第8話

 席の近くの男子と談笑しながらホームルームを待つことしばし、ふと興(おく)ヶ原(はら)が教室にいないことに気が付いた。

 一年の頃は皆勤賞を取っていたし、二年になっても興(おく)ヶ原(はら)が一度でも休んだと言う記憶はない。

 どうしたのかと心配していると、


「ホームルーム始めるぞー」


 徐に教室に入ってきた担任のゴリマッチョ教師が教壇の前に立って、ざわつきも小さくなっていって、やがて全員が自分の席に着いた。

 それを確認したゴリ担任は、出席をとるために名簿を読み上げていく。

 だが、


「江藤」

「はい」

「えーっと、川崎」

「はーい」


 なぜか、興(おく)ヶ原(はら)の名前が飛ばされた。

 出席簿はあいうえお順に並んでおり、江藤の次は興(おく)ヶ原(はら)の名前が呼ばれるはずだ。

 だというのに、ゴリ担任は名前を呼ぶことすらなく、次の川崎の名前を呼んだ。

 まるでそこにいないことがわかっていたかのように。


「よし、これで全員だな」

「あの、興(おく)ヶ原(はら)さんが居ません」


 一仕事終えたといった様子のゴリ担任に対して、どこからか疑問の声があがった。

 やはり、違和感を感じていたのは俺だけではなかったらしい。


「興(おく)ヶ原(はら)は今は保健室だ」

「怪我でもしたんですかー?」

「心配だね」

「この後、様子を見に行ってみる?」


 やはりというべきか、人望のある興(おく)ヶ原(はら)を心配する声が上がる。

 告白の返事は気になるところだが、今は興(おく)ヶ原(はら)の体が心配だ。


「あー。まあ心配するな、軽い貧血だから、すぐよくなるだろ――――、それから九ノ瀬」

「―――――はい?」


 ゴリ担任に呼ばれて、遅れながらも返事を返す。


「ちょっと職員室までこい」

「? わかりました」


 あれ、何かやらかしたか?

 そう思うものの、特に思い当たることはない。

 まあ、ゴリ担任は体育教師でバスケ部の顧問だから、大会の助っ人にだとか、そういう話だろう。

 なんて簡単に考えながら、ゴリ担任の後を追うと。


「入れ」

「………えっと、職員室にいくんじゃないんですか?」


 辿り着いたのは、談話室だった。


「いいから。中に入っても、何もするなよ」

「はあ………?」


 言っている意味が分からない。

 不思議に思いながらも、ゴリ担任に軽く背中を押されて、半ば無理やり談話室へと入る。


「………興(おく)ヶ原(はら)?」


 談話室に置かれた二つのソファとガラス製の机。

 窓側のソファに、興(おく)ヶ原(はら)が座っていた。


「九ノ瀬、座れ。興(おく)ヶ原(はら)とは反対側にな」

「はぁ…………?」


 わけのわからないまま、言われるがままにソファへと腰かける。

 それを見たゴリ担任は「よし」と言いながら、興(おく)ヶ原(はら)の隣へと座った。

 まて。


「先生、わざわざ女子高生の隣に座るとか、訴えられても知りませんよ?」


 軽口のように言ってみるものの、興(おく)ヶ原(はら)の隣に男が座っているというのは、例え担任でも、余り気持ちの良い物ではない。

 嫉妬苦しいとは思うが、こればっかりは惚れた弱みとでもいうべきか。


「何、気にするな。ここならお前がよく見えるからな」

「それって、どういう――――」

「九ノ瀬」


 ゴリ担任は俺を監視するように睨みながら、俺の言葉を遮って。


「興(おく)ヶ原(はら)をストーキングしているというのは、本当か?」

「―――――――あ?」


 ナニをイッテルンダ、このゴリラ。

 本当か、などと言いながら、ゴリ担任は半ば確信しているのか、俺を糾弾するような目付きで睨んでくる。

 まて、それはおかしい。


「あの、言ってる意味がよく分からないんですが」

「九ノ瀬、お前―――」

「先生、これは私の問題ですから、ここからは私が」


 興(おく)ヶ原(はら)は覚悟を決めたような表情で、真っすぐに俺を見つめてくる。


「九ノ瀬君」

「興(おく)ヶ原(はら)、お前からも何か言ってやってくれないか? 俺はストーキングなんて―――」

「私をストーキングするのは、もうやめてほしいの」

「―――――あ?」


 ちょっとまて。

 おかしいだろ。

 ストーキング?

 俺が、興(おく)ヶ原(はら)を?


「待ってくれ、本当に何が何だか分からないんだ。なんで俺がお前をストーキングしていることになってる」

「…………あくまで白を切るつもりなのね」


 彼女は残念そうに目を伏せると、すぐにこちらを見直して、


「毎日よ」

「?」

「私の家の付近で貴方らしき人を、ここのところ毎日みるわ」

「おい、俺はそもそも興(おく)ヶ原(はら)の家なんて知らないぞ?」

「口からなら何とでも言えるでしょう。私の後を付ければ、いくらでも調べられるものね?」

「はあ?」


 完全な濡れ衣に、怒りを通り越して、もはや呆れる。俺の言ったことは紛れもない事実だし、嘘なんて一つもない。


「とにかく、金輪際、私に関わらないでほしいのよ」

「ふざけんな。何度も言うが、俺はやってない。お前は誤解してる」

「言い訳は結構よ。素直に認めて反省してくれるのなら、先生もことを大きくしないでくださるのよ」

「九ノ瀬。お前が頑張っているのはよく知っている。きっと、日頃のストレスでおかしくなってしまったんだろう。ここは一度ゆっくり気を休めて、心を落ち着けた方が―――」

「――――――やってないっつってんだろ!!!!!」


 くそ、どうして話を聞こうとしない。

 どうして信じない。

 そもそも、証拠もなしに人をストーカーに決めつけやがって、こいつら正気じゃねえ。


「素直に認めた方が身のためよ。証拠もあるのだから」

「あ?」

「これよ」


 三碓は一冊の本を机の上に置いた。

 保健体育の教科書だった。


「………これが何だってんだよ」

「裏を見てみなさい」

「…………?」


 言われて、俺は教科書を翻す。


「―――――――は?」


 『九ノ瀬優』


 つたない文字で書かれていたのは、俺の名前だった。


 まて。

 まて、まて。


「これが、どうしたんだよ」

「…………私の家の前に落ちていたのよ」

「んなわけねえだろ、俺の教科書なら、教室の机の中だ」

「ないわよ。昨日の放課後、先生と一緒に確認したから」

「九ノ瀬、興(おく)ヶ原(はら)の言う通りだ。お前の机の中に、保健体育の教科書はない。文字を真似たとか、そういうたぐいの悪戯ではない」

「それなら、興(おく)ヶ原(はら)が嘘をついて――――」

「九ノ瀬」


 ゴリ先生が寂しそうに目を細めて、


。そもそも、嘘をついて何の得があるんだ」

「―――――――――――――――」


 クソったれが。

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