第4話
「二人とも、タイピングは得意?」
教壇の前に立って、興(おく)ヶ原(はら)は俺達を見下ろした。
なんだかんだで外見は美少女に違いないから、こうしていると様になる。とはいえ、やはり余り顔を突き合わせてはいたくはなかった。
一条先生にやると言ってしまった以上は、やるしかないが。
ちなみに一条先生は別の仕事があるとかで、ここにはいない。興(おく)ヶ原(はら)に放任していった。
「私は結構自信があるっすよ! 先輩は?」
俺の隣で元気よく手を挙げる三碓。
「俺もまあ、普通くらいだ。得意ってわけじゃないけど、不得意でもない」
「それなら、原稿用紙の無駄遣いをせずに済みそうね」
『手も疲れにくいしね』と言いながら、興(おく)ヶ原(はら)が教壇の脇に置かれていたリュックからとりだしたのは、二台のノートパソコンだった。
去年の秋ごろに学校で借りられるようになったもので、授業でたまに使うことがある。
残念ながらネット環境はないから、ネトゲはできないが。
「これを使って。文章ソフトはデスクトップにあるから。マウスが必要なら、一応用意してあるから言って頂戴」
「用意周到っすねー」
「これくらい当然よ」
興(おく)ヶ原(はら)はすまし顔で俺達の前にノートパソコンを静かに置いた。
俺と三碓はディスプレイを開いて、電源のスイッチを入れる。
まだ導入されてから一年くらいしかたってないからか、起動が早く、すぐにデスクトップ画面へと移る。
「さて、それじゃあ、まずは模写で文章を書くことに慣れるところから始めましょう。貴方たち、国語の教科書は持っていたりするかしら」
「あ、置き勉してるんで、ないっすねー。とりに行った方がいいっすか?」
「いいわよ。私の教科書を貸すから、それを使って……、九ノ瀬くんは、その」
興(おく)ヶ原(はら)は教科書を三碓に渡すと、不安げに俺を見る。
「そんな目で見んなって。国語の教科書くらいは持ってる」
「そう、よかったわ」
興(おく)ヶ原(はら)はほっとしたように胸をなでおろして、教壇の前へと戻る。
「先輩、何か悪いことでもしたんすか? 信用されてなさすぎっすよ」
「どっちかというと、悪いことされたのは俺なんだけど……」
三碓がひそひそと話してくるので、俺もなんとなく小さな声で返す。
興(おく)ヶ原(はら)は黒板に何やら書き始めて、気づいている様子はなかった。
「ふーん。どうだか。先輩、もしかして興(おく)ヶ原(はら)先輩の胸でも揉んだんじゃないですか? 私ほどじゃないっすけど、結構大きいっすもんね? 私ほどじゃないっすけどっ」
「なぜ2回言った……、そもそも、あいつの胸なんて触るくらいなら、お前のを触った方がマシだ」
「その言い方、すっげえ腹立つんすけど」
「気にするな。言葉の綾だ」
「………何を話しているの?」
そうしていると黒板に文字を書き終えた興(おく)ヶ原(はら)が、眼を細くさせてこちらを見下ろしていた。
「なんでもないっす! 先輩がセクハラしてきたってだけで!」
「………私、なにかしたかしら?」
「ああ、いや、興(おく)ヶ原(はら)先輩じゃなくて! スグルん先輩ですよ!」
「スグル……ああ、九ノ瀬君」
興(おく)ヶ原(はら)は納得したように頷いた。
「おいこら、なにどさくさに紛れて人のことをあだ名っぽく呼んでんの? 殴るよ?」
「なんで!? いいじゃないっすか! この教室、先輩は二人いるんだし! 『ココノセセンパイ』って、『セ』が二つ続くから、言いにくいんすよ!」
「言いにくいかどうかはともかく、確かに『先輩』だけだと分かりにくいわね。うん、それでいいんじゃないかしら?」
「勝手に決めないでもらっていい?」
「じゃあ、先輩は今度からスグルん先輩っす!」
「………もういいよそれで、めんどくせえ」
はあ、と小さく溜息を吐いて、俺は黒板の方を向いた。
見れば、黒板には今後の予定が書かれているらしかった。
『スケジュール表
10/3~10/10 模写
10/11~10/19 創作練習
10/20~10/31 短編小説作成
11/1~11/25 提出作品の完成
11/27 締め切り』
「こうしてみると、簡単そうに見えるな」
