悪夢の招宴 その二

 律は小刀ナイフを掲げた。きっと廃棄されていたのを拾ったのだろう。ひどく刃こぼれしたそれは、本来の用途である果物を切ることもできないだろう有り様だ。けれども、律の手に、他に刃物はない。骨すらも切断できるような切れ味の刃物は、何も。

「ふふふ。不思議かな? こんなちっちゃいので、切ってたっていうのは」

 ぼろぼろの刃を、細く柔らかな指が撫でる。

「律の魔術なんだって。これ」

 ぴ、と無造作に小刀ナイフを振るう。本来ならば、そんな刃では少し硬いものに当たれば、弾かれて終わりだろう。けれど彼女のそれは、焼き鳥屋の露店を支える支柱を真っ二つに切り裂いた。ガラガラと崩落する音が響く。舞い上がった埃から逃げるように、律は路地から大通りに出て来た。閃を見上げて自慢げに胸を張る。

「すごいでしょ? 律は闇属性の魔術が使えるんだって。それで空間を切り分けちゃうの。そうするとね、そこに在る人も物も、すっぱり切れちゃうんだよ」

「――正確には、指定した空間の繋がりの定義を『破綻』させる……らしいけどな」


 え、と律は口元に笑みを浮かべたまま固まった。

 見上げた覆いフードの奥。緋を帯びた金色の瞳が、ゆうるりと笑った。


「俺も無意識でやるからよくわかんねえんだけどな?」


「お、に……ちゃ……?」

 口元を覆っていた手を、下ろす。現れた唇は――嗤っていた。三日月型に唇を歪めて、閃は少女を見下ろす。

「『黒髪の殺人鬼』だけどなぁ。あれ、別に特定の個人を指してるわけじゃないんだぞ?」

「……ぇ、」

「お前みたいな、差別や迫害を受けた黒髪が、鬱憤晴らすのに殺しまくってるってのが実情。黒髪は、何でか知らないけど、全員魔術を使うに足る魔力を持ってる。特徴的だって言われる切断面は、殺人鬼の特徴じゃなくて、俺たち黒髪の、魔術の特徴だ」

 髪の色は魂の色ってのが古臭い言い伝えだけど、実際のところは魔術の属性の違いらしいなぁ。

 状況の変化についていけず、律は徐々に表情を消し、戸惑うように大きな瞳を揺らす。

 嗤っているとは、思っていなかった。なんで、嗤えるのだろう。この、地獄で。

 少女の動揺を気に留めることもなく、ケラケラと嗤いながら閃は左手を宙に掲げ、空間に爪を立てるように指を曲げた。ぱりん、と、薄い硝子のように、空間が割れる。


「まあでも――今日の夜中に殺ったのは、俺だよ」


 割れた空間の、中。現れた柄を掴んで振り抜いた。

 首が、飛ぶ。黒い髪の毛がはらはらと風に舞って落ちていく。飛んだ首はくるくると回転しながら、屍の山の中に埋もれて消えた。頭を失った首から、遅れて血が吹き出す。噴水のようだ。びちゃびちゃと吹き上げながら、どちゃり、と後ろに倒れる胴体。


「――――っ、ぅ、ぅ、う、ぁああああああ~~~~~っ」


 ぞくぞくと背筋を這い上がる快感を抑えようと、右手で顔を押さえた。口角が吊り上がる。興奮で脈が早い。呼吸が浅くなる。

 血臭のけぶる地獄を見てからずっと、どうにかこうにか抑え込んでいた衝動が、ひどくたけっている。

「……落ち着け。落ち着け俺。公僕ども来ると面倒なんだから……あーくそ、殺し足りない……」

 一人殺したくらいじゃ、全然足りない。左手に握った剣が、まだまだ獲物を欲している。目につくところに生きた人間がいないのが幸いだった。もしいたら、理性なんて吹っ飛ばして殺戮に興じていたに違いない。

「ああもうずるいよなぁー。ずるい。こんなに、こんなに殺しやがって! 俺だって殺したかったのに……」

 焼き鳥屋の店主の生首を、蹴鞠のように蹴り飛ばす。赤い筋を伸ばしながら転がったそれは、彼の胴体にぶつかって止まった。

 首のない律の死体の脇にしゃがみこむ。

「まあだから……ってわけでもないんだけどな」

 徐に剣を上げ――下ろす。


 ざくりと、音。


 少女の胸部に剣を埋める。そのまま動かして、筋肉や骨を断つ。見えてきたのは、僅かに拍動を続けていた心臓。大きな血管を切って、血を垂れ流すそれを掴み、

「ん、ぐ」

 閃は己の口の中に心臓を放り込んだ。

 溢れ出る血を飲み下しながら、筋肉の厚い部分をごりごりと噛み砕く。噛み砕いたものから、数度に分けて嚥下していく。鉄の味が口いっぱいに広がっていた。苦い。けど不味いとは思わない。最後の塊を胃袋に落として、一息吐く。


 耳鳴りが聞こえてくる。周りの風景にブロックノイズが走る。


「――――」


 呼ばれた気がした。


 彼女に。


 頭痛がして、遠くなりかけた意識が呼び戻される。

「っ、後で、だ」

 右手で石畳を殴りつけて、耳鳴りを散らした。立ち上がると、少し足元がふらついた。いつもよりも体が怠い気がする。口の端から零れた血を拭う。

 周りを見回す。ノイズはひとまず止んでいた。人の気配は、やはり近くにはない。住民も、警邏も。恐らくは十分に距離を取ったところで包囲網を張っているのだろう。ここらに転がっている警邏は、住民を避難させようとした者か、それとも無謀にも律を捕まえようとした者か。

「……殺しは、おあずけ。逃走第一だな……はぁ」

 殺人衝動は大分収まっていた。生きた人間を見ても、理性でなんとか堪えられそうだ。

 ……何故、堪える必要があるのだろう。衝動が甘い声で問い掛けてくる。あんなにタノシクて、キモチガイイことを、何故堪えなければならないのだろう。それもそうだな、と傾きかけた頭を横に振る。だめだ。これからもたくさんたくさん殺す為には、警察の前に姿を晒すべきではない。

「…………殺してぇ」

 声に出して、衝動を外に流す。手元に作った『異空間』に剣を戻して、ふらつきながら歩き始めた。

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