宿と食事 その一

 宿は四階建て、幅広な大きな建物で、上の階ほど広い部屋となり値段設定も上流階級向けのものだ。きっと景色も良いのだろう。今の季節では客足も遠のくのか、そこそこの商家ならば手が届く程度にまで価格も落とされていたが、それでも旅人の身分では手を出そうとも思わない。

 閃たちが借りたのは宿の一階。玄関口に近く、受付の声や客の足音の聞こえる安部屋だ。元々相部屋らしく寝台ベッドは二つあるが、その寝台に部屋の半分を占拠されているくらいに狭い。他に置かれているのは座卓くらいだ。断熱の為か厚い壁にこれまた厚手の布地が吊るされ、窓もないから余計に閉塞感があった。

「遅かったね」

「……布饅頭」

「人を魔物扱いとは失礼な」

 借りた部屋に戻ると、毛布と布団に包まれて顔だけを覗かせた物体が、寝台ベッドの上に鎮座していた。もう片方の寝台ベッドが空になっていて、つまりは閃が使うはずの毛布と布団がなくなっている。

「そんなに寒いか?」

「さむい」

「……さいですか」

 気密性の高さ故に熱源は洋灯ランプくらいしか置かれていないが、寒さも和らいでいるだろうにと思って問いかければ、子供の返答は明瞭に即答だった。子供は風の子と聞くが実際はそうでもないらしい。

 抱えていた袋を、巴の寝台ベッドの横に置く。どさり、と重低音がした。重みから解放されて、ふぅと息を吐く。

「とりあえず防寒着。あと長靴と手袋、耳当てと襟巻マフラーも買ってきた。こっちは室内着。風呂行ったら着替えろ。上着はもう今着ろ」

 袋から上着を引き出して布饅頭の上に被せる。上着をはじめ、殆どの衣類はマシュマロラビの卯毛で作られた物にした。柔らかくて肌触りが良く、熱を逃がしにくい為、女性や子供がよく買っているらしい。

 暖かさは担保される分、重たかった。人通りの多く細々とした造りの街ならともかく、閑かで死角の少ない村で大荷物を異空間に消したら目立つ。その為、仕方なく持ち運ぶしかなかったのだ。

「チーズは?」

「ねえよ」

「……使えない」

「おい」

 だからなんで買ってもらえる前提なんだクソ公僕。舌打ちまでした布饅頭に青筋を浮かべて、それを抑えるように深々とため息を吐いた。

「温泉あるらしいから、入るなら入っとけ。半刻もしたら夕餉持ってきてもらうからそれまでには上がってこいよ」

「君は入らないの?」

「入れるか馬鹿野郎」

 客足が遠のく時期とは言うが、宿泊客はそこまで少なくもない。物見遊山の貴族は減っているのだろうが、商人たちは寧ろ多いように思う。本格的に雪山が雪に鎖される前に、雪山から卸された鉱石類を掻き入れに来ているのだろう。温泉があるという希少性もあって、寒くとも長居したくなるのかもしれない。この時間だと当然のように他の客に出会すだろう。

 それもそうかと頷いて、巴はのそのそと毛布から這い出てくる。殻を捨てるヤドカリというよりは、蝸牛かたつむりのようだ。緩慢に過ぎる。その間に仲居を呼んで、温泉の場所と持って行く物を聞いておく。温泉へはその仲居が案内してくれるというので有り難くお願いして、まだぐずぐずしていた巴を毛布から引きずり出した。外気に震える巴に買ってきたばかりの上着を何枚も被せる。まだ年若い彼女は、それでもまだ震えている巴に姉のように微笑みかけて、閃を見上げた。

「お兄さまは宜しいのですか?」

「……ええ、俺はまだやることあるんで。そいつよろしくお願いします」

「そうですか……。是非、用事が終わった後にお入りくださいませ。温まりますし、眺めもいいんですよ」

 おっとりと笑う彼女は、巴に持たせる予定だった彼の着替えや浴巾タオルを代わりに持ってくれた。

 二人を見送ってから部屋に戻り、木の扉を閉める。

「誰が兄だ誰が」

 小さな声で毒づいた。巴が面白そうな顔をしてひっそりと笑っていたのを思い出し、嫌な予感に深々とため息を吐いた。あのガキに関わると本当にロクなことがない。

 仲居にはああ言ったがすることはない。夕餉が届くまでの暇つぶしに本を開いた。




 部屋と同じく料理も一番安いものを頼んだためあまり期待はしていなかったのだが、想像以上に量が多かった。主菜メインはフォルセチキンのバジルソテー。白麺麭パンに、蒸かした銀雪芋のスープ。付け合わせのサラダには、とろとろに溶けたチーズがかけられていて、巴が歓喜した。別途で頼めばチーズフォンデュもありますよ、と仲居が余計なことを言った所為で要らぬ出費が増えた。閃もちょっといい酒を頼んだのだが。

 上質のプラムを使った蒸留酒は、水晶を溶かしたような透明度だ。冷たそうな印象に反して、一口飲み干せば喉の奥に火が点いたように体が熱くなる。度数は相当高いが飲み口が優しい。はあ、と思わず零れたため息から果実の芳香がする。スープをぺろりと飲み干した巴が器から顔を上げた。

「うわ、めちゃくちゃいいにおいする」

「……やばいな」

 これはゆっくり飲まないと飲みすぎるなと自戒しつつも、グラスから手を離せない。くるくると回していると、体温で温まった酒がさらに匂い立つ。

「というか君、お酒飲むんだね」

「まあたぶん成人はしてるし……なんだよ」

「だって買ってるとこ見ないから。てっきり飲めないのかなって」

「流石に野宿のときに酒気は入れらんねえわ。それに酒はその地で飲むのが一番美味い」

 ほろ酔いのまま、チキンをつつく。ぷるぷると柔らかい肉を小刀ナイフで裂いて、溢れ出る肉汁を垂らさないように口の中に放り込む。バジルの風味と濃厚な脂。歯を立てるとぷっつりと切れて、更に旨味が広がる。

「うま……やばい……まじでこの鳥うまいな、ふざけてやがる……」

「さっきから語彙死んでるけど。いや、うん、美味しいね」

「一番ふざけてるのはこれで一番安いってことだよな。はー……うますぎてキレそう」

「キレないで……」

 ベリジャニアで食べた焼き鳥もだったが、こちらもすごく美味い。嚥下してしまうと至福の心地と同時に物凄く惜しいことをした気分になる。

 チーズつけても美味しいよ、と言う巴の食べ方は相変わらず汚かったけれど、今は指摘せずに、野菜の上にかかっていたチーズをひと掬いして香草焼きの一切れにかける。確かに美味い。少し酸味の強いチーズが濃厚な脂の中で主張している。酒が進む味だ。酒も美味い。自戒していたつもりが、あっさりたがが外れてもう飲み干しそうになっている。

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