「一応、勉強に支障がない程度に、初心者であることを踏まえて平日4時間、休日8時間のスケジュールで組んでみたわ」
「………え? 4時間?」
三碓はあんぐりと口を開けて、
「む、無理無理無理! 無理っす! そんなにやってらんないっす!」
「そうはいっても、たった二か月で入賞しなくてはいけないとなると、最低でもこのくらいは必要よ?」
「それなら、興(おく)ヶ原(はら)先輩がでてくださいっす! プロ作家なんすよね!?」
「私はそもそも弓道部だし、プロが学生の大会に出るわけにもいかないでしょう」
それもそうだ。
町内将棋大会に、プロ棋士が参加していたら場違いもいいところだろう。完全にぶち壊しである。
「三碓、頑張れよ」
「スグルん先輩!? あんたもやるんすよっ!?」
「陰ながら応援してるからな」
「ちょっと、なに逃げる気満々でいるんすか! 絶対逃がさないっす! 逃がさないっすよっ!」
「あ、おい、ちょ、やめろ!」
三碓は俺の襟をつかんで、前後に振り始める。
さ、三半規管が……。うぷっ
「ちょ、吐くな、こんなところで吐くなっす! ファイトイッパーツ!」
「…………三碓さん、九ノ瀬君が死にそうだから、手を放してあげたら?」
「………あ、すみませんっす」
興(おく)ヶ原(はら)に言われて、手を放す三碓。
……クソ、こいつ覚えてろよ。
俺は崩れた襟を正して、椅子に座りなおした。
「というか、平日4時間ってことは、家でもやる必要があるっすよね」
「ええ。そこは頑張ってほしいとしか言えないわね。それぞれ、都合もあるでしょうから」
「うーん……4時間かぁ」
三碓は悩むように唸りながら、腕を組む。
こいつ、どうせ家に帰ってもエロゲーしかやってないんだろうし、時間なんていくらでもあるだろ。
「スグルん先輩のマンションって、ここから近かったっすよね」
「ん、まあ、歩いていけるくらいには近いな」
具体的には、駅とは反対側に15分ほど歩いた場所にある、オートロックシステムもないような、小さなマンションだ。
逆に言えば駅は少し遠いけれど、近くにはコンビニもスーパーもあるし、住むには便利な立地で、結構気に入っている。
「
「やんねえよ。普通に自分の家でやれよ」
「一人じゃ絶対集中できないっす! 途中からゲームやり始めるのがオチっすよ!」
「だろうな。頑張れ」
「ひ、ひどい! 見放されたっす……」
涙目になってオーバーアクション気味にがっくりと肩を落とす三碓。
そもそも、女子を部屋に泊めるとかできるわけねーだろ……。
「二人は、その………、随分と仲がいいのね?」
興(おく)ヶ原(はら)は困ったように眉尻を下げて、俺と三碓の間に視線をさまよわせた。
「まあ、スグルん先輩は、私がいなきゃ寂しくて死んじゃう、可哀相な生き物っすからね。こうしてかまってやってるんすよ」
三碓は得意気にふんぞりかえって、俺の頭をポンポンと叩いた。
この野郎……。
「…………テストのたびに俺に『勉強を教えてほしいっすーーー! このままじゃ赤点っす!』とかいって泣きついてくるのは誰だっけ?」
「スグルん先輩は、完璧でとても素敵な、私が尊敬している唯一の先輩っす!」
現金なやつである。
ただ、流石にイラっと来たので、今度のテストでは痛い目にあってもらうとしよう。俺と言う先輩の偉大さを思い知らせてやるべきだ。
どうせ赤点とりまくるんだろうけど。俺の知ったことではない。
「……………」
「………………………?」
ふと気になって、俺はそのまま黙り込んでしまった興(おく)ヶ原(はら)を見やる。
(…………うん?)
その表情は、興(おく)ヶ原(はら)らしくなかった。
俺を貶めた彼女らしくない。
相応しくないともいうべきか。
それはどこか寂し気で、哀愁を漂わせているようにさえ見える。あるいは、興(おく)ヶ原(はら)が元来持つ物静かなイメージが、そう感じさせているだけかもしれない。
ただ、どうしてか。
偶に羨ましそうな表情で三碓を見る興(おく)ヶ原(はら)の姿が、とても印象的だった。
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