マシュマロラビ


「あ?」

 辺りを見回す。その間も続く、悲痛な鳴き声。雪は音を吸収するから、そう遠くではないはずだ。

 耳を澄ませながら脇の茂みの向こうを覗き込み、閃は怪訝そうに眉を寄せる。

「マシュマロラビ」

 白くふんわりとした体毛。ぴんと伸びた二本の耳は長く広い。きゅうきゅうと鳴きながら、木苺のようなつぶらな目を潤ませる、体長二十センチメートルほどの兎。まだ幼生だ。下半身が雪に埋まり、足掻いている。子供とはいえ雪山の生物が雪に埋まって立ち往生とは、と閃は呆れたが、ふと気づいてそちらに歩み寄る。通り道からずれた雪も、硬く、沈み込むことはない。自然の硬さではない。だ。

「……おいこらクソガキ」

「えー……だって、逐一部分的に固定するよりばーって全部やったほうが楽だし……」

「馬鹿野郎」

 ため息を吐いて一旦巴を背中から下ろす。物凄く渋面をされたが、そろそろ腕が疲れてきていた。謝罪分は終わったはずだ。

 見上げてくるマシュマロラビの傍に膝をつき、手を伸ばす。鼻面に触れる、その手前で手を止め、甲を差し出すようにする。マシュマロラビは数度匂いを嗅ぐと、額を自ら押し付けてきた。きゅうと、砂糖菓子のような声で甘えてくる。閃はその名の通りにやわらかい頭を、潰さないよう指で撫でてやり、もう片方の手で兎の足元の雪に触れる。


「真っ)白妖精┣ そДらからふ\わふわ降りてき〃て

みчんないっは+∩゚いよωろこん◆だ

真っし∴ろ妖せ¥い 嬉Υしくて な〇か間を沢〓山呼⊿んだ∮なら

一_面≧真っ白 み⌒んな消Йえた」


 巴が雪山中の雪にかけた固定の魔術に闇属性の魔力を混ぜ込む。途端にくしゃりと、左手と膝が雪に沈んだ。

 不協和音の童歌が終わると、マシュマロラビはげしげしと嵌まった後ろ足でやわらかな雪を蹴り崩す。ある程度崩れると、閃は兎を抱え上げた。尻を支えて負担を避け、背中に手を添える。防寒着越しでも高い体温が伝わってきて、ほっと息をつく。ぬくい。兎も嫌がらずに閃の胸にしがみついている。つぶらな瞳がうっとりと瞬きする。

「へえ」

 大人しいマシュマロラビに、巴は目を見張って、惹かれるようにその背中に手を伸ばした。

 気配を察した幼生がびくりと大きく震え、巴の動きが止まる。毛を膨らませるマシュマロラビの背中を、緊張を解してやるように撫でながら、閃は巴へと呆れた視線を遣る。

「……嫌がってるぞ」

「解せない」

「死角から触ろうとするからだよ」

 マシュマロラビを抱え直し、その背中を自分の胸に預けさせるようにする。

「認識外から急に近づかれるとびびるのは人間も動物も同じだろ。自分が嫌なことは相手にすんな」

「僕そんな苦手じゃないかな」

「……自分が苦手じゃないことは相手も苦手じゃないってことでもない。ほら、ゆっくり」

 一瞬、なんでこんな道徳っぽいことを自分殺人鬼が言っているのだろうと遠い目になったが、妙に強張っている仔兎をそのままにもしておけなかった。

 閃に言われるまま、巴はゆっくりともう一度手を伸ばす。マシュマロラビはびくんっと大きく身じろぐと暴れ出す。慌てて落とさないように閃は膝をついた。そのまま雪に下ろすと、仔兎は閃の脚をよじ登って防寒着の内側に這入り込んでくる。

「……ねえ」

「……いや、知るか。俺も初めてだわ、こんなの」

 臆病な性格だったのかとも思うが、閃が抱き上げたときは平然としていた。動物に懐かれやすい閃相手でも、臆病な個体が初見から寄ってくることは流石にない。人間の子供相手にトラウマでもあったのだろうか。

