第6話
「今日から軽く執筆をしてもらうわ」
模写を始めて四日ほど経った頃、部室にきてノートパソコンの電源を付けた俺と三碓に、興(おく)ヶ原(はら)が言い放った。
教壇の前に立って机に手を乗せる興(おく)ヶ原(はら)はどこか貫禄があって、年季の入った老教師のようだった。お前、女子高生だよな?
「模写、ってわけじゃないっすよね。早くないっすか?」
「そうでもないわ。それに、模写ばかりで飽きたでしょう?」
「それはそうっすけど……」
項垂れる三碓の両手首には、湿布が張られている。
家では集中できないとか言いながら、腱鞘炎になるまでやっているらしい。意外と努力家っぽいけれど、このエロゲーマーのどこにそんなやる気が眠っているというのか。
「確か、次は創作練習だろ? 具体的に何をやるんだ?」
このまま続けていても腱鞘炎がひどくなるだけだろう。俺もちょっと痛くなってきたところだし。
「テーマを決めて、それに沿って数千文字程度の小説をかいてもらうわ」
「テーマっすか?」
「ええ。例えば、三碓さんが卒業式を迎えるとして、その時の一条先生がどうしているのか、とかね」
「うーん………割と泣いてそうっすね」
「なら、それをワンシーンの物語として、書いてみましょう」
なにやらいつの間にかテーマが決まったようで、三碓は「うーん」と唸りながらもカタカタとキーボードをたたき始める。
「じゃあ、俺もそのテーマでいいのか?」
「………いえ、九ノ瀬君には、別のテーマを用意してあるわ」
「へ?」
特別講習ということだろうか。
三碓より下に見られているのだとしたら、甚だ遺憾である。
こいつやっぱ嫌いだわ。
「どうして不満そうなのかしら?」
「別に不満でもなんでもねえよ」
「…………そう」
興(おく)ヶ原(はら)は一瞬だけ寂しそうに目を伏せるが、すぐに表情筋を平常に戻して、カバンから一枚のぺら紙をとりだした。
「これは?」
「これから書いてもらおうと思っているテーマよ」
そう言われて差し出されたそれには、いくつかのお題と思われる文章が並んでいた。
以下の人物とシーンを、心情を交えて書きなさい
初級編
・高校生になった男子と、入学式のシーン
・母親の誕生日に、社会人男性がプレゼントを渡すシーン
中級編
・転校生の女子に一目ぼれして、隣の席になった時のシーン。
・両親が厳しく、月に一度の休みに子供がゲームセンターに行ったシーン
上級編
・余命三か月と申告された男の子のお見舞いに行くシーン
…………なんか、シャレにならないやつがあるんだけど。
「これで全部か?」
「必要ならもう少し用意するから、とりあえずそれでやってみて頂戴」
「いや、そうじゃなくて。全部書かなきゃいけねえの?」
「宿題よ」
「あ、はい……」
まあ、一条先生にはやると言ってしまったから、やるけどさ。
最後のお題は、なんかちょっと鬱になりそうだ。
「もう文芸大会にはスグルん先輩一人でいいんじゃないっすか?」
「うるせえ。俺が頑張ってるのに、お前だけ楽しようとしてんじゃねえよ」
「えー。私だってこんなに頑張ってるんすよー?」
と、手首をプラプラとさせる三碓。
「三碓さんは、むしろ少しだけ休んだ方がいいかもしれないわ。多分、タイピングにあまり慣れていないでしょう?」
「え、どうしてわかるんすか?」
「力加減とか座る体勢が悪いと、手首に負担がかかるのよ。だから、腱鞘炎になるの。私も半年くらい前に、同じような経験をしたわ」
「へー、そんなもんなんすね」
俺は日ごろからネトゲでタイピングに慣れているから平気だが、確かに慣れていないとそうなるかもしれない。
興(おく)ヶ原(はら)は作家だとか言っていたから、その経験則だろうか。
「スグルん先輩は家でゲームのし過ぎなのか、それともサボってるのか、わからないっすね。どちらにせよしょーもないっすけど」
「うっせえ、ほっとけ」
「ネットゲームもいいけれど、きちんとやらないと入賞なんて無理よ?」
「わかってるっての」
たった二か月で賞を簡単に取れるなんて思うほど、頭の中はお花畑じゃない。
◆ ◇ ◆
「ちょっといてえ……」
俺は手首をさすりながら、自室のベッドに寝転んだ。
歯磨きよし、睡眠欲よし、明日の準備は――日曜だから必要なし。
大方、今日の内にやることはすべて終わらせたことを確認して、俺はゆっくりと目を閉じる。
一人暮らしの夜は怖いくらいに静かだ。
テレビの電源をつけたり、スマホで音楽を流したりしてみるものの、静かなことは変わりない。
温かみがないとでもいうべきか。
夏休み前までは特に気にならなかったというのに、今になって気になるというのも、不思議な話だ。
環境は何一つとして変わっていないのに、やはり心境の変化が原因なのか。
あるいは、何かに夢中になっている間は、そんなことは気にならないのかもしれない。
~♪
「ん?」
もう少しで夢の世界の中、といったところで、鳴り響く着信音。
無視を決め込もうとスマホに背中を向けるが、鳴りやむ気配はない。
「……………はぁ」
いい加減に鬱陶しくなって、手探りにスマホを探して手に取ると、名前も見ずに通話に出る。
『もしもし』
少し、声が低くなってしまったのは、仕方なかった。
『スグルん先輩、こんばんわっす!』
犯人は騒がしい奴だった。
『三碓……。今、何時だと思ってやがる』
『えーっと。12時?』
『零時だ、馬鹿』
『こ、細かい……。そんなんだから、スグルん先輩はモテないんっすよ』
『ほっとけ。んで、なんだよ』
三碓は『せっかちっすねー』と続ける。
『ちょっと気になったんすけど、スグルん先輩って、興(おく)ヶ原(はら)先輩と何かあったんすか?』
『………………』
予想外の問いに、俺は息を詰まらせる。
『あったんすね?』
『………まあ、あったっちゃあったけど。なんでわかったんだ』
『いやだって、スグルん先輩って興(おく)ヶ原(はら)先輩にやけに冷たいじゃないっすか』
『気のせいだろ』
『いやいや、ぜーったい冷たいっす! そっけないと言うか、投げやりと言うか……気持ち悪いんすよ!』
まあ、言われてみれば、無意識にそんな態度をとってしまっていたかもしれない。
少なくとも、三碓に対するそれとは、一線を画している自覚はある。
けれど、興(おく)ヶ原(はら)に、三碓と同じように接しろというのは、無理な話だ。
『何があったのか、聞かせてほしいっす』
『なんで』
『……………』
『………………おい、三碓?』
電話越しに聞こえる、三碓の息遣い。
顔は見えないけれど、何かをためらっているような。
そうしてしばらくして、三碓は『うん』と意を決したように呟くと、
『
その言葉は、まるで春先の頃の彼女に戻ったようだった。
真面目で、人と目を合わせるのすらも怖がっていた三碓。
人と関われなくて、それでも関わりたくて、そして―――、失敗していたあの頃に。
『…………今日はもう遅いから、また明日な』
『約束ですよ』
『ああ』
それだけ言って、俺は電話を切る。
「………くそ」
三碓のせいで、嫌な記憶が鮮明に浮かび始める。
興(おく)ヶ原(はら)のために努力して、告白して、そして、翌日の朝を迎えて。
「だりい」
こういう日は、嫌な夢を見ると相場が決まっている。
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