寒椿

「あ、おはよう閃。買い出し?」

「……おはよ、暁。そっちは出立か?」

 巴を部屋に置いて宿屋を出たところで、大荷物を抱えた暁と出会した。「温泉が気持ちよくて長居しちゃったけど、これ以上寒くなると流石にね」と朗らかに笑う彼に、閃も苦笑する。気遣いは指摘せずに受け取ることにした。

 暁は村はずれの農家に馬車を預けているそうで、ちょうどいいからと共に村を歩く。彼の隣をほぼ手ぶらで歩くのは気が引けたが、所詮は他人だ。他人の財産を預かるのは、預けるのと同じくらい、いざこざを生む。信頼の有無ではなく節度の問題だ。危険リスクは当然避けるべきで、手前勝手に相手に善性を求めるのはいっそ傲慢だろう。その辺り、新米商人は認識が甘かったようで、重荷にふらつきながら身軽な閃を恨みがましげに見てくることに、閃の方がよっぽど呆れた顔をしてしまった。

「お前……まじでちゃんとしないと食いモンにされるぞ」

「すみませんでした……」

「商人なんて相手につけ込んでこそだろ。逆につけ込まれてどうする」

「それは穿ちすぎ……じゃないのかあ」

「じゃねえよ」

 もちろん足元を見すぎる商人は嫌煙される。が、あまりに人が好すぎているのも取引相手として不安になる。騙されて粗悪品をそうと知らずに仕入れさせられてはいないか、とか。

 世の中、悪が栄えるとまでは言わないが、残念ながら、善性だけでやっていけるほど優しくもない。

 とはいえ、大荷物を持たせたまま買い物に付き合わせるのも悪い。通りすがりに登山に必要な物資を売っている店や登山路の入り口に繋がる道などを教えてもらったが、その場で買ったり確認に行ったりすることはせず、農家まで着いていく。

「……思ってたより良い馬車使ってやがる」

「やがるとはなんだよ。野盗対策ですぅ〜」

「野盗気にすんなら、お粗末に見せたほうが良いだろ」

「ぼろいと寒いだろ」

「前言撤回が早い」

 柵の向こうから葦毛の馬が顔を寄せてきたので、閃はその額を撫でる。毛並みがいい。いいものを食べているのだろうし、元々の血統も良さそうだ。撫でられる手つきにうっとりと目を細めても、押しは強くなく、行儀良くしている。農家で飼われているのだろう馬や羊たちの方が横からわらわら集まって、頭を押し付けたり、舌を伸ばしてきたりするので慌てて離れた。暁だけならまだしも、農家の人間の目もある。もみくちゃにされた弾みで覆いフードが外れるのは避けたい。揃ってしょんぼりした顔をされて良心が痛む。

 閃が動物たちからじりじりと距離をとっている間に、御者だろう男の手伝いのもと、暁はせっせと荷物を馬車の荷台に積み込んでいた。積み終えて振り返ると柵のすぐ向こうで毛玉がわっさわさしているのでぎょっとした。

「えっなに。またたびでも持ってる?」

「猫じゃねえんだわ。持ってないし」

「いや……すごいですね。こんな状態初めて見ます」

 農家の人にまで言われてしまった。柵のこちら側にいる牧羊犬まで閃の足元でうろうろしている。しゃがんで首元を撫でると、ころんと腹を向けた。

「……すごい、ですね」

「……野生は、ここまでじゃないんですけど。人に馴れているやつは……うん……」

「……柵、開けたらみんな出てきそうなんだけど」

「……戸と逆方向に移動するからその隙に」

 立ち上がると牧羊犬も起き上がって、その時点でしょっぱい顔になった。閃が移動すると家畜たちも柵に沿ってぞろぞろとついていく。

 葦毛の馬もついて行こうとしていたが、御者が呼びかけると足を止めた。他の動物たちが十分離れたところで柵を開け、暁の馬だけをそこから出し、すぐ閉める。

 馬を繋ぎ、走り始めた馬車には乗らず、暁は行きと変わって身軽になった身体を伸ばしながらのんびりその後を追いかける。朝の内に雪の掻かれた道の、新たにうっすらと積もった新雪に轍が伸びていく。

 ふと、振り返った。少し遠ざかった農家が映る。閃がどうにか牧羊犬を飼い主に返そうとしているところだった。細袴ズボンの裾を噛まれて引き留められている。

「ほんと、懐かれてるなあ」

 零れた笑みを顎まで引き上げた防寒具に吹き込んで、暁は目を細める。琥珀色の瞳に浮かぶ感情は、慈愛に似ている。

「―――――」

 うたうように呟かれた言葉は、ふわりと舞い散る白に紛れて、消えた。



「それじゃ。寒さには気を付けて。温泉気持ちいいからって長居すんなよ~?」

「どういう立場で言ってるんだお前は」

 村の入口で、先に辿り着いていた馬車に乗り込む前に、暁はからかうように笑った。閃も苦笑で返す。

 馬が一声いななく。そちらを一瞥し、暁は琥珀色の瞳を細めて手を差し出す。

「また会えるといいな」

「……そうだな」

 その手を握り返して、あっさり別れた。

 互いに根無し草だ。再会の確率は高くないことを、どちらも理解していた。


 離れていく馬車にひらひらと手を振って、村に戻ろうと踵を返す。そして、ふと、閃は足を止めた。

 白の中の鮮烈な赤。入口の脇に植えられた椿。誰かが手入れをしているのか、華も、葉も、艶やかに色づいている。

 だが、どうしてか。まだ落ちるには時期が早いのに。


 掻かれずに残った硬い雪に、椿が二輪、潰れるように沈んでいた。

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