月雪温泉

「おーっ!」

 白い湯気をもうもうと上げる温泉。それを囲む石や岩には真っ白な雪が積もっている。月光を浴びて、白雪は夜闇に沈むことなく煌めいていた。温泉自体の規模は控えめなものだったけれど、なかなか味のある風景だ。降ってくる雪が湯に触れて溶けるのが面白い。

 ただ雪が降るような気温というわけで、急いで体を洗って、熱い湯船に飛び込んだ。外気に冷やされた肌が、湯に触れた瞬間びりりと痺れる。そこからじわじわと芯まで染み込んでくる熱。

「ああー……きもちいいぃ」

「だっろぉー?」

 暁はもう何度か入っているからか、何故か自慢げだった。

 肩まで浸かって、ほう、と息を吐く。見上げた真っ暗な空に、満月と呼ぶには削れた青い月が傾いていた。空気が冷え切っているせいか、月も、星も、いつも以上に輝いている。


「……あ、そうだ。聞きたいこと」

「ああうん。のぼせない程度にね」

 本題をすっかり忘れていた。温泉の魔力、恐ろしい。


「暁は……黒髪の呪い全く信じてないのか?」


 忌まれるのが当然だから。どんなに優しい人でも、言い伝えを信じていない人でも、黒髪を目にすれば不安になる。は自分や家族に何か害を及ぼすのではないかと。

 人間扱いなんてされやしない。生きているだけで害獣扱いされて、追い立てられて、産まれた端から家族に殺されるのもよくあること。

 別にもうそういうものだと骨身に滲みていて、今更そんな扱いに文句を言う気にもならないけど。


 だから。


「いきなりそれなんだ?」


 黒髪を晒しても普通に接せられると、逆に困る。


 暁は苦笑して、縁の岩に頭を預けた。

「まぁ……なんというかね。俺は身近なところに、黒髪がいたから」

「……黒髪が?」

「そう。妹が、そうだった」

 過去形の、意図。

 半端な月を見上げて、暁は目を細める。口元は緩く弧を描いたままだった。

「母さんは元々体が弱くてさ。俺を産むときだって死にかけて、妹を産むときにはもう堪えられないだろうって言われてた。それでも、母さんは産むことを選んだ。自分の命と引き換えにしてでも」

 母さんの死に顔は綺麗だった。声は落ち着いているのに、震えている。きっと顔が冷やされて寒い所為だろう。

 暁は、自分から話し始めた。だから閃は、それをただ聞くだけだ。

「産まれてくる子を愛してほしい。どうか私の分まで、愛してって……それが母さんの遺言だった。だから、産まれてきた妹が黒髪でも、俺はちゃんと愛そうって決めた。ちゃんと護ろうって決めた。母さんが命を賭けて産んだ命だったから。父さんも、そうだったと思う。……けど……街のみんなは違った」

 噂はまことしやかに広まった。黒髪の子が、その母から生きる力を奪ったのだと。実の母を呪ったのだと。

 そんなことはない筈だ。産まれてくる子が黒髪でなくとも、母はきっと堪えられなかった。暁を産むときだって、母は死にそうになっていた。

 そんなことはない、筈だ。

 けれど、そんなことはないという証拠もない。

 暁を産むときにはなんとか生き延びて、妹を産むときには堪えきれず死んだ。それは妹が黒髪だったからだ。暁は黒髪ではなかったからだ、と。


「妹が、母さんを、殺したんだ、って、」


 声が震える。掠れる。口元が歪んでいる。琥珀色の瞳が潤んでいる。

 閃は、終始、黙っていた。


「父さんが、少しずつおかしくなっていった。妹のこと、冷たい目で見るようになっていって……暴力なんかは、なかったけど。父さんは母さんを愛してたから」

 愛する妻が、命を賭けて産んだ子。妻の分まで愛するつもりだっただろう。その遺言通りに、妻が決死の思いで産んだ子を、愛するつもりだっただろう。

 けど、もし、その子が黒髪だった所為で、妻が死んだのなら。黒髪でさえ、呪われた子でさえなかったら、もしかしたら妻はなんとか生き延びていたかもしれない。そんなものは妄想だと自分に言い聞かせても、黒髪の呪いで妻が死んだのではないと何度も何度も言い聞かせても、そうでないという確証もなくて。

 周りが黒髪の呪いだと囁く度に、黒髪の子が妻を殺したのだと囁く度に、少しずつ、少しずつ、父の心に疑念は根付いていった。妹を、妻を殺した子を、忌まわしく思うようになっていった。


 そして、


「ある日、を名乗る女が、現れたんだ」

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