宿と食事 その二
「つかお前食うの早くねえ?」
閃が酒をやりつつ突いている横で、巴はあっという間に夕餉を食べきってしまった。本当に味わったのか疑わしい速度だ。スープも美味しい。さっぱりとした銀雪芋の旨味が存分に沁み出している。風味が飛ばない程度に熱されていて、酒とは違う形で身体が温まる。冷やしても美味しいだろうが冬場だから冷めにくい性質の器を使っているようだ。だからゆっくり味わえる。……だというのに秒殺しやがった。
「君が一食分しか頼んでくれなかったんじゃん」
「……お前の胃袋の容量はどうなってんだ。野生じゃ腹いっぱいになって動けなくなった奴ほど死ぬぞ」
「いつ僕が
「恩着せがましく言うな! そんなに腹いっぱい飯食いたいなら
「やだー」
「なんで嫌がるんだよ……」
実際一介の旅人の懐なぞ大して温かくもない。国際警察での食事の質がどの程度かは一生知りたくもないが、閃にたかるより量は確実に食べられるだろう。閃も懐が痛いばかりで利益は一切ないからさっさと帰ってほしい。
仕方ないから、二杯目を頼むついでに、食事の追加も頼んでやった。同じものだがそれでいいらしい。二食分をねだられたから結果的に損な気もするが、この手の旅館は高くても質がよくなるばかりで量はさほど変わらないことも間々あるから、高いものにしたところで「足りない」と追加をねだられただろうことを考えればこれでいいかとも思う――何で高給取りに奢らなきゃならないのかは何度でも自問自答しているが、一銭の持ち合わせもなく着のみ姿の子供に金を払わせる手段もない。
……まあ「こんクソガキャ闇市に売り飛ばしてやろうか」と思ったことがないわけでもない。稚児趣味の金持ちにでも売れたらこれまでの食費分におつりが出るだろう。このままこいつに付き纏われ続けていたら多分それでも赤字になりそうな額に行きつきそうだ。
お代わりが来るまでの間にも、巴は、加熱されたチーズの入った椀に、
「何処の国だろうと未成年なのに飲ませるわけないだろうが。そもそも俺の金で頼んでんだぞ」
「……昔のアルタニアは15で成人だったのに」
「いやお前10もないだろ」
渋々といった様子で、巴は小さな小さな
「…………」
「……もうダメだよ」
閃の視線が凍結イチゴやマシュマロの乗った皿に注がれているのに気づいて、巴は皿を遠ざけて拒否する。本当に食い意地が張っている。閃は舌打ちしたが、仕方なく酒で誤魔化した。食い意地が張っているとは思うけど、一度食べ始めると止まれなくなる気持ちは一口でよくよくわかった。
程なくして仲居が追加の料理と酒を持ってくる。
つまみはチーズの刺身と茹で鶏だった。輪切りにされたチーズは、わさび醬油と共に食べるときりっとした風味となって酒にとても合う。茹で鶏はこれまたフォルセチキンだ。脂肪が少ない胸肉だが、茹でられているためぱさつきもなく、しっとりとした食感だ。そこにこれもわさび醬油。二杯目もあっという間になくなりそうだ。
安い部位である胸肉とはいえおまけでぽいと出してくるのは、本当に価値観のすれ違いだなと思う。いくらたくさん捕れる鶏だからってこんな美味しいものから金をとらなくていいのだろうか。
「それで、雪山には登るの?」
視線を手元に落としたまま巴がそう訊ねてきた。閃がつまみに夢中になっている内に、追加の二人前まで食べきっていたらしく、竹串にパンやら凍結イチゴやらを何個も刺し連ねている最中だ。食べ物で遊ぶなと注意しかけて、これが遊びに入るのか分からずに閃は口を噤んだ。
「あー……未定。情報収集まだだし。それ次第……、……って俺お前に雪山に上るとか言ったか?」
酔った頭で記憶を漁る。言っ……た、いや言ってない。言ってない。
巴は顔を上げて、
「雪女は黒髪だって言う説もある……雪山で失踪が相次いでるって話はうちの部下もしてたしね。失踪が遭難じゃなく雪女の所為なら、君は行くんだろうと思って」
「……ああ」
ベリジャニアで買った、雪女他、各地の伝承について書かれた本。そういえば巴が勝手に読んでいることもあった。
其処に黒髪がいるのなら閃は行く。
殺しに、行く。
「ねぇ黒髪」
いっそ無邪気な。
物をまだ知らない幼子が父か兄に呼び掛けるような声だった。
自分の知らないもの、興味のあるものを知りたくて、ねえねえと
「君はどうして黒髪を殺すの?」
——いや、違うか。閃が何かを言う前に、巴はそう呟いて言い換える。
「どうして、黒髪の心臓だけ
視線は食事に向けたまま、無邪気さで包装された口振りで尋ねた。
刺し連ねた竹串をとぷりとチーズの池に沈める。その中で竹串をくるりと一回転させ、取り出してすぐに口の中に収める。含みきれなかった部分から、チーズがとうろりと垂れ落ち、座卓に小さな溜まりを増やした。気にせず咀嚼。ふんわりやわらかいマシュマロと、カリカリに焼かれたパン、冷たく酸味のキツい凍結イチゴと、暖かくまろやかなチーズ。全てが絶妙にかみ合っている。すばらしい。ほっぺたが落ちそうだとはこのことだ。
「ああ、それはなー……」
ふにゃふにゃとしあわせそうに頬を緩める巴を見ながら、閃も緩く笑った。グラスに残った酒をくっと飲み干す。ふはぁ、と息を吐いた。体温が上がり、頬が赤い。金色の双眸も酔いで潤んでいる。
「それはなぁ……――って、酔っぱらってりゃ口割るとでも思ったか?」
かと思えば、酷く冴えた色に輝いていた。
それは、凍りついた冬月のような。
「甘ぇよばぁか」
こつりと巴の額を小突いて、立ち上がる。足元は少しもふらつかない。
何処にいくの、と巴は尋ね、閃は歯ァ磨いてくると返した。
「湯浴みは?」
「人がいなくなった時間帯にでも入るさ」
食い終わったら仲居に片づけてもらうんだぞ、と言付けて、部屋を出た。扉を閉める。
――何で、黒髪の心臓を。
ぐしゃりと前髪を掻き乱した。足早に部屋を離れる。体温は上がっているのに、自分の心臓だけ異様に冷たく感じる。
酔いはその問いで、冷や水をぶっかけられたように急速に冷まされていた。
「………………ねぇよ」
ぽつりと、掠れた声が廊下に落ちる。
「わかんねぇからだよ、なんにも」
なんにも、なにもかも。
だから、探さないと。
何をしてでも奪い返さないと。
彼女が誰なのかすらわからないのだから。
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