雪山の麓

 村の入口。ほたほたと降り積もる白雪の中に、真っ赤な椿が目にも鮮やかに咲いていた。

 普段なら足を止めて眺めただろうが、今回ばかりはその暇もなく、閃は通りすがりに一瞥だけして足早に村に足を踏み入れた。なにせ、

「………………」

「……おい、死ぬな」

 ……小脇に抱えた子供があまりに寒さに震えていたので。


 ジダ村に着いたのは、ベリジャニアを出て三日ほど経った日暮れ近くだ。寒冷期間近の冷え込みは大層厳しく、既に防寒着を買っていた閃はともかく、薄くもないが厚くもない団服と付属の水色の外衣マントしか持たない巴は、毛布にくるまりながらの旅になった。

 村に着いてすぐに宿で安い部屋を借りてそこに巴を放り込み、閃は店を探しに宿を出た。ついでに村をぐるりと見て回る。といっても小さな村だ。四半刻程度で回り切れてしまう。

 村の規模や、住民の衣服の質のわりに、石造の住居は思いの外立派な造りをしていた。民家は1軒につき2、3の家族が暮らす集合住宅だ。村のはずれの方に家畜を育てている農家が見えたが、そこ以外の家はすべて住宅の前、あるいは側面に露店を併設してあった。この露店もしっかりしたものだ。

 雪山にある集落と、雪山以外の地域の、商品の仲介の場であるらしい。御国からの資金援助があるのだろう……昔から、今でも。このあたりの雪山――正しくは山脈と呼ぶべきあたりには鉱脈が通っている。貴重な鉱石が採れる。単に綺麗で珍しいものも、軍事や生活に利用できる機能をもったものも。雪山の住民が採ったそれらがここに運ばれ、商人たちが持ってきた食糧品や衣類などと交換されて流通に乗っていく。

(未だに採り尽くされていないってのは不思議だけどな。つーか殆ど手が入ってないよな。隣の旧ネイジャー領なんかじゃ鉱山のいくつかはとっく閉山されたし、旧ジャーニュイ領とフォルテズの境の鉱山ももう先細りに入ってるらしいのに)

 考えながら雪山を見上げる。頂上どころか既に4分の3以上雪に覆われたその山は、夕陽を浴びて、とろけるような赤色を帯びていた。

 この山脈だけは、先住民の手による、彼らの生活に必要なだけの採取以上のことを行っていない。鉱脈の規模で言えばかつて旧ネイジャー領にあったのと同等かそれ以上だろう。極寒の地といえども旧ネイジャー領の鉱山もそうだ。技術ノウハウは既に確立されている。『聖域サンクチュアリ』のように強力な魔物が支配している、というわけでもない。手をこまねく理由はない。

(……北の大国だったネイジャーは、鉱山のいくつかが先細りし始めた段階で、隣にあるこの雪山に目を付けた)

 先住民たちがぽつぽつと集落をつくっているだけの、どこの国の一部でもない未開の地。だから強引に、先住民たちの家も生活も全部踏み躙って、彼らが壊し過ぎないよう丁寧に守ってきた自然を破壊しつくしても誰も文句を言わない……はずだった。

(だけど雪山の南側にある小国二つ、ジェイシェンタークと、当時のアルタニア国に邪魔された)

 ネイジャーと比べては二つ足しても敵わないような小国だったが、立地が良かったのか、軍隊の質が良かったのか、長い間その侵攻を堰き止め、終いには逆に大国を食い尽くした。

 その当時のアルタニア国王の意思を、まだ守っているのだろうか。……そんな甘さを上層部が持っているのかは甚だ疑問だが。


 着いたときには燃え立つ夕焼けで赤く染まっていた村も、買い物を終える頃にはすっかり暗くなっていた。赤に夜と雪の紺が混じり、複雑な紫色に濡れている。夜が早い。急激に冷え込む。

