どらごんたべたい
「……音が無さすぎて頭痛ェ」
「君それ昨日から言ってる」
「言っ、てはなかっただろ」
思ってはいたけれど。怪訝な顔で巴を見下ろすと、「流石に心は読めないよ」と嘘か本当かわからない笑顔で言われた。無性に腹が立つ。しかし子供相手にそれを露骨にぶつけるのも憚られ、ため息を吐いた。
「耳鳴りするし、寒くて顔痛いし、あー……もー……お前なんかしゃべってろ……」
「すごく雑に振ってくるじゃん」
えぇー? と首を捻り、巴はぽてぽてと歩を進める。魔術を使っているから普通よりは楽々快適とはいえ、正直山を登るだけで疲労しているから余計なことに体力を使わせないでほしい。配慮してよと言えば、物凄い渋面になってでも背中を貸してくれるような気がしたが――やめた。なんとなく。
「じゃあ雪山名物の美味しいごはんの話をしよう。この時期はまず淡雪フグのしゃぶしゃぶ。恒常的に美味しいのはフォルセチキン。一番美味しいのはドスフォルセチキン。あとポプリノスとヒトツノゾウ、サクラダイも美味しい。果実で言うとミレルオレンジ、ベルベッジゴールド、凍結イチゴ。植物は眩白草が保存食として有名だけど、僕としては献花の印象が強いんだよね。そういう意味では蜜も花弁も根っこまで食べれて美味しいアイスリリーが強い。蜜と言えばスケルビィの蜜酒は現地民以外は王侯貴族すら滅多に飲めないっていう希少価値と美味しさだね。あとは……前人未踏の雪山最奥にはドラゴンがいるって噂だけど。……ドラゴン……美味しくなるのかな」
「ほんとに飯の話にしか帰結しねえな」
「ごはんの話って言ったじゃん」
「ドラゴン食おうとするのはお前だけだ」
「そんなことないよ。世界のどこかには同じ思考のひとはいるはずだよ。たぶん、きっと、もしかしたら」
「曖昧が過ぎる」
仲間を欲するのは子供らしい
「仮にドラゴンが目の前にいるとする」
「逃げる」
「逃げちゃだめ。立ち向かって。やっつけていい感じにお肉にしました」
「この思考問題腹減るだけじゃねえか?」
「君ならどんな料理にする?」
「聞いちゃいねえな」
調理法ではなく料理にできることが前提である。訊かれてもドラゴン肉を食べたこともなければ、ドラゴン自体見たこともない。魔物たちよりも幻想の存在だ。故にこの問答に意味は皆無だが、何か話せと振ったのは自分だったため、閃はため息を吐いて問答に乗ってやることにした。
「……そのドラゴン肉は、肉で言うとどれに似てるんだよ。豚とか牛とかあるだろ」
「え……こう、……ザ・ドラゴンって感じ」
「それがわかんねえんだよ。いーんだよ、誰も食べたことないんだから適当に決めて」
「……強いて言うなら、鳥肉? 味は鳥肉。でも筋張ってて堅い。噛み切れない」
「じゃあ煮込みだろうな。シチュー。クリームよりは赤ワインベースか」
「シチューかぁ」
「俺は食べられるようにできるならステーキにしたい」
「ドラゴンステーキかぁ……」
自分から聞いてきておいて反応が薄すぎやしないかと、子供を見下ろす。丁度その時、
『ごろろろろぐごごごぎゅおろろ……』
それこそドラゴンの鳴き声のような、腹の虫の声がした。
「……だから言ったじゃねえか」
「おなかすいた……」
「もうすぐだから頑張れ」
項垂れる子供があんまりに哀れで、その頭をくしゃりと撫ぜ、発破をかけるに留めた。
*
「君がもうすぐと言ってからどのくらいたちましたか?」
「……悪かった」
登山に数時間かかるのなんていつものこと過ぎて「もうすぐ」の感覚が狂っていた。
無言でばんざいの格好をするので、閃はそんな巴の前にしゃがみ込む。背中から伝わる地響きのような振動から腹の虫の怒りを感じる。
「まあそろそろ着くから」
「そのそろそろは何刻先なの」
「信用しろとは言いづらいが本当だ。もう半刻もかからない」
「遠いよ!」
ふしゃーっと猫の威嚇じみた吠え方をされる。地味に肩を強く握り締められるが、布地が厚く固いため全くと言っていいほど痛みはない。
