空も夕焼け、水も夕焼け
増田朋美
空も夕焼け、水も夕焼け
空も夕焼け、水も夕焼け
のんびりとした日だった。どこかの県では九月だというのに、40度を超えてしまったとか、そんなことを報道している。まったく九月にもなって、なんでこんなに暑いんだという声が、あちらこちらから聞こえてくる。暑い時期というのは、もう一つ、人間を苦しめるものがある。そう、暑い中での猛烈な、風と雨だ。こういう日は決まって大気の状態が不安定とかなんとかで、大雨というか、恐ろしいくらいの猛烈な雨が降るのである。そして雨だけではない。雷もなる。風も吹く、家はつぶれる。もうことごとく日本は、天災のオンパレードになってしまったようだ。
今日も、杉ちゃんとブッチャー、そしてその姉有希が、製鉄所で思い思いのことをやっていたのであった。杉ちゃんは、縁側で黒大島の着物を縫っている。ブッチャーは外で庭掃除をしている。有希は、水穂さんにおかゆを食べさせようと、奮戦力投しているのであった。
ブッチャーは、掃除をしながら、ふと、周りが暗くなってきたのに気が付いた。さっきまで、カンカン照りに良い天気だったのに、いつの間にか、墨汁でも流したように、空が真っ暗になっている。
「あれえ、これでは雨が降るのかな。」
ブッチャーが思わずつぶやくと、ふいにざーっという音が聞こえてきて、雨が降ってきた。いきなりの大雨だったから、ブッチャーは予測がつかなかった。たちまちブッチャーの着ていた着物はびっしょりと濡れてしまった。正絹ではなく化繊の着物だったからよかったようなもの。正絹に雨は大敵である。
「はあ、びっくりしたよ、こんなすごい雨が降るとは思わなかった。いやあ、すごいなあ。ものすごい大雨だぜ。」
遠くの方で河川の氾濫に注意してとか、そんなことを言っている声が聞こえてくるが、どうもはっきりとは聞こえてこず、なんといっているのかよくわからないのだ。
「まあ、毎年降る雨だよな。いつでもどこでも、こういう雨は降るさ。」
と、杉ちゃんはカラカラと笑って縫物を続けていた。隣には水穂さんも横になっていたが、なんだか不安そうな面持ちになっている。
「いわゆる、タイとか、そっちの方の大雨みたいですね。」
と、水穂さんは、そうつぶやいた。
その同時に、ピカピカっと稲妻が光り、ゴロゴロゴロドシーンとまるで大量の酒瓶を一度にたたき割ったような爆音が聞こえてきた。食堂からきゃああと女性の利用者たちが騒いでいるのが聞こえてくる。そして、部屋の中は真っ暗になった。多分落雷の影響で停電したのだろう。
「やれれえ、最近の電気なるものはぜい弱だよなあ。こんな雷ごときでもう止まっちまうのか。」
杉ちゃんは、部屋の中が暗くなっても縫物を続けていた。
「杉ちゃんよく平気だな。怖くないのかい?」
ブッチャーが聞くと、
「平気だよ、ただの雷じゃないか。何も怖くはない。」
杉ちゃんがそういうと、またゴロゴロゴロドシーンと雷が鳴った。有希は震え上がって、思わずきゃあと叫んでしまう。
「いやはやすごい雷だな。」
と、杉ちゃんがつぶやいたが、有希はもう雷の音が怖くてたまらないという感じであった。
「姉ちゃん、本当にすぐ止むからな。こんな雷、大したことないよ。どうせ、二時間も降れば止むだろうから、そのうち電気も戻るよ。」
と、ブッチャーがいった。ところが有希は、相当怖いのか、こういうことを言うのであった。
「いいえ、このままだと、死ぬんじゃないかしら。この製鉄所も流されて。」
「いや、それはないよ。ここは大きな川もないだろ。水に流されるということはない。」
ブッチャーがそういうと、
「じゃあどっかで土砂崩れが。」
と有希は言った。そういうことを言うのだが、この地域に崖のようなものはなく、ただの住宅地なのだった。そういう意味で利用者がここに避難することだってある。製鉄所は、安全な立地条件であったが、停電というのはどこの家でも弱かった。
「ああ、どうしよう。あたしたち、死ぬしかないのかしら。」
有希がそういうと、ブッチャーは、俺、電気会社に電話してみると言って、スマートフォンをとった。電力会社に電話をかけてみて、どうしてもつながらないのだった。多分、混線しているのだろう。
「まあいいや。何回かかけてみれば、それで治まるんじゃあないかな。僕たちだけではなくて、ほかの家も停電しているはずだから、必ず誰かが通報するだろうよ。」
