第11話

 場所は変わらず喫茶店。

 俺は三碓を隣に座らせて、興ヶ原おくがはらと顔を突き合わせている。

 突き合わせている、といっても、興ヶ原は俯くばかりで、こちらを見ようとしないのだが。


「ごめんなさい」


 沈黙という支配を掻い潜って、興ヶ原は頭を下げた。

 俯いているのではない。頭頂部をこちらに向けて、机に鼻が付くんじゃないかってくらいだった。


「謝らなくていい、とはいえないがな」


 俺は少しだけ居づらくなって、


「それでも、今は頭はあげてくれ。気にしてないと言えば嘘になるし、恨んでいないわけじゃないが………、それでも話さないと何も変わらないだろ」

「………ええ」


 興(おく)ヶ原(はら)はゆっくり顔をあげると、真っすぐと俺を見る。


「……………」


 その瞳は少しだけ潤んでいたけれど、興(おく)ヶ原(はら)はそんな素振りを見せようとはしなかった。


「興ヶ原先輩、話はおおよそ聞いたっす」


 そう口にする三碓は、いつになく真剣な表情を浮かべていた。

 流石にこの状況でふざけようとは思わないようで、その声音もかなり落ち着いて聞こえる。

 いつもこんなんなら、良い後輩なのだけれど………、なんて考えられる当たり、俺にも多少は心にゆとりがあるらしい。


「九ノ瀬君、話したの?」

「まあ、な」

「そう」


 興ヶ原は諦めたように眼を閉じて、小さく「ふう」と息を吐く。


「失望されてしまったかしら」

「まあ、正直、言いたいことはたっっっっくさんあるっすけど、スグルん先輩に責める気がないのなら、私がいうことじゃないっすから」

「………九ノ瀬君、好かれてるのね」


 興(おく)ヶ原(はら)は儚げに微笑む。

 その瞳に込められているものは、羨望か、あるいは観念なのか、俺にはわからなかった。

 ただ、三碓は何かを感じ取ったようで、


「そっか、興ヶ原先輩も………」

「三碓?」

「いえ、なんでもないっす。ただ、ライバルがアホやらかしたな、っておもっただけで」

「…………すまん、意味が分からないんだが?」

「はぁ………こんなこともわからないなんて、先輩ってホントダメダメっすねぇ」


 三碓はやれやれと首を左右に振りはじめる。

 …………よくわからんが、馬鹿にされていることだけは分かった。

 先輩としての威厳を見せるしかなさそうだ。


「そい」

「ひゃう!?」


 俺が三碓の脇腹を指でつつくと、三碓は肩を跳ねさせて、奇声を上げた。

 …………ちょっとエロかったのは、スルーの方向で。


「先輩、今真面目な話、してるんすけど!」

「お前がふざけ始めたんだろ」

「だって、先輩があまりにも鈍感だから………!」

「脈額がなさすぎる……」


 なんで俺が悪いみたいになってんだ。


「とにかく、先輩は大人しくしててほしいっす! 今は私が興(おく)ヶ原(はら)先輩と話してるんすから!」

「へいへい」


 我儘な後輩だ。俺を心配してくれているのはわかるから、そこだけは嬉しく思うのだが。

 まったく、良い後輩をもったものである。


「興(おく)ヶ原(はら)先輩。先輩が考えているのが、スグルん先輩に対する贖罪についてだけじゃないっていうのは、わかっているつもりっす」

「…………本当に、嫌らしいことにね」


 二人の間で、何か通じ合うものがあるのだろうとはわかる。

 わかるのだが、完全に置いてけぼりにされているあたり、俺はお邪魔虫ということだろうか。

 俺の話のはずなんだが。


「その上で、あえて言わせていただくっすが――、可能性は、ほぼゼロっす」

「…………分かってる、つもりなのだけれどね」

「いえ、分かってないっす」


 三碓は首を左右に振った。


「確かに頭の中では分かってるのかもしれないっす。でも、それは理解であって納得じゃない」

「……………」

「納得しないと、きっと死ぬまで苦しむことになるっす」


 まるで何かをわかっているように、そう断言する三碓。


「スグルん先輩」

「おう?」

「私、今からちょっとだけ嫌な子になるっすけど、あまり嫌いにならないでほしいっす………」

「おう…………? よくわからんが、俺がこれ以上お前を嫌いになることはないから、安心していいぞ」

「その言い方は気になるっすけど………まあ、いいっす」


 三碓は「こほん」と気を取り直すように咳払いをした。

 そして何やら覚悟を決めたように「よし」と言うと、


「スグルん先輩は、私のっす。興ヶ原先輩には、絶対に渡さないっす」


 ……………あ?


「やっぱり、そういうことよね」

「はい。それに、さっきも言ったすけど、興ヶ原先輩には一ミリも望みはないっす。さっさと諦めた方が、賢いと思うっすよ」

「っ…………」


 「ひぅ」と息を吸う音だけが聞こえて、興ヶ原(はら)は泣くのを我慢するように、唇を噛み締めた。

 いや、ちょっとまって。


「三碓、言ってる意味がよくわからないんだが」

「なにも難しいことはないと思うっすけど……」

「いや、何を言ってるのかはわかる。だが、お前…………、その、エロゲーの女の子、好きじゃなかったっけ?」


 三碓はエロゲー好きで百合っ子。そんな三碓が、俺を、というのはおかしいだろう。


「それは、あれっす。先輩と共通の話題がほしいなーって思って始めたんすよ」

「……俺ってエロ大魔神とでも思われてたの?」

「まあ、途中から割とマジでハマってたんすけどね」

「おい、質問に答えやがれ」


 生意気な後輩は俺を貫かんばかりに、見据えて。


「先輩、好きです」

「――――――――――――――」


 そう、宣った。


「直向きに頑張る先輩が、優しい先輩が、仏頂面な先輩が。いつの間にか好きになってました」


 続ける。


「先輩に振り向いて欲しくて、可愛くなりたくて、夏にファッション雑誌をたくさん読みました。メイクの練習だってして、クラスメイトに変に思われるのを覚悟で、髪だって染めました。私、可愛くなれましたか?」


 続ける。


「いつも文芸部に篭っていた私に、何も聞かずにいてくれた先輩が、いつの間にか好きになっていました。たまに笑ってくれる先輩は、寂しさを紛らわせてくれました」

「三碓、俺は―――」

「答えが欲しいわけじゃないんです」


 続ける。


「今は気持ちの整理がつかないのは分かってます。だから、今は、これは先輩に言ってるんじゃないんです」


 三碓は興ヶ原に向き直る。

 ………俺を好きだと言っているのに、俺に向けて言っていないとはどういうことだ?

 ここには俺と三碓、それに興ヶ原しかいない。俺に言っていないということは、興ヶ原に向けて言っているということだ。

 だが、なぜ興ヶ原に言う必要がある?

 俺の疑問に答えるようにして、三碓が、


「興ヶ原先輩も、スグルん先輩が、好きっすよね」

「―――――――は?」


 俺は興ヶ原を見やる。

 彼女は口を一文字に結んで、黙りこくっている。だが、その目は確かに興ヶ原へと向けられていた。

 そして、


「―――――ええ。私も、九ノ瀬君が好きよ」


 興ヶ原もまた、ゆっくりと。しかし確かに、そう宣うのだった。

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