鐘塔

 買い物を済ませて、急ぎ足で大通りを引き返し、中心部へと向かう。もう昼休憩は終わったようで、行きよりも人波は穏やかだった。相変わらず、買い物の量にも関わらず閃は身軽なままで、向かったのは青灰色の塔。

「……近くで見ると、またでけぇな」

 真下からでは頂上どころか中腹までしか見えない。何でまたこんな大きな塔を建てたのか、と考えて、低い塔だと鐘の音が煩い範囲が広くなるからではないかと思いついた。

「御国も、解除系得意な魔術師を遣ってやればいいのに……」

 ずっと見上げていると首が痛くなってくる。塔の壁沿いに歩いていくと木製の扉があった。鍵はかかっていない。一応観光名所のような扱いらしく、入口は此方、などと書かれた札がかかっていた。遠慮なく中に入る。

 塔の内部はだだっ広く、壁に沿うようにぐるりと階段が続いていた。

「……これは、上ってるうちに日が暮れるな」

 延々と続く螺旋階段に、ひくりと口元が引きつる。昇降機エレベーターの類はないのか、と探してみたが、見つからない。建設されたのは恐らく三百年前なのだろうし、その後も着工はされなかったのだろう。

 壁に手をつける。ひやりと心地の良い冷たさの煉瓦。何百年もの時間が経っているのにもかかわらず、欠けのひとつもない。綺麗なものだ。

 指に力をこめ、意識を集中させる。


――この存在はこぼたれず朽ちぬ。数多の天災にも数多の人災にも、決して敗けることはない。

――そうであると固定する。


「……土属性ってのは、みんなこんな馬鹿丁寧なのか?」

 指を離して、呆れ顔で呟く。うんざりするくらいに堅苦しい定義が、塔全体に張り巡らされていた。知り合いたくもなかった知り合いの魔術師と、おんなじくらいに堅苦しい。

 だがそのお陰で、この千段は余裕でありそうな階段を上らずに済みそうだ。

「何にすっかなー……」

 煉瓦ひとつひとつに緻密にかけられた魔力を辿って、塔の構造を頭の中に描く。頂上、最後の階段の座標を計算。

 階段へ向かって歩き出す。口ずさむのは破綻した童歌。


「仔じΓかのマKーフィー 崖かιθら落ЁっΦこちた

ケカЭ゛したマーフфяィー動けgずに オ∑オカ⊥ミに見つ仝かって そ⌒れでおし≡まいっ」


 一段目に足をかける。瞬間に景色が、目の前には巨きな鐘が在った。

「……うまくいっ、てるな。良かった」

 自分の身体の何処もおかしくないのを確認して、閃は胸を撫で下ろした。念の為一番上の段につくように空間を歪めたが、そこに障害物があろうものなら悲惨な状態になるところだった。魔術に使われている魔力を辿るのはまだともかく、自然の定義を追いかけるのは苦手なのだ。

「にしても、でけぇな」

 閃はそれなりに身長が高い方だが、鐘は彼と同じくらいの高さがある。素材は青銅だろう。想像はしていたが、錆のひとつもない。手をついて、意識を集中させる。塔と同じように、老朽化を防ぐ魔術がかけられている。加えて、取り外せないようにもなっている。盗難を防ぐ為だろう。これだけの量の青銅は相当な値段になるだろうから。

 更に、正午に十二回鳴る、という書き加えられた定義が、固定されている。

 試しに鳴らそうとしてみたが、そもそも鐘撞がない。思い切り蹴ってみてもぴくりとも動かなかった。正午以外には鳴らないようになっているようだ。

 鐘の表面を撫でる。彫られているのは、昔のアルタニア国の紋章と、それを守るように武器を掲げる人間、勝利を意味する旭章。

 歴史書によれば、この辺りは昔のアルタニアにおいて国境線に位置していた。隣国との戦の最前線だ。この鐘はその鼓舞か、或いは隣国を統合した祝いで齎されたものなのだろう。

 鼻歌を奏でながら鐘の表面を撫でる。ふと、外へと目を向けた。鐘のある場には壁がなく、びょうびょうと風が吹き荒んでいる。


 その遥か、遥か彼方の空に、小さな影が、いくつか見えた。

 鳥だろうか、などと悠長に考えている暇はなさそうだ。鳥にしては、影が大きくなっていく――すなわち此方に近づいてくる速度が速すぎる。


「来るのはえーよ、くそ」

 閃は苛々と舌を打った。眼下を見下ろすが、高すぎて人の姿など見えやしない。此処から捜すのは無理か。

「……やるとしたら、」

 踵を返す。さっきと同じように歪めて、階段を一段降りる――足をついたのは、階段を降りきった先の床だ。塔から飛び出して、道を駆け抜ける。

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