凍華
「もしもし。……ああ、『祝福』が漸く解けていましたので、ご報告を」
通信端末から仄赤い光が溢れていた。
西の隣国、レビエイジ工業国から輸入され、国家機関や富裕層を中心に使用が広まっている通信端末は、この国では電力ではなく魔力を媒介に通信を可能にしている。通信距離によっては魔力が足りずに繋がらないこともあるけれど、外部からの傍受や干渉を受けにくいのが利点だ。近年改良が進み、より魔力効率をよく、より持ち運びやすくはなってきているが、魔術師でなければ使えない仕様である以上、
つまり、このすぐれて豊かだとは言えないジダ村で、こんなものを持っている彼は、随分と異端だった。
「宜しいので? ……はい。では、引き続きこちらで」
通信が切断され、光が融けるように消える。彼は頬に手を当てて、酷く悩ましげにため息を吐いた。
「好きに、か。今代はなかなか無欲で、転がしにくい」
代わりに勝手に転がってくれるけれど、それはそれでやりにくい。
長い睫毛に縁取られた瞳が伏せられ、けれど楽しげにそれを見る。針金のような指が伸びて、濡羽色の髪をやさしく散らす。
知っている男だ。
ぼんやりと、頭の芯が痺れている。夢見心地のまま、閃はただ、自分に触れてくる男を見上げる。体は糸が切れた操り人形のようにぴくりとも動かない。思考もまた停滞している。知っている男だ、とだけ、頭が反芻していた。それ以上思考が続かない。誰だろうかと考えることすら、塞がれていた。
下りてきた男の指が、
耳元に唇が寄せられる。息がかかると、生理反応で体が跳ねた。耳に吹き込まれる言葉が、頭の中でうわんと反響する。
「大丈夫。ちゃんと迎えにくるからね。私の可愛い、可愛い
だから早く、
「――――、――ン、セン、おい閃ってば! 起きなって!」
ぱちりと目を開けると、視界が光に眩んだ。眉間に力を入れて、数度瞬きを繰り返す。すぐ目の前にあった琥珀色の瞳が、呆れたようなほっとしたような色を浮かべた。
「…………アキ、……?」
「うん。はあ、まったく……こんなとこで寝たら風邪ひくぞ? 体冷えてるじゃんか。早く温泉入ろう」
暁は閃の肩から手を離して、自分の服に手をかける。
そうだ。此処は脱衣場だ。言われた時間になったから来たはいいけど、暁はまだ来ていなくて、椅子に腰掛けている内に意識が遠ざかってしまったのだったか。
ふと、視界が妙に広く、明るいのに気づく。ぎょっとして頭に触れる。手に触れるのは
冷たい汗が首裏を伝う――豊潤な華の匂いがした。
(……
なんで、こんな匂いが。
ぽんと、頭の上に掌を置かれた。
「…………暁?」
あ、意外とやわらかい、などと言いながら、暁はわしゃわしゃと掌を動して、閃の髪の毛を乱していく。
「おりゃおりゃー」
「な、に……!?」
「あーすごい。クセになりそう。きもちー」
「~~ッ、やめろ!」
「あぐっ」
腹目掛けて手刀を突き出す。どすりと、音。鳩尾に入った。奇声を上げながら暁はうずくまる。自業自得だ。ぐしゃぐしゃに乱された髪を掻き上げて、閃はダンゴムシのように丸くなった無様な背中を見下ろした。
「何がしたかったんだ暁」
「元、気、……でるかな、って……」
「だからって」
一応閃を気遣ってのことだったらしい。それでどうして髪を掻き乱すなんて手段に出たのかは知れないが。
(つーか、髪……)
触ったからって、害があるわけではない。ない、筈だ。「呪われた子に触れたら怪我を負った」などという話も聞いたことがあるが、信憑性は如何程のものか。人に害があるなら物にだって害があるはずだ。閃の
ただ、絶対にない、と言い切れることでもないのだろうとも思う。
暁の掌を見ようにも、腹を押さえているその格好では見えやしない。けど、その手に痛みがあるなら腹を押さえることは苦痛だろう。
暁は汗を浮かべた顔を上げて、へらりと笑った。
「とりあえず、入ろうよ。寒い」
それは半裸になっているからだと思う。いでぇーと呻きながら下も脱いでいく。
「閃」
ぼんやり眺めていると、名を呼ばれた。振り返った琥珀色の瞳が、真摯に見つめてくる。
「中には誰もいないし、此処に来るまでにも誰も見なかった」
だから、大丈夫だよ。
やわらかい声で言われて、臓腑の奥底にへばりついていた不安が溶かされていく。
「……そう、だな」
ようやっと、閃も自分の服に手をかけた。人と風呂に入るのなんて、一体何年、……いや、そんなこと、そもそもあったのだろうか。服を畳んで籠に入れる。
(……そういや、何に気付いたんだったっけ)
服をぽんぽんと叩いた。こうすれば思い出させるような気がしたのだ。けれど端すら掴めない内に暁に急かされて、
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