と、杉ちゃんが、のんびりとそういうことを言った。ブッチャーは、そう思うしかないのかという顔をした。一方の有希は、もうすべてのものが失われたような、絶望的な顔をしている。
「姉ちゃん、気にしないでいいからな。俺たちは、ちゃんとやれるから。心配いらないから。」
と、ブッチャーは、そういったが、もう一つの世界に行ってしまった有希には通じなかった。何も返事をすることなく、ただ、涙をこぼして絶望的に泣きはらすのみであった。
「大丈夫ですよ。いずれ停電は治りますから。」
水穂さんは、そういって、少しせき込んだ。ブッチャーは、水穂さん大丈夫ですかと聞くと、水穂さんは、頼りなく頷いた。
それにしても、なんで停電をしていると時間のたつのはこんなに遅いのだろうか。本当にもう何時間たっているように見えるのに、まだ、数分しかたっていないのだった。杉ちゃんは平気な顔で縫物を続けているし、姉の有希は、恐怖の真っただな中にいるのか、怖がって泣き張らすばかりである。水穂さんは、時折咳をして、苦しそうだ、正常な心理を保っていられるものは、自分しかいないのだとブッチャーは確信して、緊張の中に自分をおいていた。
何時間たっただろうか、もうエアコンも切れているので、暑くてしょうがないが、その場を動くわけにも行かないので、ブッチャーはその場に残っていた。其れよりも、水穂さんの体をうちわであおいでやりたいと思ったが、姉の有希を放置しておくわけにもいかず、ここにいるしかない。
「暑いなあ。」
と杉ちゃんに言うと、
「暑いと思うから暑い。」
と一蹴されてしまった。杉ちゃんには、停電も何も関係ないのか。それはある意味うらやましい。その瞬間、水穂さんが激しくせき込んだので、ブッチャーは水穂さんの口にタオルをあてて、出すものを出しやすくしてやった。有希は、泣くばかりなので、こういう時は手出しはしない。同時に、お前はダメだというジャッジもしてはいけないことも知っていたから、ブッチャーは、水穂さんの発作を鎮めることに従事した。
水穂さんの口に当てたタオルが、出すもので真っ赤に染まってしまったその瞬間。
「お、電力会社が来たぜ!」
と杉ちゃんがでかい声でいった。それはブッチャーにも聞こえてきた。多分電柱を直しているのだろうか、おい、こっち等人がしゃべっている声も聞こえてくる。やがて、エアコンの稼働する音が聞こえ始め、部屋の中にも明かりがついた。有希がそれに気が付いて、
「神様が助けてくださったんだわ!」
と声をあげて叫んだ。ブッチャーは電気を直したのは電力会社のひとだろうと言ったが、それは姉には通じないようだ。
「いやあ、三時間ぶりに治ったなあ。こんな長い停電はなかなか経験したことないから、俺は、びっくりしたよ。」
とブッチャーはとりあえず、壁にかかっている時計を眺めて、そういった。
「まあ、暑いのは暑かったな。まったく、最近はどの製品も脆弱すぎて困るよ。昔の製品のほうがもっと長持ちしたと思うけど?」
杉ちゃんだけが、針を動かしながらそういうことを言うと、
「ちょっと静かにして。」
と有希が言った。何だろうと思って、全員黙ると、確かにパトカーの音が聞こえてくる。ブッチャーは最初、落雷の影響で火事でも出たのかと思ったが、消防自動車の音ではなかった。音がしたのはパトカーだけだ。
「もう雨も止んでいるみたいだし、俺ちょっと見てくるか。」
とブッチャーは言ったが、有希は危険すぎるといった。別に道路が冠水しているわけでもないのだが、有希にはそう見えてしまうらしかった。そういうわけで何があったのか、ブッチャーたちは知ることができなかった。しばらくすると、空は明るくなって、晴れてきた。まったく、こういう風になるんだよなと思いながら、ブッチャーたちはおおきなため息をつく。晴れてくると、再び車が走り出す音も聞こえてきたようであったが、それは普通の乗用車の音ではなくて、パトカーが走っていく音であった。
製鉄所の玄関の戸がガラッと開いた。住み込みで利用している利用者が帰ってきたのだ。
「ただいま戻りました。いやあ、すごい雨でしたね。バスがすごい渋滞に巻き込まれてしまって、遅くなってしまいましたよ。それにしても、なんだか結構大きな事件だったようですよ。ちょうど、警察に出くわして、僕も質問されてしまいましたよ。」
と、利用者は、四畳半にやってきてそういうことをいった。
「質問されたって、何を質問されたんですか?」
とブッチャーが言うと、
