鐘音響く街 その四

「こん∂なに食へ ゛らΦれないよ!

テディщはさ%けんで ママのつゞくった弁∧当箱 ひΞっくりかΩえしてダメrdにした」


 老婆と青年の商人と別れ、閃は一旦路地に入ると、時間をおいてまた大通りへと戻った。忙しなく人が行き交う場では、彼の不可思議な行動を目に留める者もおらず、更には、彼が先ほど買った大きなかさばる包みがなくなっていることにも、誰も気付かない。

 軽い足取りで道行く人に尋ねながら、目的地を探す。辿り着いた場所には、大量の本を乗せたほろつきの荷馬車があった。回り込むと、壮年の男性が馬に水を上げている。声をかける前に、馬が閃に気づいて尻尾を大きく揺らした。

「親父、書籍を探してるんだがいいか?」

 本屋の店主は鷹のような鋭い眼差しを閃に向けると、馬を撫でる手を下ろした。体ごと閃を見る。寡黙な性質なのかもしれない。

「雪女について書いてある本とか、ないか?」

 怯むことなく用件を口にする。店主は暫し静止したままだったが、徐に荷台の方へと動き出した。蓋付きの棚から幾つかの本を取り出し、閃へ突き出す。閃がそれらを掴んだのを確認してから、手を離した。

「悪ィな。読んでも良いか?」

 無言のまま、また馬の方へと向かう。それを是と見做して、閃はもう一度礼を口にすると、一冊だけを残して他を荷台に置くと、ぱらぱらとめくり始めた。各地域における伝承をまとめた本のようだ。


 雪女――白い衣服に身を包んだ、透けるように白い肌の女性。凍える息を吐く。男性の精気を奪う、あるいは肝を食らう。正体を突き止めると、煙になって消える。


 本を閉じ、次の本を取る。更に次の本。次の本。また次の本。

 最後の一冊を開いて、閃はぴたりと動きを止めた。

 曰く、雪女は白い肌に、淡色の髪をしているという。

 その一文の最後に注釈の印がついていた。


 曰く、――黒髪であるという説もある、と。


「親父、これいくらだ?」

 本の表紙を店主へと向ける。店主は黙ったまま、顎で荷台を覆う幌を示した。値段表でもあるのかと思えば、そこには「好きな値段で」と書いてあった。

「……これで生計立てられんの?」

 衝撃のまま言葉が滑り落ちたが、店主は反応を示さない。流石にタダとは行かないだろうと、脳内で適正価格を計算して、銅貨を数枚荷台の上に置く。

「じゃ、ありがとな」

 本を片手に踵を返す。数歩進んだところで、ぼそりと声がした。

「まいど」

 反射的に振り返ったが、店主はただ馬の毛を梳いているばかりであった。



 目的地は定まったことだし、食糧と水を買いに出る。雪山から溶け出した水が川を形成しているから、買う水は川に出るまでの繋ぎでいい。雪山に登ることを考えると、食糧には余裕をもたせたほうが良いだろう。寒冷期に入れば、生息している生き物たちは雪山の奥地の方に向かう、とは商人からの情報だ。途中で食糧が尽きれば、飢え死にか、あるいはその前に凍え死ぬ。だから十分に……。

「お客さん、二人旅かい?」

「は?」

「食糧。こっからじゃあ何処に行くにしても、一人でこの量は多すぎるだろう?」

 日持ちする携帯食料を大量に積み上げながら、人のよさそうな顔の店主は苦笑した。言われた言葉を反芻しながら、携帯食料の数をざっと数える。……雪山に登るにしても確実に二人分以上はある。閃は額を押さえ、げんなりと息を吐いた。無意識だった。店主がおろおろと慌て出す。

「へ、減らす?」

「……いや、いいや」

 必要になるかもしれないし。いやなってほしくないけど。全く以てなってほしくないけど、もしそうなったときのことを考えると、一人分では不安だ。

 暗い顔で笑いながら財布の紐を解く。掴んだ銀貨の内の一枚が、指の間を滑り落ちた。

「うわっ、やべえ」

 掴んでいた銀貨を一旦財布に戻して、落ちた銀貨を追う。大して遠くまでは転がっていなかった。無事に手にとって、ふと顔を上げた先に、食料品店に似つかわしくないものが置いてあった。

 見つかったかい? と声をかけてきた店主に頷いて、銀貨を出していく。

「なぁ、なんで耳栓なんざ売ってんだ?」

 先ほど銀貨が転がっていた方向には、缶詰めなどに混じって耳栓が売られていた。この店は旅人用の食料品の店のはずだ。

 店主はほら、と空を指した。青灰色の塔。その鐘。

「この街、うるさいだろ? だから店舗構えているところは何処も売ってるよ」

「まじか」

 鳴るのは正午だけとはいえ、鐘にほど近い中央でなくとも喧しいものは喧しいのだ。旅人や新しい住民の為に売っているらしい。

 店主は少年めいた悪戯っぽい表情を浮かべる。

「君、さては中央に寝泊まりしてる?」

 閃は目を見開いた。やっぱり、と店主は笑う。

「……なんでわかった?」

「言っただろう? 店舗構えてるとこなら何処でも売ってるんだよ、耳栓。当然、宿でもね」

 宿に泊まっていないのは確定。ならば考えられるのは、今日街に入ってきたか、何処かの家を間借りしているか、廃墟の多い中央を宿泊場所にしていたか。ま、殆ど鎌掛けだったんだけどね。店主は笑い、……ふつりと笑みを消した。

「気をつけなよ。昨日中央で殺人事件が起きたって話だ。……そうじゃなくてもあそこは治安悪いんだから」

 化け物まで住み着いてる始末だ。店主は悍ましそうにそう呟いた。聞き取れてはいたけれど、なんて言ったのかと聞き返すと、いいやなんでもないと慌てて手を横に振った。

 化け物とは、まあ、あの黒髪の少女のことだろう。

「まあ今日には街出るから、大丈夫だよ」

「そうなのかい? でも今日の夜中には、街の外でおんなじような殺人事件があったらしいじゃないか。さっき警邏がそんなこと言っててね。今出たら逆に危ないんじゃ……」

「――ならもう、どっか遠くに逃げてんだろ、犯人も」

 携帯食料の詰まった衣嚢いのうを肩に背負う。ああ、釣りだよ、と差し出された銅貨を受け取って、店を出た。

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