「日が暮れる前に着ければ良いって話したと思うが」
「してたけど! 遠いよぉ! おなかすいたんだよぉ!」
「携帯食糧食い荒らしておいて何を」
「あれで僕のおなかが満ちるわけないじゃない」
「急に落ち着くのヤメロ」
ちなみに昼休憩はきちんと挟んである。野営地がうまく見つけられなかったため些か侘しい昼食だったが、それでも三人前は平らげた上での携帯食糧への暴挙である。帰りのことも考えてほしい。
不意に、音が聞こえた。天を貫くような、鉄の弾ける音。
「銃声?」
「……猟師か?」
猟銃のそれに聞こえた。
立ち止まり、様子を窺う。待ってみても、二発目はない。
閃は少し考えて、口を開いた。囁かれた不協和音が体の表面を撫でる。微かに季節外れの陽炎が揺らめく。
身体の周りに出来上がる薄い空間の歪み。山や森を
音は近いはずだ。熊と間違えられたら敵わない。念の為。
ザク、と踏み出した足が沈む。巴が魔術を解いたのだ。不審がられないようにだろう。それはいいのだが、雪が重くて本当に歩きづらい。
いくらか歩いていると、音のあった方に
やはり猟師のようだった。三十後半か四十過ぎの、熟練の男だ。使いこなれた猟銃が手元に置かれている。
猟師は驚きに目を丸くしていた。
「子連れとはずいぶんだね」
「あーまー、ちょっとな。あんた、ミレア村の人か?」
「そうだよ。ミレア村に行くんなら、よかったら乗るかい?」
「それはすごく助かる」
「狭いけどね」
雪車には若々しい大猪が太縄で括り付けられている。その隙間に体を折りたたむように乗り込んだ。獣臭さがむわりと吹き付ける。それと乾いた血の匂い。猪は頭蓋を的確に撃ち抜かれてあった。やはり先程銃声は彼のようだ。
「大物だな」
「いやあ小さいほうさ。もう殆どは奥地で冬眠の準備に入ってるからね。うろついてるのは、冬眠するだけの栄養を蓄え損ねたやつだ。まあこの時期にゃ、貴重な肉ではあるよ」
仕留めた獲物を撫でる猟師の手つきは優しい。獣も人間も、食べなければ生きていけない。食べられなかった獣がいるから、人間は食べることができるというのは、これも自然の摂理だろうか。
「しかし、本当によくここまで上ってこれたね。大変だったろう」
心配しているのは確かだろうが、裏に疑念が滲んで見えた。それは当然抱くはずのものだろう。こんな雪山に子供を連れまわしてるような奴は誰だって警戒する。だから、閃は苦笑して、肩を竦めた。巴の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「こいつの姉ちゃんに授かりものができたんで、まあまだ日にちにゃ余裕があるはずなんだがな。どうしてもって聞かないわ、ほっときゃ一人で登っていこうとするわで、もう、仕方なく……」
「おお、それはめでたいが……おつかれさん」
「どうも……」
まあもちろん嘘である。言い訳に使われた巴は不服そうに頬を膨らませて拗ねているが、猟師には別の意味に捉えられるだろうからいいだろう。同情の眼差しを送ってくる猟師は、巴の様子にそこを深堀りするのはやめたらしい。
「じゃあ姉ちゃんはミレア村にいんのかい?」
「いや、もう少し上の、特に名前もない村だって……だよな?」
「うん」
巴が淀みなく頷くのを見て、猟師の目から疑念がきれいに失せる。子供の言葉は強力だ。大人は彼らを無垢で純粋で、嘘も下手だと思い込んでいるから。
「というわけで、そちらも食糧事情は厳しいだろうが一晩宿貸してくれ」
「そりゃあ構わないとも。けど宿はうちはないからな。誰かの家に泊められないか、村長に話通してやるよ。まあうちでもいいがね」
「助かる」
気のいい猟師の言葉にほっとして、――ひとつだけ、最重要事項を先に忠告することにした。
「ちなみにこいつめちゃくちゃ食うから」
「……おう?」
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