「はい。なんだか、向かいの南さんの家で、事件があったそうなんです。南さやかさんという幼児が、遺体で見つかったって。なんでも、母親が雨宿りして家に戻ったら、死んでいたらしいんですよ。」
と、利用者は答えた。
「南さやか?ああ、あの小さな女の子か。そういえば僕も、ショッピングモールで見かけたことが在るよ。みつあみの髪の、可愛い子だったよな。その子がなんでまた遺体で見つかったんだろう?」
と、杉ちゃんがそういうと、やっとこの時点で泣き止んでくれた有希が、
「きっと、彼女を育てるというか、もう駄目だと思って、放置して殺したのよ。そういうことよ。私、そういう思いされたの、経験で知ってるわよ。そういう風になる子は今の時代では、少なからずいるわ。」
といった。
「姉ちゃん、そんな物騒なこと言うなよ。南さやかちゃんは、事故かもしれないじゃないか。なんでも凶悪犯罪とむずびつけてしまうのは良くない。」
ブッチャーが言うと、
「いや、その線が強いな。だって、事故だったら、もうちょっと早く警察に通報するべきじゃないのか。だってパトカーが走ってくる音は、僕が知る限り、停電が治ってからだった。つまり、停電している間、誰からも通報がなかったということになるから。」
と、杉ちゃんが腕組みをしていう。
「しかし、杉ちゃんまでそういうこと言うなんて、なんでも、重大事件にするのではなく、できるだけ穏便にした方が良いと思うんだが、、、。」
とブッチャーはそういうことを言うが、それと同時に、パトカーがサイレンをだして走っていく音が聞こえた。つまり、被疑者が逮捕された時の音であろうか。ブッチャーはもう我慢できなくなって、急いで製鉄所の玄関から外へ飛び出した。
外へ出ると、報道陣たちがたくさんいた。どうして彼らはこういう風に事件が起きたことを知ることができるのかわからないけれど、大量に集まっている。それと同時に、近所に住んでいる人たちの顔も見れた。こういう風に、近所の人の顔が見れるなんて、何かのイベントでもない限り、ないだろうなと思われる。
「すみません、一体何があったんですかね。」
ブッチャーは、近くにいたおばさんに聞いてみた。
「ええ、何とも、南さやかちゃんがなくなったみたいよ。お母さんが帰ってきたら、熱中症で死んでいたんだって。まあ確かに停電が長かったし、それで熱中症になることも仕方ないわよね。」
隣のおばさんが答える。確かに南さやかちゃんは、まだ5歳くらいの幼い女の子だ。そうなれば、窓のカギをあける方法もちゃんと覚えていなかったのかもしれない。
「で、誰かが、捕まったんですか?」
とブッチャーは、もう一度おばさんに聞いてみた。
「ええ、お母さんが捕まった。でも、しょうがないわよね。だって、停電でエアコンが止まっちゃうことは、しょうがない話だし。さやかちゃんも助けを求めることもできなかったでしょうし。まあ、お母さんにまったく責任はないとは言えないけど。」
と、おばさんはそういうことを言う。
「それに、さやかちゃんが泣いても、こんな大きな雷の音が連発では、聞こえなかったでしょうし。」
別のひとがそういった。確かにそうなのだ。だけど、こうして周りのひとがあまりにも無関心というか、何かさやかちゃんを助ける手立てはなかったのだろうかとブッチャーは思う。
「これでよかったかもしれなくてよ。」
また別の女性が、そういうことを言った。
「だって私、あの子が毎日毎日雷の音で大騒ぎして、迷惑だってさんざん南さんに言ったもの。それでも南さんは直そうとしなかったんだから、自業自得なんじゃないかしら。それに、そういう過敏な子は、この先一人で生きてはいけないだろうし。それじゃあ迷惑だけかけて、こっちに何も利益もない子になっちゃうでしょうよ。そうなる前に、お母さんが死なせてあげれば、その予防になるわ。」
ブッチャーはそういうことを言われて、それに素直にそうだねということはできなかった。姉の有希もまさしくそうだ。確かに一人では生きていかれない。必ず誰かの援助が必要になるだろう。誰からの援助もいらないで生きていける人だけの世界になったら、有希は生きていかれないことになる。有希だけではない、水穂さんもそうだ。水穂さんどころか杉ちゃんも。そうなったら、彼らは何も援助も受けずに餓死してしまえということを社会が望んでいることにもなる。