「んー……なんか僕、動物全般に嫌われるんだよね。虫以外」

「……なるほど、性根の悪さを察知してるんだな」

「ひどくない? 流石に殺人鬼に言われたくない」

「不思議なことに俺は動物には懐かれる方だ」

「自分で不思議って言っちゃう」

 防寒着から引き出したマシュマロラビを撫でると、仔兎は閃の手に頭を擦りつけ舐めている。巴は物凄く解せない気分で、仔兎に懐かれている大量殺人鬼を見つめた。

「さて、あんまり油売ってても日が暮れる。そろそろ行くぞ」

 マシュマロラビを雪の上に下ろして、とんとん、とその尻を優しく叩く。名残惜しげに兎は閃を見上げ、けれど力強く雪を蹴って去っていった。また埋まらなければいいのだが。

「……なんか、輪ちゃんあたりが嫌がりそうだな」

 ぽつりと、巴が呟いた。それを耳にして、閃ははちりと目を瞬く。

「は? 何が? 誰?」

「僕の部下。女の子なんだけど……これ」

 巴はすこし余った袖をつまんで広げる。巴の防寒着は、内側にマシュマロラビの毛がたっぷりと詰められている。衣服に生き物の毛を使うのは仕方ないことだと割り切ってはいるが、実際にあんなに愛らしい生き物を見てしまうと罪悪感のようなものを感じ――は、巴はしないが、心の優しい部下は痛めそうだなと思う。この服一着の為に、何匹のマシュマロラビが殺されたのだろう。 

 しかし閃は、またはちりと目を瞬いて、困ったように視線を彷徨わせた。

「あー……っと、なぁ……」

「……? なに?」

「いや、……確かに幼生は小さいんだけどなぁ……」

「……そりゃああれよりは大きくなるでしょーよ。わかってるよ」

「いーやわかってない」

 言葉を濁しながらもそこだけぴしゃりと言い切る閃に、巴はむすりと頬を膨らませた。

 ひとつ、ため息が落ちる。

「あのな、」


 ずん、と、音。

 固定を切ったから、地面が少し揺れる。


 きゅぅぅうっと甘く高い声が聞こえた。先程のマシュマロラビの幼生の声だ。砂糖菓子のように甘い、甘える声。


 ずん、と、音。

 遠くないところで、木に積もった雪がざばりと落ちる。

 白でなくなった高木の傍で、のっそりとナニカが立ち上がる。


 大きく伸びあがった影の頭頂には、二本の長い、兎の耳。


「……あちらがマシュマロラビの成体になります」


 何故か敬語になって、閃は、木々の向こうに見える巨大な兎を手のひらで指した。ちらりと巴を見やる。絶句している。さもありなん。

 防寒着の作製に重用されるマシュマロラビについて、愛護団体が声を上げた事例は過去に在る。非人道的とかなんとか。「可愛いから」という理由で保護が必要だとはならないし、逆説的に可愛くないものは死んでいいということかいう批判が上がったのもあって意見は退けられたが、彼らは単純に知らなかっただけなのだろうとも思う。

 あんな可愛らしい幼生が、人の何倍もある巨体に成長するとは、誰も想像できまい。

「……ま、だから、防寒着については、気にすんな」

「……りょうかい」

 あの巨体に比べれば、大人用の防寒着だろうが些事である。


 ちいさなちいさな兎が親の首元に登り、深い毛に隠れて見えなくなった。

 親兎は一度閃たちを見てきたように思えたが、すぐに雪の向こうへと去っていった。


「……あ、そうだ。お前。雪山全体固定すんじゃねえよ。迷惑になるだろ」

「えぇー……」

 巴は唇を突き出して不服を訴えた。面倒臭いと顔に書いてある。

 だが、歩く道だけではなく全体に固定の魔術をかけるのはやりすぎだ。さっきのマシュマロラビのように、歩いている途中で雪が固まって、動けなくなっていたものは多いだろう。

(つーか、雪山全体の雪を固定って、魔力底なしかこいつ)

 定義への干渉も、属性の魔術も、その対象が多ければ多いほど魔力を消費する。自分の生まれ持った容量までは時間経過で自然回復するが、一気にこれだけ使うのは、余程元の容量が大きくないと無理だ。

 流石はバランサーの師団長、というべきなのだろう。親のコネだけではないらしい。

 しかしグチグチ文句を言いながら、地図を両手に通り道だけに固定をかけている様子はただの子供だ。ただ、相変わらず定義が堅苦しい。

「……土属性ってみんなそんな堅苦しいのか?」

「は?」

「ベリジャニアの鐘にかかってた土属性の魔術も、なんか堅苦しかったからさ」

 そういえばあの鐘の定義は歪めたまま放置したんだったなと思い出す。バランサーがいたのだから、まあ直してくれているだろう。

 ベリジャニア、と巴が呟いた。白藍の瞳が空虚に揺れる。一拍空けて、視線が上がる。

「……まあ、多くの土属性は丁寧だと思うよ。積み重ねてできるのが地面だからね」

 堆積して、堆積して、陸はできた。大地はできた。そういう印象イメージに引きずられているのかもしれない。属性と性格の関連性は解明されていないけれど、魔術のかけ方に癖はでる。

「へぇ……」

 少なくともこのガキは、属性と性格に関連はないな、と考えていたのがバレたのだろう。巴は片眉を上げた。幼い顔に厭な笑顔が浮かぶ。

「君こそ。何で魔術が童歌なのさ。正直似合わないよ?」

「……うるせー。俺の勝手だろ」

 嫌みに顔をしかめて、閃は歩みを再開した。

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