第5話
「ただいま」
賃貸の部屋に帰って早々、俺は返事が来ないと分かっていながら、虚しげに言う。
実家から離れての一人暮らしは最初こそ自由で良かったけれど、洗濯や料理なんかに段々と疲れてくるものだった。
確かに料理は楽しいし、上手く作れた時なんかは、ちょっとした達成感さえも覚える。
ただ、それを一人で食べるのはなかなかに寂しいもので、少し疲れた日なんかは、惣菜に頼ってしまうこともしばしばだった。
だからだろうか。あまりやっていなかったゲームに、ドはまりしていたのは。
カバンを置いて制服からジャージに換装した俺は、米を炊飯器に突っ込むと、パソコンのスイッチを入れた。
ついでに空調もつけておく。
「お、新しいイベントやってるな」
去年の夏頃から始めたMMORPG『モンスターオンライン』での、経験値1.5倍キャンペーンが始まっていた。
ついこの間の夏休みの一か月間、一日10時間以上もプレイしていただけあって、レベルはカンストしてしまっているキャラが多い。
あとはスキルの取得やら装備の収集くらいしかやることがなかったけれど、この際、新しいキャラを作るのもいいかもしれない。
とりあえず、デイリーミッションはやっておくか。
『ユウ君、こんばんは』
そうしていると、フレンドチャットにメッセージが入ってきた。
半年くらい前から一緒にプレイしている、『フリーダム』さんからだった。
彼は最初こそ初心者もいいところで、インベントリの開き方すらもわかっていないほどだった。それが偶々パーティーを組む機会があって、それからというもの、大切な相方として、よく一緒に素材集めをしている。
『こんにちはー。新しいイベントやってますね』
『おや、本当かい? まだチェックしていなかったな』
『経験値1.5倍キャンペーンっぽいですよ。この機会に、一緒に新しいキャラ育てます?』
『それもいいかもしれないね。レベルも上げ切ってしまっているから』
物腰柔らかい『フリーダム』さんは、26歳の社会人らしい。曰く、性別は男とのこと。
その割にMMORPGはド初心者だったというのだから、子供時代にあまりゲームをやってこなかったのだろう。
この半年の間一緒に遊んできて、真面目な人だというのはよくわかった。
『もう、大丈夫そうだね?』
『なにがですか?』
『いや、ほら。少し前に、失恋をしたといっていただろう。相談に乗った身としては、少し申し訳なく思っていてね。気になっていたんだ』
『…………それなら、もう忘れようとしてるところですよ。それに、フリーダムさんが気にするようなことじゃないです』
『そうはいっても……いや、君がいうのなら、そういうことにしておこう』
多分、あまり触れないで欲しいのを察してくれたのだろうか。
『ええと、なんていったらいいかな』
画面越しだけれど、その言葉から『フリーダム』さんがあたふたと慌てているのが分かった。
彼は大人の癖に、どこか可愛らしい雰囲気がある。きっと現実でも真面目なだけじゃなくて、良い人なのだろう。
『まあ、古い恋を忘れるのには、新しい恋を始めるのが一番だよ。君の近くに、いい子がいるんじゃないかい? ほら、後輩とか』
そう言われて、三碓を思い出す。
生物学上は確かに女子だけれど、あいつを変な目で見たことなどはない。
後輩というよりは女友達。それも、悪友と言った方が近いだろう。
『生意気な後輩ならいますけど、そういうんじゃないですよ』
『そうなのかい?』
『ええ。それにもう、そういうのはいいかなって』
『枯れた中年男性みたいなことを言うんだね……』
『そういうフリーダムさんは、どうなんですか? 結婚されてませんでしたよね』
『………………私はもう、だめだよ』
『へ? どういうことですか?』
『こっちの話だよ。軽くデイリーミッションを済ませてくるから、あとでまた落ち合おう』
『は、はぁ……』
それっきり、『フリーダム』さんから反応が無くなる。
何か地雷でも踏んでしまったのだろうか。
「…………まあ、俺もデイリーやっとくか」
謝るにしても、遠隔チャットじゃなくて、直接言った方がいいだろう。
俺は慣れた手つきでデイリーミッションをクリアしていくのだった。
◆ ◇ ◆
※興ヶ原視点
「本当に馬鹿よね、私」
パソコンのディスプレイを前に、私は小さく溢(こぼ)した。
日課のデイリーミッションをやろうと手を動かすけれど、全く集中できやしない。
あれほど楽しかったゲームを、今や惰性で続けることすらもできていないのだから、重症だった。
「…………はぁ」
昔から時間がなくて、少しもできなかったゲームができるようになって、半年ほど。『モンスターオンライン』は友人に勧められただけで、特に興味があったわけでもなかった。
それを半年も続けることができたのは、偏(ひとえ)に、一人のフレンドの存在が大きかった。
「一条先生も、何を考えているのかしら」
昨日の夜。家に電話をかけてきた一条先生は、挨拶もほどほどに、「興(おく)ヶ原(はら)さん、文芸大会に向けて、九ノ瀬君に指導をお願いできませんか」と。
『文芸部』ではなくて、『九ノ瀬君』と言い切ったあたり、一条先生は彼と私の間にあったことを知っているのだろう。
私が彼を傷つけてしまった、あのことを。
愚かにも、私が欲してやまなかったものを、自ら棄ててしまったことを。
「同じ人だなんて、わかるわけない……っていうのは、ただの言い訳ね」
結局のところ、私は自分の目で見ようとしていなかっただけだった。
誰とも向き合おうともせず、理想をディスプレイの住民に押し付けた。
この人はきっと、この人ならきっと。
理想を理想とみることができずに、理想を捨てることになったのは、全て自業自得だった。
『理想』というのも、今思えばおこがましい考えだったのだろう。
私は最低な女だ。
「………いけない、デイリーやらないと」
今は文芸大会に向けての対策を練る必要もあるし、どう教えるか、なんて悩んでいなければならないのだろうけれど。
今、この瞬間に甘えてしまっている自分が、本当に嫌いだった。
私は最低な女だ。
『ユウ』が彼だとわかって最初に考えたことは、『どうすれば許してもらえるか』ということだった。
どこまでも自分勝手で、相手のことなんて何一つとして考えていない。
このまま黙っていれば、少なくともここでは一緒に笑っていることができることを知っている。
私は、最低な女だ。
「……………終わった」
もはや作業と化したデイリーミッションを何も考えずに済ませて、私は少しだけ億劫になった。
彼と一緒にいる時間は、とても喜ばしいものだ。
けれども、そこに至るまでの時間は、とても苦しい。
素知らぬ顔で他人の振りをして、彼と会うまでの時間は。
ネットでは個人情報を出さない方がいいと友人に言われて、何気なく付いた嘘が、今はこうして棘となってチクチクと突き刺さる。
彼に会うたびに、私は嘘をついている。
そして今日もまた一つ、嘘が増えた。
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