「ほらあ、よくあるじゃない。テレビなんかでやってるけどさ。発達何とかっていうの?特定のメーカーにこだわったり、大きな音に過敏なったりする子。きっとさやかちゃんもそうだったのよ。そんなんじゃこの世の中生きていかれないでしょ。だから、いろいろ困難なことにあたる前に、死なせてあげたのね。」
と、隣のおばさんたちはそういうことを言い合っている。
「まあ、あたしたちもこれで少し、気が楽になったかしら。」
おばさんたちが罪の意識がないことにブッチャーは驚いてしまった。本心で言っていることなのだろうか。それが本心であれば、ずいぶんつらい時代が、日本にやってきたことになる。
「それでいいわよね。あたしたちは、今、自分たちの事で精いっぱいだし。誰か弱い人のことをかばってやる余裕すらないわ。そんな世の中だから、かえって死んでもらった方が、こっちは楽よね。いつもの世の中だったらいいけどさ。今は、発疹熱の事で、一人で生きていくのに精いっぱいなんだから。」
とおばさんたちがそういっているのに、ブッチャーは、ため息をついた。そういって言い合っていることこそ、一人では行けないという表れなのではないか。本来のことは、一人で生きているのなら、そういう愚痴を言い合うこともないはずだ。それを棚に置いて、障害のある人が悪い悪いという。それは、非常にずるいとブッチャーは思うのだった。
「おーい、ブッチャー、ちょっと手伝ってくれ。水穂さんの体を持ち上げててくれるか。ちょっと、新しい敷布に変えるからな。」
遠くで杉ちゃんのでかい声が聞こえてきて、ブッチャーは我に返る。
「おう、わかったぞ!」
とだけ言って、ブッチャーは、四畳半に戻った。杉ちゃんには自分のようにパパっと動くことはできないので、水穂さんの口にタオルをすぐにあてがってやることはできなくなってしまうのだ。ブッチャーが戻ってみると、敷き布団の一部が、鮮血で汚れてしまっていた。杉ちゃんは畳を汚さないでくれてよかったといつもながらのプラス思考で、そんなことを言っている。ブッチャーは、水穂さん大丈夫ですかと言いながら、水穂さんの体をよいしょと持ち上げた。もうげっそり痩せてしまった水穂さんの体は、信じられないほど軽いものであった。ブッチャーがそれをやっている間、杉ちゃんと有希は、汚れた敷布を取り去り、新しいものに変えてやった。幸い、敷き布団そのものには、血液はしみ込んでいなかったようだ。それだけでもよかったよな、なんて話ができるのは、もしかしたら、杉ちゃんや有希でないとできないことではないかとブッチャーは思った。
「よし、水穂さん、疲れたなら、薬飲んで休もうな。」
と杉ちゃんにいわれて、ブッチャーは静かに水穂さんの体を布団の上に寝かせてやった。そして、汚れてしまった口元を有希が持ってきた濡れタオルで丁寧に拭いた。もしかしたらと思って、アルコールのついたウエットティッシュで口元と手を拭き、消毒もしてやる。
「はい、鎮血の薬だよ。」
杉ちゃんが、吸い飲みを出して、水穂さんの口元へもっていく。その中身を水穂さんはしっかり飲み干した。これをしてくれれば、血が止まる。ブッチャーが確信した通り、水穂さんは静かに眠り始めた。ブッチャーは幸い今回は汚されることがなかったかけ布団を、水穂さんにそっとかけてやった。
「大変な一日だったわね。」
有希もそんなことを言っている。水穂さんが、すやすやと眠っている音が聞こえてきた。ブッチャーが、四畳半から縁側に出ると、空は見事な夕焼けで、まさしく秋の夕焼けにふさわしいものであった。いくら人が死ぬほどの暑さであっても、秋は確実に近づいているのだ。杉ちゃんや有希は、まったく困った天気がこれから多くなるな、なんて障碍者同士の愚痴を言い合っている。そんなことを聞きながら、ブッチャーは、先ほどのおばさんたちが話していたのを思い出す。なんでもできる人しかいてはいけない世の中にしてはならない。ブッチャーは、なぜかそう思ってしまった。杉ちゃんも、有希も水穂さんも、確かに他人に迷惑をかけずにはいられない存在なのかもしれないが、殺すというやり方で消してしまうことはやっぱりいけないことだろうと思う。なぜなら、それを口にすることはずるいことになるから。人生は、いろんな人がいて社会なのだ。それを頭に叩き込んで生きていかないといけないと、ブッチャーは夕焼け空の下で結論を出した。
空も夕焼け、水も夕焼け 増田朋美 @masubuchi4996
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