ユートピアからの手紙

キリミ職人

ユートピアからの手紙

私の愛するアンへ


 この手紙は必ず最後まで読んでください。

 アン、お久しぶりです。いかがお過ごしでしょうか。こちらはとても楽しく順調に過ごしています。トルナリノ共和国はこの世のユートピアと言っても差し支えのない場所です。私はそちらの国での論文が評価され、日が浅いながらも教育省のそれなりの立場に配属されました。誇るべきことです。

 ここで、とある国の、とある幼馴染の話をしたいと思います。ここではあえて国名は申し上げません。


〈トルナリノ共和国万歳!〉


 私の幼馴染は私と同じように教育省に配属されています。そして私と同じようにそれなりの立場の人間です。

 ある日、国は教育改革を行う事になりました。改革とはいってもそこらへんの国のような小手先の変更ではなく、その国の言葉自体を変えるとても大掛かりなものです。

 どうやら苦しい、寂しいと言った負の感情を「悲しい」に、楽しい、ウキウキなどの正の感情を「嬉しい」に統一すると言うのです。

 彼はこんな本を読んだことがありました。


『ドイツやフランスなどでは虹は6色として考えている。一方日本などでは虹を7色だと考えている。このように何色か国によって違うのは、区切りのない虹の色に、それぞれの国の言葉が境界線を設けているからだ。このように切れ目のないものを言葉が区分していくことを「分節化」という。虹に限らず、世の中にありふれたものの殆どが絶対的な境界線は存在していない。しかしこの分節化の厄介なところは、一度そういった区切りのないものを言葉によって分けてしまうと、それ以上の概念が失われてしまうことだ。例えば、先程例に挙げた虹で言うならば、6色に分けた国では7色目を見出すことができない。概念が失われてしまったからだ。では、この虹を感情に置き換えてみたらどうだろうか。例えばきつい、嫌い、苦しいというものを「悲しい」という言葉にしてしまえばどうなるだろうか。悲しい以外の概念は失われ、その人間からは喜怒哀楽がなくなるだろう。そういうふうにすれば、人間の感情をコントロールすることができ、国に従順な人間を作り出すことができるのだ。』


 幼馴染はこんな無礼な著者をすぐにでもブタ箱に放り込む必要性を感じました。しかし彼はこの著者に興味を持ちました。著者はまだこの国にいたので、幼馴染は著者に接触を試みましたが、そう伝えると、その著者は<すぐに逃げて>しまいました。


 幼馴染は、こんな野蛮な著者が<すぐに逃げて>しまった事実に恐怖しました。なんと、彼の国では失態を起こしたら、家族もろとも殺されてしまうのです。彼はその国を<すぐに逃げて>しまうことを決意しました。結局、幼馴染も著者も、行方はわかっていません。


 最後まで読んでくれてありがとう。判断はあなたにかかっています。どうか最善の道を選んでください。


ジョージ・アイロニー





    ・・・・・・



???「この手紙の差出人の居場所を引っ捕らえろ!処罰を与える!」



    ・・・・・・




 私の名前はジョージ・アイロニー。ある日、手紙が届いた。それはトルナリノ共和国からの手紙であった。そこにはこう書かれていた。


「ジョージ・アイロニー様へ

 私はトルナリノ共和国の教育省で働いている者です。早速ではありますが、今、トルナリノ共和国では優秀な教育者が不足しています。このままではこの国の人民は貧困になり、国は崩壊の一途を辿ってしまいます。私は教育界の権威であるあなたを是非教育省に加わってもらい、この国を建て直して頂きたいのです。突然ではありますが、何卒よろしくお願いします。電話番号は以下の通りです。」


 怪しすぎるが、私はその手紙に妙に惹かれた。数日経つと二度目の手紙がやってきた。内容は一度目の手紙とほとんど一緒だが、文章が焦りが伺えるようになった。そして三度目が来た。三度目は逆に悲壮感にあふれていた。

 一枚目こそ怪しさも感じていたが、私はこの手紙に救いを求めた。三枚目が届いた頃には何の躊躇もなくこの国を後にしていた。


 私は大学の時から教育学を専攻し、若い時は多くの論文を執筆してきた。アイロニー教育法、私が提唱した思想である。この思想は教育界に衝撃を与え、すぐさま私は注目の的になった。私の人生は順風満帆であった。

 しかし転機は結婚した時ぐらいだった思う。アイロニー式教育論は盗作だと言われ始めたのだ。これは全くの事実無根だ。ただ世の中と絶縁していた自分を養護してくれたのは、私の嫁ぐらいだった。彼女は必死に弁明に徹してくれたが、どこに行っても盗人と呼ばれるようになった。私は教育学の世界から足を洗う羽目になった。しかもその後で、実は盗作ではなかったことが判明する。すると皆、掌を返して俺にすり寄ってきた。それが私にとって如何に屈辱的であったか。私はとことん人間が嫌いになった。しかし、不思議なもので、それでも私は人愛を諦めきることはできなかった。そんな私にとって、世間に戻してくれる機会を与えてくれたこの手紙は希望そのものだった。