 分厚い窓掛カーテンで塞がれて家明かりも漏れず、街灯もない。だからと言って蝋燭を使うのも勿体ない。本格的に暗くなる前にさっさと帰ろうと宿に足を向ける。疲労も溜まっている。情報収集は後回しだ。精々、宿の従業員や他の宿泊客に訊くくらいにして、


「――お客さん!?」


 雪降る閑かな村に響いた声に、なんだろうかと閃は振り返った。何処かの店で揉め事でも起きたのか、と。野次馬根性と言うと人聞きが悪いが、狭い村だから厄介事を避ける為にも事情は把握しておこうと、それだけのつもりだった。

「お客さん! やっぱりお客さんだ! 良かった、無事だったんだな!」

 よもや自分に呼びかけているのだとは思わなかったのだ。

「あんたは……」

 喜色満面、という顔で駆け寄ってきたのは、閃とそう年も変わらないだろう青年だった。紫がかった薄暗闇の中、篝火かがりびが浮かび上がるように赤い髪が揺れる。顎までかかる防寒着を引き下ろして見えたのは、何処か憶えのある顔だ。後ろ暗いところのなさそうな雰囲気と「お客さん」という呼称からして、旅の途中で知り合ったの商人の一人だろう。何年も旅しているとすれ違った程度の商人たちの顔なんて余程特徴的でない限り忘れてしまう。向こうも大概はそうだろうと思うが、相手はまだ年若いし、もしかして会ったのは最近だろうか。

「お客さんと別れた後割とすぐに俺ら街を出たんだけど、その後になんかすごい殺人事件が起きたって聞いて! 心配してたんだけど、お客様も巻き込まれずに済んでたんだな! 良かったぁ!」

 黙っている閃の肩をバシバシと叩いて、青年は涙する勢いで安堵している。


 俺、すごい殺人事件。言葉を拾っていって、思い出した。

 ベリジャニアにいた二人組の商人の、孫の方だ。


 律が暴れた大通りは彼らとも話したところだったから、てっきり巻き込まれたのだろうと思っていた。

「あんたこそ無事だったんだな……ばあさんは?」

 辺りを見渡しても、老婆の姿はない。さっき「俺ら」と言っていたから、無事なはずだけれど。青年はああ、と肩を竦めて苦笑した。

「ばっちゃんなら宿。老体には寒さは堪えるんだーとかなんとか言ってるけど、ほんとのとこ俺に買い出しさせて温泉に入り浸ってんの。酷いと思わない?」

「そりゃ大変だな。俺も似たようなもんだけど」

 お互いの腕に抱えられた荷物を見る。青年はきょとりと目を瞬かせた。

「お連れさん? いたの?」

「……まあ。いたというか増えたというか」

「はー。まあよい道連れは馬車も同然旅は道連れ、世は情けって言うし、ね!」

 そうだな、と返した笑いは乾いていた。果たしてアレはよい道連れなのだろうか。宿の一室で毛布にくるまった巴がくしゃみをしたのだが、閃は知らないことである。

 閃の反応を青年は訝しがったが、ぶるりと寒さに身震いした。日が落ちて気温も下がって来ていた。防寒着に顔まで埋めて、彼は提案してくる。

「と、とりあえず宿に戻ろうよ。風邪ひいちゃう……」

「そうだな。あんたは……」

「あ、そういえば名乗ってなかったな」

 青年は荷物で塞がっていない方の手を、閃に差し出した。

「俺、アキって言うんだ。よろしく」

 穏やかな赤毛に琥珀の瞳をした青年は、そう名乗った。手を取ろうとした閃の動きが不自然に止まる。

「……? どうかした?」

「いや……」

 不思議そうに訊かれるが、正直閃にもわからなかった。ただ、何か、頭の奥深くに刺さった棘が存在を主張するような、そんな感覚に苛まれたのだ。けれどそれが何なのか、わからない。釈然としないまま、動きを再開して暁の手を握る。

「……閃だ」

「うん、よろしく。閃」

 暁はにこにこと笑って、閃の手を握り返した。

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