その価値は5千円・4

 おおう、ここの温泉ミョウバン湯だ。肌がつるっつるになる。

 湯加減もちょうどいい。風もほどよく気持ちいいし、心の隅々まで染み渡るような具合だ。温泉万歳温泉は正義。

 というわけでさっきまでうだうだ悩んでいたのが嘘みたいに心は晴れて、さっぱりした様子で部屋に戻ることになった。

 部屋にはすでに川中くんが戻ってきていた。ジャージにTシャツ姿でリラックスした恰好だ。対してあたしの方もおんなじような取り合わせだった。プリントTシャツにジャージ姿で、露出としては腕が見えるくらいだから、そんなに無用心な恰好ではないはず。色気もないと思う。元々そんなものを持ち合わせているかどうかはおおいに疑問だったけど。

 しばらくして部屋に運ばれてきた料理のこれまたおいしいことおいしいこと。山の中なのにまさかの海の幸中心のメニューに驚かされた。もちろん山菜も盛りだくさんだったけど、カンパチと甘エビの刺身、ホタテのバター焼きがきのこの海苔汁と茶碗蒸しの存在感を薄くしてしまったのだ。あ、でも炊き込みご飯はたけのこが入っていて大変美味でした。思わず敬語になってしまうほどに絶品だった。

 これでお酒までおいしいんだからたまらない。

 ……ん?

 ふと気づくと、対面に座っている川中くんがおかしげに笑っていた。

 あたしは思わずむっとした。

「なによ」

「いや、久坂さんって、結構豪快な人だったんだなあって、ちょっとびっくりしてた」

「はあ?」

 豪快とは何のことだ。酒のせいか。

「そんなに飲みっぷりがいいとは思わなくて」

「だって、おいしいじゃん。おいしいならおいしく飲んであげないと悪いじゃん」

 まずそうに飲むやつは無理して飲まなくていいと思う。アルコールハラスメントとかいうやつがあるけど、お酒は自発的に、能動的に、楽しんで飲むものであって、無理やり飲ませるものじゃないとあたしは思う。飲めないやつは無理に飲まなくていい。代わりにあたしが飲む。

「この間二十歳になったばかりなの。だから存分に飲んでもバチは当たらないの」

「酔ってる?」

「まさか」

 酔うわけないだろうこれくらいで。あたしは缶ビールくらいなら20本は飲める人間だぞ。

 川中くんはおかしげに笑っている。なんだその顔は。何か文句あるのか。

「こら、川中」

「呼び捨て?」

「くん」

「別に呼び捨てでもいいけど」

「それは少し悪い」

「じゃあ下の名前で呼んでよ」

「下の名前を知らん」

 知ってても呼ばないと思う。

「だんだん口調も変わってきているような……籐乎だよ。川中籐乎」

「トウコ? 女みたいな名前ね」

「よく言われる」

「違和感あるから川中くんでいいや」

「それは残念」

 名前くらいで何言ってるんだか。

 それより川中くんの前にあるコップがさっきから気になる。もしかしてそれは、ジュースじゃないか?

「なんで飲まないの?」

 川中くんは小さく首を振った。

「まだ未成年だから」

「え、年下だっけ?」

 おおう、それはおねえさん知らなかったぞい。

「早生まれ。2月なんだ」

「じゃあ来年の2月までアルコールはお預け? それは残念。でも感心感心。えらいぞー」

「……やっぱり酔ってるよね?」

「酔ってないって」

 ちゃんと川中くんの顔も見えてるし、今日本酒何杯目かもちゃーんと覚えているのだ。そう12杯目。このお酒おいしすぎて今の倍は飲めそうな気がする。これで無料ってほんとにいいのかなあ。今さら止まらないけどね。

「いくら飲み放題でも、ちょっと飲みすぎなんじゃ……」

「何か苦情を言われたらやめる。言われないということは、これくらいは全然かまわないってことだ。うん、だいじょうぶ」

「いや、そうじゃなくて、久坂さんの体調が心配で……」

「あたしの心配するなんて百年早いぞ!」

「意味がわからないよ」

 困惑した様子の川中くんがなんだか妙におかしくて、あたしはけらけら笑った。

 なーんだ。澄ました顔しか見せないと思ったら、そんな顔もできるんじゃん。

 少なくとも悪いやつじゃない。むしろいいやつだ。ろくに話をしたこともない人間にいきなり5千円なんて普通は出せない。それに、あたしを邪険にせずに話を聞いてくれて、おまけに温泉にも誘ってくれた。顔も性格も悪くないんだから、いっしょに遊びに行く友達なんていくらでもいるだろうに。

「ありがとね」

「え?」

「なんでもない」

 あたしはグラスの中の日本酒を飲み干す。

「よし、君は存分に食べろ。その代わりあたしが存分に飲むから」

「それって釣り合ってるのかなあ」

 川中くんの困り顔はちょっとレアで、なんだかかわいかった。

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