 我が国とトルナリノ共和国は隣接しているのにも関わらず、共和国へ向かう航空便は存在しない。そのため、バスで国境を渡った。

 トルナリノ共和国へ向かうバスが1日に1本存在する。私は早速、バスの車内で違和感を覚えた。乗客のほとんどが薄汚れた服を着ている働き盛りの男ばかりだったのだ。彼らは酒をガブガブ飲んで宴を開いている。出稼ぎ労働者なのだろうか。


 バスは国境を超えた。国境の壁を通り過ぎると、私は言葉を失った。窓から映る光景があまりに酷いのだ。子供がボロボロの服を着ながら、ガリガリの体を奮い立たせて農業に勤しんでいる。

 私は教育者として、活字や写真を通してこの国について学んできたつもりだ。しかし現実は想像以上に酷い。よくこんな状態で国として成り立ってきたものだ。


 首都に到着した。首都は先程の郊外とは打って変わってとても綺麗な街並みだった。あまりに綺麗過ぎて奇妙に感じたほどだ。私が降りると、すぐに声をかけられた。


「アイロニーさん!こっちです!」


 とても若い女性だった。


「いや〜遠路はるばるありがとうございます!私は大統領秘書をしております、ケリー・アンヘルズと申します。今回、お越しになったことは、我が国の大統領も大変喜んでおります!」

「え?私ってそんなVIP扱いなんですか!?」

「もちろんですとも。アイロニー式教育法は我が国でもとても有名です。」


 アイロニー式教育法、久々に聞いた。

 私はケリーから案内を受け、大統領官邸の中のある一室を譲り受ける。翌日には教育省のそれなりの立場に任命された。


 私は数多くの業務を任された。その全てにおいてやりがいがある。とても最高な毎日だ。ひたすら机にかじりついて論文を執筆し続けた学生時代や雑用しか任されなかった教員時代なんかとは比べられないほどの充実していた。しかしそんな時間はすぐに失われた。


『言語鈍化計画』


 それはこの国の言葉のうち、寂しいと言った負の感情を「悲しい」に、楽しい、ウキウキなどの正の感情を「嬉しい」に統一するというものだ。私はこの計画の責任者にされた。だからこの国は私を必要としていたのか、と悔しがった。


『嫌い、苦しいというものを「悲しい」という言葉にしてしまえばどうなるだろうか。悲しい以外の概念は失われ、その人間からは喜怒哀楽がなくなるだろう。そういうふうにすれば人間の感情をコントロールすることができ、国に従順な人間を作り出すことができるのだ。』


 アイロニー式教育法の一文だ。まさにこの国はそれを行おうとしている。背筋が凍った。私はすぐさまケリーを捕まえて、この計画の履行を拒否することを伝えた。すると彼女は素っ気ない顔をして


「拒否?いいんですか?我が国には優秀な工作員がいるんですよ?この国にいる間はあなたの身の安全も、まあ我々にかかればすぐに、ね?」


 そう言いながら首を切るジェスチャーをした。


「ええ...最善を尽くします...」


 そう言わざる負えなかった。時折共に働いていた職員がいなくなることを思い出した。彼らは全員殺されてしまったということなのだろうか?私は恐怖に襲われた。すると彼女が


「あ、そしたら手紙でも書いてもらって、家族の方々にも我が国に来てもらいましょうか?」


 冗談じゃない。こんな国に家族を連れてくるなんて、人質にするようなものではないか。


「じゃあ手紙を明日までに書いておいてくださいね。言っておきますが、あまり変なことは書かないことをおすすめしません〜」


 彼女の憎たらしい顔は、私に怒りの感情というよりも恐怖心を与えた。家族にこんな国の地を踏ませてはいけないが、来るなとも書けない。

 私はペンを持った。表向き来てくださいと書かれているが、家族にだけは本質が分かるよう書いた。私の弁護を行なった嫁なら、私の書いたアイロニー式教育法の内容を知っている。この国はそれを実行に移そうとしていることが伝われば、来るなということもわかるはず。いや、頼むからわかってくれ。

 私は「幼馴染」という架空の人物を作り、自分に起きた経験を綴った。私は元々引っ越しが多い家庭で、幼馴染と呼べる人物はいないと、彼女に話したことがある。彼女が忘れていなければいいのだが。

 さらに、自分の家に手紙が届いたということは、私の住所を知っているということ。私は家族にすぐに逃げるようメッセージを記した。


 そうやって書いた手紙は、今や彼女の元に渡っているはずだ。頼むからここに来ないでく..


「国家安全警察だ!ジョージ・アイロニーだな!国家機密漏洩罪で逮捕してやる!」


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