魔術と朝食 その四
「君感知もへたくそだよね。確かに遠距離になるほど『世界の定義』はわかりにくくなるけど、定義に沿って魔力流せばいけるでしょ」
「簡単に言うけどな……そんなバカスカ使うほど魔力に余裕ないし、確かそれ魔力操作物凄く繊細だろ。やってられるか」
「……雑な自覚あるじゃん」
「いいんだよ、歪められれば。殺すのも避けるのも逃げるのも収納するのも、それで事足りる」
閃はふてくされたように目を逸らした。また巴の椀が突きつけられる。もう鍋をそのままやった。
「まあ空間魔術便利だよね。汎用性も高い方だし」
そうぼやいて、巴はお玉で鍋を掻っ込み始める。流石に暫く口は塞がりそうだと、今の内に閃も自分の椀を食べきってしまう。五、六人前を余裕で食べ尽くす子供を見ていると椀一杯で満足する自分が小食であるように感じる。間違いなく錯覚だが。
空間の『つながり』を断ってしまえば、当然その場所にあった物体も繋がれずにそこで断たれる。閃の――『黒髪の殺人鬼』たちのつくる死体が、どれもこれも豆腐でも切ったように綺麗な断面をしているのはそのためだ。武器の切れ味など関係ない。彼らは武器で物を斬っているのではなく、武器を触媒に空間を斬っているのだから。空間に剣を滑らせるのに何の抵抗もあるはずもない。
巴のお玉が出汁の中から何も拾い上げられなくなったところで問いを投げかける。
「そういやなんで闇属性だけ『闇』なんだ? 他は確か、一番干渉しやすいものの名前なんだろ。それに則るなら空間属性じゃないのか」
「語呂悪いから嫌だったんじゃない?」
「……そんな理由」
「知らないもん。まあ闇は空間に広がるものだし」
物体の『つながり』の定義を『破綻』させれば同様に綺麗に切断することもできるのだが、そうしないのは、空間の定義に干渉する方が消費する魔力が少なくて済むからだ。空間以外のものに干渉しようとすると反発のようなものがあって、『破綻』させるための魔力が排出されてしまうため、『破綻』を成立させるためには空間に対するとき以上の魔力を必要とする。
他の属性であってもそうだという。土属性は土やら石やらに対して干渉しやすく、火や水や空間には干渉しにくい。
「でも書き換えも便利なんだよ。ほら」
もちろんしにくいだけでごり押しはできる。
巴がちらと視線を向けた先で、緩やかに燃えていた焚火が轟と音を立て爆発的に燃え上がった。ぎょっとして、閃は本能的に体を遠ざける。火柱という程に燃え上がったのは一瞬。燃え盛る劫火は空中で解けるように掻き消え、焚火
「…………」
どっどっど、と心臓が激しく拍動する。こめかみから汗が伝った。火傷を負うような距離にはいなかったが、炎の穂先に肌をぬるりと舐められるような錯覚は覚えた。
「ね?」
「――ね、じゃねえよ!」
子供だろうと――子供だからこそ火遊びは許されない。
容赦なく拳を振り下ろすと、「ったあああああ!?」と絶叫して子供は頭を抱えて蹲った。
「暴力……暴力振るった……ひとでなし……」
「殺人鬼に何を言ってんだ」
「痛い……父さんにもぶたれたことな…………かったのに」
「沈黙が長い」
明白に漂う誤魔化しの気配に、閃はぶっといため息を吐き出した。子供の相手なぞろくにする機会もなかったから力加減に自信はなかったが、恨みがましげに睨み上げてくる眼に涙はない。大袈裟な
「今の何だよ」
「焚き火の火力に関する定義を書き換えた。まあ酸素濃度を局所的に高くなるようにもしたけど。逆に弄ればとろ火にもできるから料理には便利でしょ?」
「維持どうすんだよ」
「え、『固定』……あっ」
薪を足したり、距離を離したりしなくても火力を調節できるのは便利だが、土属性でなければ『固定』はできない。『固定』できなければ、世界に魔力を消去されてしまうから、延々魔力を注ぎ込み続けなければ維持できない。
世界には修正力とでも言うべき力があって、魔術的な定義への干渉は時間経過で消去されるから、やがて元通りになる。『破綻』が維持に向かないのは修正力にあっという間に消去されるからで、『固定』は重ねれば重ねるだけ修正されるのを留めるから永く保つ。今の火柱がすぐに収まったのは、巴が書き換えだけして『固定』しなかったからだ。
「やーでも失敗失敗。僕、火の類嫌いなんだよね。とっても気分悪い!」
「そこかよ」
閃がやれと言ったわけでもなし、完全に自業自得である。属性以外への書き換えを見せたかったのなら、お湯で噴水をつくるのでもよかっただろうに。寧ろ安全面で言えばそっちが百倍良かった。
巴はまたかわいこぶって笑うと、鍋に直接口をつけて残りを一気に飲み干しにかかる。
それを横目に、左脚を叩いて異空間を割った。
異空間を創るというのも案外定義が面倒で、座標点で指定すると其処にしかない。閃が移動しても異空間は付いて来ない。だから自分の体と連続した空間を歪めて、創っている。剣なら手のひらと連続した場所、食料品は右脚で、日用品や雑貨は左脚、といったように。
ベリジャニアで買った書籍を取り出す。そういえばあの移動式本屋の店主は巻き込まれて死んでしまっただろうか。そうだったのなら残念だ。死んだ人間は殺せない――殺すのは、タノシクて、キモチガイイ。
「黒髪」
白藍の瞳に、頭がくらくらした。指先に力がこもって、本の表紙がくしゃりと
「流石に此処でやり合うと輪ちゃんにバレるかなあ」
「――……俺もバランサーのガキ殺して本格的に手配されんのは御免だ。お前は回収してほしいが」
「回収かあ……されたことないなあ」
「なんでだよ……」
一応、一師団の
さっきの火柱が仲間に現在位置を知らせるための狼煙か何かかと疑いもしたが、この様子だとそうでもなさそうだ。犯罪者と警察が、警察組織に捕まりたくないという方針で合致するのはどうかと思うが。
表紙の皺を伸ばしながら、お湯の入った鍋を引き寄せる。すっかり空になった鍋に拳の大きさの軽石を放り込み、お湯を3分の1ほど注ぐ。シャボン石という渓流で採れる石だ。水に浸しているとその水を泡状に変えるため、皿洗いには非常に便利だ。椀やお玉なども泡が膨らみだした鍋の中に入れる。
「で。お前何のつもりだ?」
「何の、って?」
空とぼける巴の声。とーんと上がった調子は白々しい。きっとまたあのムカつく顔をしているのかと思うと、見る気にもならなかった。
魔術の話。書き換え、属性の特性。
それができないことを、できても雑なことを責めて。ちゃんとやれと言うこと。
それ自体がおかしい。
「殺人鬼に技量伸ばさせてどうしたいんだって訊いてんだよ」
僅かに濁った青空の端、雪山の上に坐す朝陽は凍りついたように白く。
この子供の眼と同じ色をしている。
「そうだなあ」
ひゅーいひゅーいと風の音。鳥の声。火が揺れ、ボウと鼓膜を塞ぐような音が一瞬。
緩やかな時間の中で、濡羽の黒もまたゆるく
どうでもいいなと、巴は思う。
大多数の振り翳す思想も、少数の抱える苦しみと諦念も。
正義も、悪も。
真実も、
殺された
どうでもいい。
どうでもいいことだらけだ。
どうでもいいことだらけだから。
「君、うちの組織に入る気はない?」
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