魔術と朝食 その一
この世界の総ては在るべき形に在るがままに定義されて存在する。
大気に雲に星に月に太陽に、山に川に海に大地に。路傍の石一つ、砂粒一粒にも、無数の定義が
あらゆるものは世界に定義されて存在する。
あらゆるものは定義が遷移して在り方を変える。
あらゆる生物の肉体も、魂も。
世界の定める定義は、人が魔力と呼ぶ力によって編まれている。それ故にあらゆる存在は多かれ少なかれ魔力を内包する。定義が魔力であるからこそ、魔力を以て干渉することで定義は書き換えることができるのだ。定義が変われば、その存在の在り方は、その定義の通りに変化する。
魔術とはすなわち、定義に干渉する術だ。
魔術師とはすなわち、定義に干渉するに足る魔力を有している人間だ。
「なんだ唐突に。ここはいつ学舎になった」
「青空教室だね」
「教師が布団つむりになってる学舎とは」
抗菌石——文字通り殺菌作用のある鉱石でできたまな板の上で野菜を適当に切りながら、閃はツッコんだ。
陽が昇ってもまだ寒い。巴は起きてきはしたものの、布団に
「魔術で寒さどうにかしないのか」
「無理かな。感覚麻痺させたらそりゃ寒さは感じないけど、それで身体が「あ、寒くないんだ」って誤解して血管収縮もせず放熱しまくったら体温下がるだけだもん。空気の温度を上げたところであったかい空気は上昇してくんだからこんな開放空間じゃ意味ないし、空気を無理やり地上に留めてもそれはそれで呼吸できなくなるし」
「はー。じゃあとりあえずこれでも飲んどけ」
要するに、寒さの対処はできても他に問題が出てくるということだ。つらつらと紡がれる言葉を半分以上聞き流しつつ、焚き火にかけていた鍋の片方からお湯を少し小瓶に入れる。小瓶の中に入っていた赤い粉末をお湯に溶かし、その中に更にとろりとした透明の液体を入れて
「なにこれ。毒?」
繊維の浮いた真っ赤な液体を朝陽に透かし、軽く揺らす。
「ただの唐辛子。水鈴蘭の蜜混ぜたから多少は辛さもマシだろ」
「やっぱ毒じゃん」
「蜜には毒ねえよ」
水鈴蘭は、花弁が無色透明になっている鈴蘭だ。水風船のようなもので、軽く潰すと弾けて液体が出てくる。本当に水のように粘度もなく、酷く甘い。そして猛毒でもある。ひと舐めで心臓が止まる。葉や茎や根や花粉も、通常の鈴蘭と同様に毒を持つが、花弁の毒よりはマシだ。水鈴蘭の中で唯一毒がないのが蜜だ。虫に花粉を運んでもらうのだから当然と言えば当然のこと。
水鈴蘭の蜜液も花液もどちらも無色透明、粘度も同じで水のようにさらさらとしている。蜜液と偽って花液を人に渡し、殺す、という事件も過去にはあったらしい。
「ちゃんと売ってたやつだから大丈夫だと思うけどな」
閃は水鈴蘭の蜜液を口に含む。ひと舐めで死ぬと言っても飲み込まなければ
巴は閃に異変が起こらないのを見守って、手元の瓶に視線を落とす。見るからに激辛の、真っ赤な唐辛子の色。蜜液を混ぜたからと言ってどの程度緩和されるのだろうか。だがしかし、寒い。布団に包まっていても震えが止まらない。それがマシになるのなら……喉を引き締めると一気に赤いそれを飲み干した。
「……あ。意外に辛くない」
「この辺りじゃ定番らしいぞ」
多少の刺激はあるが、舌が痛くなるほどではない。それなのに身体は内側から温まってくる。指の先までぽかぽかだ。
一応口直しにキャラメルヌガーを渡して、閃は巴を——正確にはその背中から半ばずり落ちた布団と火元の距離とを確認する。油を熱していた方の鍋に野菜を放り込むときに、ついでにそっと押し退けた。片手で軽く炒めつつ、放り出していた包みを引き寄せる。
「お前がいると保存が楽っていう利点はあるな」
「でしょぉ」
「その利点しかないけどな。魔術具で足りるしそれ以外は欠点しかない」
「とてもひどい」
生肉を買ったのはベリジャニアより更に前の町でだが、腐敗どころか傷んでもいない。巴が保存の魔術をかけていたからだ。
師が昔使っていたという保存の魔術具もあるが、魔力を相当必要とするため、必要に駆られない限り使うのは控えている。そういう意味でも、巴が軽く魔術をかけてくれるのは助かるのだが……閃としては、飯代でトントンだろうと思う。
保存の魔術を解き、香草をまぶして軽く揉み込み、肉を野菜の上に広げておいていく。いい具合に肉の脂と野菜が混じり合うまで炒めていく。
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