勧誘

「………………………………は?」

 たっぷりと沈黙の後、閃は間の抜けた声を零した。

「まじかお前」

「大真面目だよぉ」

 にっこりと笑う白藍の眼からは真剣さも窺えないが、まるっきりおふざけだとも思えない色をしていた。普段がふざけてばかりだから、それが薄まっているというだけでもゾッとする。

「……いや、いやいやいやいや馬鹿じゃねえの!? 知ってたけど! 馬鹿だと思ってたけど! 俺が殺人鬼だって何度言えばわかんだよ!?」

 巴の組織は、即ち警察だ。魔術犯罪専門の国際警察。犯罪者を取り締まる為の組織だ。

 ――殺人鬼の敵だ。

 頭の螺子ねじが外れている奴だとは思ってたが、実際には螺子の代わりに竹輪が挟まっていて、更に歯車の代わりに蓮根が詰まってるような頭だったらしい。そんなことを考えていると、すごく失礼なこと考えてない? と巴に尋ねられる。巴はぷぅと膨れ面を作る。

「警察なんて君と大して変わんないよ」

「はああ? 変わるわ。対極だろ」

「——おんなじ人殺しでしょ?」

 ひやりと、温度が下がった。閃は巴の顔を凝視する。なんでもないような顔をして――しかし少しだけ、嘲りの気配を滲ませて、巴は続ける。

即時殺害許可αクラス状況により殺害許可βクラス……そのクラス分け自体がその証左じゃないか。御国の許可を以て人を殺める。必要性・必然性があれば人殺しは正当化される。人殺しは罪であると定めておきながら、許可が降りれば無罪で、尚且つそれは正義で栄誉らしいよ」

「……それは、」

「許可って何だろうね。許されるって、何だろう。そいつはどんな立場で、どんな権利があって、誰かのことを死んで善しと決めているんだろう」

「……」

「必要性って何だろうね。生活に困窮して他人から奪うのは、必要性があったからじゃないか。でもそいつは裁かれる。そうしなければ自分が死んでいたとしても、それは必要性と認められないらしい。警察や兵士との違いは何だろうね。武器を向けられていたか否かな。でも戦時中は兵団が敵国の村を襲って物資を略奪することもあった。武器も持たない民を虐殺することもあった。けどそれらは明確に罪ではなかった……戦争の勝敗がつくまではね。武器もなく、殺意もないようなやつを騙し討ちしても、それが許される状況なら無罪だ」

 百人殺せば英雄、という言葉が脳裡を過った。それはまた違う文脈で使われた言葉だったが……十人殺す人間一人を殺すのが警察だ。数が殺人を神聖化する。戦争では殺した人数の多さに重きが置かれ、治安維持組織は、殺された人数の少なさに重きを置く。

 ……だけど、そうして、十人を殺す前の一人を殺して、殺し続けて。十一人を殺した警察官の罪は、


「……ほら。警察と殺人鬼の違いなんて、殺す対象が犯罪者限定か、無辜むこの民まで含むのかっていう、たったそれだけの違いでしょ?」


 大根役者のように大仰に肩を竦める、その仕草の幼さにやっと、閃はこれが十ばかりの子供だと思い出す。

 生き物の皮膚がべろりと捲れ上がって、血を滲ませる筋や骨を直視させられた、そういった、隠されていた醜悪なものを垣間見てしまった悍ましさがあった。思わず怯んでいた。もうすっかりとその印象は拭い去られてしまったけれど、あまりに綺麗な切り替わりは、逆にいっそう不気味でもある。

 だけど不気味だと思うからこそ、冷静にもなった。

 巴は初めに言った。閃を警察組織などに誘った。立て板に水の如き言葉の羅列は、「警察と殺人鬼は違う」と言った閃への——説得、だったのだろう。言葉に込められたナニカの密度のせいで、鉄砲水に襲われたような気分だったが。

