「いつも」の切れ端
転寝 紗夜
「幸せ」な一日。
さらさらと、雨の音が聞こえる。
窓に目をやると、灰色の景色の中に細い糸のようなものが、するすると通り過ぎていくのが見えた。
ソファに沈み込んだ体を少し持ち上げて、楽な姿勢を探る。一息ついて手元の本に視線を戻すと、文字を追っていく。
ぺら、ぺら、と私がページをめくる音。
さらさらとした雨音。
肩を並べて座る、君の微かな呼吸。
……あ。
何となく、空気が揺らいだ気がした。
君がゆっくりと口を開く。
「…………今、幸せ?」
「……うん。」
心地よい声が、私の耳に流れ込む。
また唐突な質問だなぁなんて思いながら、私はそれだけ答えて、ページをめくった。
「……このまま、変わらない日々が続いていったらいいね。」
「…………うん。」
私は、本から視線を外さないで答える。
君の髪が少し、さらさらと動いた。
左肩に、温かい重みが加わる。
「明日も明後日も、来世も、こうやって、なんにもないただの一日が過ごせたらいいね。」
「……………うん。」
「………………」
君はするりとソファの上から滑り降りると、本の向こう側から、私を見つめる。
真っ直ぐで、どこまでも深く沈んでいきそうな黒色。
不意に、その黒が細められた。
長いまつ毛の輪郭がくっきりと見える。
「……好きだよ。」
「……………………うん、知ってる。」
それだけ答えて私が黙ると、君は頬を膨らませて不機嫌そうな顔になる。
本越しのじとっとした視線が、痛い。
私は観念して、本をパタンと閉じる。
君の柔らかい頬に、手を伸ばした。
「……私も、君が好きだよ。」
君は、心底幸せそうな顔をして、こう言った。
「……うん、知ってる。」
それでも私たちは、未来のことを知らない。
幾ら互いを愛し合っていたって、どれだけ君のことを知っていたって。
それを知ることだけは、叶わない。
君がいつか、煙のように消えてしまう日を、私は知らない。
君が石の中で眠る日だって、はたまた海に還る日だって。
きっとその日は、私にとって人生最悪の日になるんだろう。
いや、私が先かもしれないな。
それすら分からないんだ。
でも、もし私が先ならば、最高に幸せな人生だろうな。
ただひとつ分かる事は、それらは絶対に訪れる未来だということ。
いつ幸せが壊れるかなんて、分からない。
でも、いつかは必ず壊れる。
この温かくて幸せな日々が、びりびりと音を立てて裂けてしまうこと。
それは、君がいるから、起こること。
幸せは、不幸せも一緒に運んでくるから。
だから、なのかな。
変わらない日々が幸せだと感じるのかもしれない。
変わってしまった時
人生の切り取り線の位置が変わった時
あるいは、人生の場面の写真、と考えてもいいかもしれない。
その時に写った景色で、私の人生が幸せだったかどうか、決まってしまうから。
だから、どうか、このままで。
何も無いただの一日を
また二人で
笑って、過ごせますように。
「いつも」の切れ端 転寝 紗夜 @utatane_planete_sable
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