魔術と朝食 その三

 ちょうど良い煮え具合になったから、最後に黒胡椒をひとつまみ。軽くかき混ぜて鍋を火から下ろした。

「わーい豚汁。大盛りで」

「はいはい。豚じゃなくて羊……いやラクダか? メーエンキャメルって分類どっちだ? 味は豚なんだよな……」

「美味しければどうでもいい」

「……そうかよ」

 木をくり抜いて作った椀に中身を注ぐ。ごろごろと大きな野菜に、これまた大きな水餃子でぎゅうぎゅうになった椀に汁を注ぎ足し巴に渡すと、彼は嬉々として食べ始めた。毒を盛られているなどとは考えないらしい。確かに鍋は自分も食べるから入れられないが、食器に塗る分には関係ないのに。

 続いて白麺麭パンの表面を軽く炙って平皿に乗せて差し出すと、ニュッと手が伸びてきた。大して小さくもないのに二口で消える。

「喉詰まらすなよ」

 栗鼠りすの頬袋のようになっている子供の顔を見てげんなりし、閃も食べ始める。器に口をつけると肉野菜から沁み出した鮮やかな風味と黒胡椒の刺激が鼻孔をくすぐる。立ち上る湯気に目を細め、こくりと一口。防寒をしていたとはいえ、身体は冷えていたらしい。出汁の旨さと共に熱まで染み渡る。自分の作る料理の味なぞすっかり慣れてしまっているが、使う食材によって味わいが変わるのは感慨深い。

 自分にはちょうどいいが子供の舌には胡椒が強すぎたかとほんの少し心配したが、全く気にせずに食べていたので本当に余計な心配だった。

 匙で二口食べた頃に「おかわりいいよね?」と声がした。思わず半目になる。閃の返事も聞かずに、巴は椀におかわりを注いでいる。食べ方が早い。がっついた所為で、口元が汚れている。注ぎ方も、雑すぎて中身がぽたぽた地面に落ちている。

「お前な、もっとゆっくり綺麗に食えよ。腹壊すぞ……て、あーもうこぼすな! 椀を鍋に近づけりゃいいだけだろが。なんで離してやるんだよ! 無駄に食うくせに食材を無駄にすんな!」

 椀とお玉を奪って注いでやる。その間口の周りを拭くようにとちり紙を押し付けた。巴は微妙な顔をしてちり紙を見やる。

「……君って結構真面目だよね」

「馬鹿にしてんのか?」

「褒めてるよ」

 怒気を込めて言うと、巴はとんでもないと言うように首を横に振った。ぐしぐしと口元を拭い、微妙に拭い終えないまま二杯目を食べ始める。閃はため息を吐いた。真面目も何も、常識的なことしか言っていない。というか、この、放浪が趣味で仕事嫌いで部下を着信拒否するような警察に比べたら、誰だって真面目の内に入りそうだ。


「まあつまるところ……定義の書き換えっていうのひふんは……んぐ、魔術の基礎も基礎なわけで」

「食いながらしゃべるな。行儀が悪い」

ういうとこ」

 ほんとに真面目だなと真顔になって頷く巴に、閃は怪訝そうな顔を向けた。殺人鬼に行儀を指摘されるというのは面白いと巴は思うが、理解は得られそうにない。

 んぐんぐと飲み干して再び空になった椀を差し出すと、閃はため息を吐いたが、それを受け取りお玉を手に取った。

「でね?」

「おっまえ」

 話すために食事をおろそかにしたくはないが、おかわりを注ぐ間なら話しても行儀も悪くならないという魂胆だ。せめてもの抵抗にまたベチャベチャになっている口の周りを拭いていろとちり紙を押し付けるが一瞥もくれない。

「書き換えができないのはどうかと思うよ」

「……別にできてなくないだろ」

「あのザマで?」

 言い返すが巴は取り合わない。もうさっさと注いで突っ返そうと、改めてお玉を握り直す。

「『破綻』は書き換えとは言わないんだよ。というかそっちも超雑だし」

「雑でもちゃんと働いてるんだから問題ない」

「ええ、ほんとにないと思ってる? 空間転移しようとしてうっかり本棚と混じり合って、」

「やめろやめろ。思い出させるな」

 椀を置く勢いが過ぎて少し汁が跳ねた。恨みがましげな目で見られるがそれどころではない——というか自分は盛大に零しておいて人の失敗に過剰反応するな。性格が悪い。子供だから許される範囲かどうかは微妙なところだと審議する。


 空間転移……閃の空間転移は、二点の座標の空間の『つながり』の定義を破綻して、その二点が連続するように空間を歪めることで成る。その座標の片割れに踏み込めば、もう片方の座標に移動できる。鐘塔の一階から頂上まで、一瞬で移動できる。原理上は、遠く離れた都市にも、別の大陸にだって跳ぶことができる。

 原理上は、だ。危険リスクは当然ある。

 あくまで離れた空間を繋げているだけだ。移動先の座標に何か——それこそ本棚などが置いてあったとして、それを押し退けられるわけではない。正確には、押し退けることはできても、本棚全体を押し退けられるわけではない。

 端的に言うなら、本棚の中に転移してしまって合体してしまった。棚板や底板にがっつり腕や脚を噛まれて外れない状態だ。本棚自体を壊してしまえば脱出はできたが、その瞬間は肝が冷えた。

 今回は自分の肉体が本棚に食い込んだ形だったが、逆に本棚の方が肉体に食い込んだら……その状態によっては四肢どころか首がちぎれることもあるだろう。想像するだけでゾッとする。ろくな死に方ができるとは思っていないが、そんな意味不明な死因は嫌だ。

 あれ以来、閃は空間転移を基本的に視認できる距離間でしか使っていない。単純に長距離に渡るほど消費魔力が増えるからという理由もあるが、一番はそれだ。トラウマになった。鐘塔で使えたのは、あの塔全体を被覆コーティングするように魔術がかかっていて、構造の把握がしやすかったからだ。塔に属しない、後から置かれた物などの有無はわからないが、階段なら物が置かれていることもない。

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