 本に手を伸ばすことでニコニコと幼く笑う子供の姿から目を逸らし、閃は一度息を調える。


 十人を殺す前の一人を殺し続けて。十一人を殺したとき、そいつの罪は十人を殺さなかった殺人鬼たちより軽いのか。

(軽い、だろうな。どころか、罪ですら、ない)

 命の重さは平等ではない。命の価値は、その人の生を願う他者の数によって定められる。死んで善い人間は、いる。誰にも求められない、生存を望まれない命に、価値は、ない。

 そのことを、『呪われた子』である閃は知っている。

 ずっとずっと、知っている。


 息を調えて改めて巴を見遣れば、相変わらずニコニコ笑いながら、白藍の眼だけがじっと観察してきていた。本当に、嫌いな眼だ。

 だけど妙だとも思う。あのままの調子だったら、呑まれていたかも知れなかった。巴がやけにわざとらしい仕草をしたから、状況を思い出せたのだ。その詰めの甘さは閃としては幸運だったが、巴の立場からしたら失敗だ。だけど口惜しがる様子もない。失敗に気づいていないのか、それとも何も考えていないのか、

(失敗ではなく、何か意図があって詰めを甘くしたのか、)

 だが詰め切らないことにどんな利点があるのか、今持っている情報からは推測できない。だからと言って無闇に踏み込むのも得策ではない。

 そこまで興味はないと表すために天幕の片付けに取り掛かりながら、話を繋げる。

「別に率先して殺しにいくわけじゃないだろ、警察は」

「そう? 僕は割と率先して殺すけどね。βクラスも」

「……おい」

「だって僕たちが相手取るのは魔術師か魔術使いだから……まあ時々魔術具を使ってるだけの一般人もいるけど。拘束に手間がかかるような奴は、拘束しようと頑張るよりも殺した方が効率的でしょ?」

「俺みたいな?」

 訊けば、巴はにっこりと笑った。何より雄弁な表情だった。

 巴の『固定』を閃は『破綻』させられる。拘束されても、時間をかければ逃げ失せられる……巴が傍で延々『固定』を掛け直しさえしなければ。この放浪癖にとって、それは本当に面倒で、避けたいことらしい。

 さりげなく、左手は空けた。いつでも武器を取り出せるように。

 巴は心外そうに肩を竦めた。

「怖い顔しないでよ。言ったでしょー?」


 僕は、君にうちの組織に入って欲しいんだって。


 きろりと、金色の瞳が巴を睨む。

「なんで」

「黒髪――闇属性は母数から少ない。母数が少ないのに加えて死亡率も高くて、殆どは十も生きられない」

 誰かさんが殺すから、という目で見られて、閃は口を曲げた。

「俺が殺さなくたって死んでんだよ。十も生きれりゃツイてる方だろ」

二十歳ハタチも生きてる君が言う?」

 呆れたように言われた言葉には反応しない。縄を解き天幕の布を下ろして畳んでいく。畳み終わったら異空間に突っ込む。

「だけど、闇属性の魔術は強力だ。本来なら教育機関を経なければどんだけ魔力があろうが魔術師としては使い物にならないけど、君たち黒髪はそれもなしに破壊的に魔術を行使する」

「即戦力としての黒髪の登用か?」

「老害どもが邪魔で一斉登用はできないんだけどねぇ」

 頭の古い彼らは、黒髪に関するカビ臭い言い伝えを未だに信じている。それでも、十分な成果を出してしまえば、黙るしかないだろう。

 骨組みにしていた木材が分解されていく様をぼんやり眺める。暇なら皿洗えとつつかれたが、体がまた冷えそうで嫌だったので聞こえなかったことにする。

「爺どもさえ黙らせば、あとは簡単。十分な賃金と衣食住の保証、勿論休暇だってあるし残業代だって出す。多くの場合劣悪環境に置かれている彼らは、きっと飛びつく。あ、組織内での差別が起こらないようにもするよ。と言うか別に魔術師界隈では『黒髪の呪い』なんて所詮は『破綻』の事故でしかないってわかってるし。成果を出し続ければ一般人たちからの黒髪の見方も変わる。家族ごと村八分されることもなくなるでしょ」

