閃は呆れた表情になり、突き匙フォークでチーズを千切ってやる。口が一杯で開けないためにっこり笑みを向けると、ため息を吐いて閃はスモーブロにかじりついていた。巴もおとなしく咀嚼を続ける。噛む度に玉ねぎのしゃきしゃきとした音が口内で響く。鼻を抜ける胡椒の微かな芳香。

「んんんぅまー」

「そーかい。よかったな」

 豪華と言われても、材料は全部子供の小遣いで買える程度のものだ。もう朝食の準備のほぼ終わったところに来た要望だったから、数を作るのも面倒で、一枚でも満足感が得られるように色々追加しただけに過ぎない。

「ちゃんと他のも食い切れよ」

「食い切れないとまだ少しでも思ってるの、君は僕を見くびってるよね」

「そりゃお前…………うわあ」

 不服そうな顔をする巴の手元に、もうツナトーストはなかった。どころかよそったトマトスープも空になっていた。当然のように空の椀を差し出してくる。それを渋々受け取り、スモーブロに手を伸ばす巴に忠告する。

「その辺の何個かは辛子混ぜてるから、」

「大丈夫いける」

「……」

 子供の舌には苦手かもしれないという気遣いを、巴はあっさり無碍にするとマヨネーズに辛子を和えたものを選んで食べた。がりっと大きな音を立てて、粉が弾ける。噛んだ拍子にずれ落ちそうになった具材に気を取られている内に麺麭パン粉がばらばらと座卓テーブルに落下する。

「あーあーあーあー」

 閃が台拭きを手に膝立ちになる一方、巴は夢中でスモーブロを頬張る。あっという間にひとつを食べきり、すぐに次に手を伸ばす。チップス感覚で消費されていく。

「おま……ちゃんと噛んで食えよ。腹壊すぞ」

「んぐ。辛子のぴりっとした主張が他のうまみも引き立ててるね。ないのは子供が好きそう。トマト乗せても良かったかも」

「感想を寄越せとは言ってないんだが。トマトはスープにしちまったからな」

「このへんのだけ浅葱あさつき乗ってる」

「ちょっとしか残ってなかったんだよ。だから辛子マヨネーズで代用」

 トマトスープのおかわりを渡すとすぐさま食べ始める。一通り食べて満足した閃は見守る体勢に入った。旧グレイヴァース領で買ったもち麦は水気を含んでかなり膨張する。その分他の具材の量を減らした。阿保ほど食う巴への対策である。文句はなさそうで安心した。多分減らしてなくても食べきっていたのではないかと疑う勢いだが、何があるかわからない雪山にいるのだから食糧は少しでも節約したい。

 すっかりスモーブロを片付けて、スープを鍋ごとがっつき始めた巴を置いて、閃は立ち上がる。

「んむ。どこ行くの?」

「外の様子見て来るだけだ」

 荷物は残していくし、逃げやしないと視線だけで伝えると、巴は納得したようにまた鍋に顔を埋めた。


 屋内の暖気が逃げないようすぐに戸を閉める。上着は持ってきたが急な温度変化にぶるりと震える。

 出入り口が雪で塞がれないよう玄関口は階段を登った先に作られてあったのだが、その階段は半分くらい雪に埋まっていた。雪山やばいな、と苦笑する。これでも今日は運よく穏やかな晴天だ。雪はちらつくものの、昨日よりは空が青く見える。

(吹雪いたとしてもどうにかはできたけど、これならちゃんと日暮れ前にはミレア村に着けるな)

 勿論、この後天気が荒れてくる可能性はあるが。山の天気は変わりやすいものだ。

 山小屋ヒュッテの裏手に回ると、見下ろせるところに大きな湖があった。山路を示しているのだろう、等間隔に立てられた杭に縄が結ばれている。夏場はそこで水を汲むのだろう。しかし、流石にこの季節では完全に凍りついていた。瑠璃石のように青々と色づき、蜃気楼で紫や碧に揺らぐ凍湖は幻想的だが、吹き上げる風があまりに冷たい。感動できたのも少しの間だけで、即刻小屋に帰る羽目になった。

「おかえりー」

「ただいま。天気が変わる前に出るぞ。準備手伝え」

「えー。僕食後すぐは動きたくない」

「馬鹿ほど食うからだろうが。八分で止めろ」

「腹八分ってどこだろ……?」

 首を捻りながらも巴は仰向けに寝転んだ状態から動かない。どうせ期待はしていなかったから、座卓から皿や鍋を流しに運ぶ。「牛になるぞ」と毒づくも効果なしだ。

「食べた後すぐ寝ると牛になるっていうのは行儀が悪いから親が言う脅し文句であって、実際のところ動くと胃腸じゃなく筋肉に血液が回って消化能力が落ちるから、食後は大人しくしてる方が良いんだよ。座ってようが立ってようが寝っ転がってようが太りやすさには関係ないし。ということで僕は寝る」

「寝っ転がってる分はそうかもしれないが、寝ると消化能力落ちるぞ」

「というか僕がちょっと太ったところで別に良くない? 可愛くない?」

「重くなったお前を誰が運ぶと思ってんだ。そもそもお前に可愛げを求めたこともねえし」

「ええ~。うちの部下どもはなんか無駄に悔しそうな顔で棒状照明サイリウム振るのに」

「どうなってんだ国際警察」

 いや、本当にどうなってんだ。想像しようとして、うまく想像できなくて困惑しかない。警察組織が、上司に対して行う光景だろうか。正気か。控えめに言ってやめてほしい。世の警察に憧れる子供たちに考え直すよう言いたくなるから。いっそのこと全員今すぐ首くくって正常クリーンな組織に生まれ変わってほしい。

 閃が虚無の表情で片っ端から皿を洗っていく一方、巴もまた「どうって言われても……あの子たちどうなってるんだろうな」と考えた。暗所侵入の為の棒状照明サイリウムを振り回し踊りたくるザマは巴から見ても狂っていた。押収した薬物でもヤってんのかな、脳みそ溶けた奴は要らないし、今度確認しておこう。だんだんうとうとしてきて毛布を抱き締める。水の流れる音がちょうどいい子守歌となって、目を閉じた。

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