「それで、お前は俺を、その最初の一人にしたいわけか」

 天幕を片付けきって振り返ると、巴は寝転がって、閃が放置していた書籍を斜め読みしていた。自由すぎる。

「成果を最短で出すには強い奴を誘うのが早いでしょ?」

「例え殺人鬼でも?」

「僕が拘束する手間も省ける」

 にっこり。白藍色の底が知れない。

 閃を完全に拘束しようとするなら、巴はずっと彼の傍に居続けて、魔術をかけ続けなければならない。そんな面倒ないたちごっこをする気はない。

 いたちごっこを避ける手段は二つだけ。


 閃は巴を睨みつけ、ふんと鼻を鳴らした。金束子を取り出して、泡だらけになった食器を洗い始める。

「お前ばっか得するのは御免だな」

「やだなぁ。君にも悪い話じゃないと思うけど?」

「何処が」


「国境を越えられるとことか」


 ぴたり、一瞬金束子を握る手が止まり、また再開する。泡は少量の水で濯ぎ、布で丁寧に拭く。

「国際同盟の加盟国だけだけどね。でも悪い話じゃないはずだ。現状、黒髪の子にはあらゆる人権が認められていない。当然国家間の越境権だって無い」

 例えつ国へ行こうとしても、閃では関所を抜けられない。その点国際警察は、警察証を見せるだけで同盟国には自由に行き来できる。中でもバランサーは、《くじら》や《いるか》に乗っていれば通り放題だ。

 だが。


「断る」


 揺らがない口調で、閃は言い切った。シャボン石を乾いた布で拭き水気を取って、全て片付けは終了だ。ぱちくりと大きめの瞳を瞬かせる巴の手から、本を奪い取る。

「どうして?」

「どうしても何も、俺の目的は黒髪を殺すことだ。お前の最終目的に合致しない」

 閃が旅をしているのも、場合によっては外つ国に向かう必要が出てくるのも、結局はそれが目的だ。黒髪という即戦力を手に入れたい巴の思惑とは真逆と言っていい。何故即戦力が欲しいのかは知らないが……どうせ彼のことだから、人手が増えれば放浪しやすくなるとかそういう魂胆だろう。

「じゃあ外つ国にはどうやって行くの?」

「そもそも行かなきゃならないような状況になったこともまだねえし、いざとなりゃどうとでもできる。関所以外を通るか、役人を鏖殺おうさつするか――」

 巴の襟首を掴み上げる。反射的に、小柄な手が閃の腕を押さえる。


「お前を殺して警察証って奴を奪うか」


 緋を帯びた金色の双眸が品定めするように細められる。ざらりと、炙るような殺気。

 強ばらせた体から力を抜き、巴は挑発的に笑った。ぴくりと眉を吊り上げて、舌打ちを零す。閃は襟首から手を離した。死んでくれといくら口にしていても、手ずからは殺すつもりがないことを見透かされている。

「とにかく、方法ならいくらでもある。他当たれ」

「そうかー……残念だなぁ」

 土を被せて火を消す。野営の片付けはこれで完了だ。

 閃は静かに緊張を高める。本当に残念そうな顔をする彼が、殺しかかってこない保障はない。いや寧ろ、殺しかかってくるのが道理だろう。拘束に手間のかかる犯罪者は殺すと、巴は言っていたから。

 けれど巴は、楽しげに笑って立ち上がった。後頭部で結んだ髪がぴょこりと尻尾のように跳ねる。


「じゃ、行こっか。ジダ村はチーズが美味しいんだよ。メーエンキャメルのミルクも美味しかったけど、また風味も違うんだよね」


「……なんでまだついてくる気なんだよ」

 しかも目的地割れてるし、また俺に買わせる気だし。閃は頭を抱えた。巴はきゃらきゃらと笑うばかりだ。

「……とりあえず、口の周り酷ぇぞ」

 もう一度ちり紙を突きつけた。

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