第97話 裁判フードファイトの一品目

 料理はすでに所狭しとテーブルに並べられているため、どれを一品目に選ぶのは挑戦者に任されている。

 普通は満腹感の少ないものや後に尾を引かないものを戦略的に選ぶそうだが、俺が迷うとすれば単純に「全部美味しそうだけど、まずはどれから食べよう?」という理由しかない。


 すでにバージルたちは一品目を口に運び始めている。

 さあ俺はどれにしようか、と左右に動かした視線に引っ掛かったのは白く艶やかな麺だった。冷えた氷水の中でこちらを誘うように浮いているのは、そう、日本の夏の風物詩――素麺だ!


 こちらの世界では夏が過ぎ去り冬を迎えつつあるんだが、こういう季節に食べる素麺も良いものだ。

 前世では冬場も食べたくなったらわざわざ買ってたけど、一般家庭では夏に余った素麺を冬に食べることもあるんだろ?

 ……いや、さすがににゅうめんにするのかな。一般的な家庭のことはあんまりわからないんだが、ひとまず俺には季節関係なく目の前の素麺が大変魅力的に見える。


 いそいそとそれを手に取り、まずは素麺のみを素麺つゆに浸けて啜る。

 この一口目のつゆの濃さ!

 これはつゆを丸々換えない限り、一番最初の一口目にしか感じられない最高の贅沢だ。しかもまだ何も食べていない口によく染み渡る。


「うんうん、やっぱり素麺を一品目にしたのは大正解だな!」


 そのままの素麺をつるつると味わった後、薬味としてネギを加える。

 ネギの独特の風味とほんのりとした辛みが味を引き締めてくれるのがわかった。次に大葉を散らすと、こちらは爽やかでありながら一口で「大葉だ」とわかる個性を発揮している。

 最後に素麺の上へ錦糸卵をどっさりと追加し、ざばりとつゆに浸して一気に啜った。


 あっという間につゆが減り、皿の中に落としきれなかった氷水により味が薄まる。

 だが敢えて言おう!

 この薄くなって初めの味の濃さが感じられなくなったつゆも、今度は麺そのものの味をサポートしてくれる最高の協力者になると!


「――随分と余裕ですね、まだ一品目だというのに焦りすら見せないとは!」


 いい気分で素麺を楽しんでいるとチキンを齧っていたセリヌンティウスがそんなことを言った。褒めている……わけではなく皮肉らしい。

 べつにフードファイトに制限時間はない。

 ただ満腹中枢を刺激される前に早食いをする者が多いのは事実だ。

 早食いも楽しいが俺はじっくり楽しみながら食べたいタイプなんだ、と答えたと同時にセリヌンティウスが俺の傍らに積み重ねられた素麺皿を見て手と口を止める。


「一点集中型でしたか。クッ、見誤りましたね……!」

「いや、美味いからうっかりわんこ素麺状態になっただけなんだが」


 一点集中型ではなく、今はセリヌンティウスが存外ワイルドに素手で食べていたチキンが気になりつつある。骨付きでクリスマスとかに食べるアレだ。

 見ればテーブルの上には皿に並べられたものとバレルに入ったものがあった。


 これは……どう考えても選ぶのはバレルだな、わくわく感ごと食える幸せな食い物だ。


 そうバレルを引き寄せるとセリヌンティウスは挑発だと受け取ったのか「わたくしの真似をするなど小癪な!」と食べるスピードを早めた。

 折角の衣がサクサクで中はジューシーなチキンなんだからもっと味わえばいいのに。

 だがフードファイト中にそう言っても聞き入れてくれる雰囲気ではない。まあセリヌンティウスやバージルはとりあえず気にしないことにして、俺は俺の食事に集中するか!


 チキンの後に手を伸ばしたのは……メキシカンストリートコーン!


 知らない人も多いかもしれないが、メキシコの屋台料理の一種だ。エローテとも呼ばれる。

 昔メキシコ料理の野外イベントに赴いた時に食べたんだが、焼いたトウモロコシにマヨネーズを塗ってスパイスやチーズなんかと一緒に食べるものだ。ライムやパクチーの香りも鼻をくすぐる。

 トウモロコシを丸々使ったものや削ぎ落したコーンを使うものもあるが、今回は丸々使ったものだった。食べる手間とかかった時間に対して胃に入る量が少ないことを気にしたのかバージルたちはまだ手を付けていなかったが、こんな珍しいものを放っておくなんてもったいないよな。


 遠慮なく齧りつくと昔食べたものとは少し異なる味わいだったが、とても食欲を刺激する美味しさが口の中に広がった。そこへコーンの甘味が追いつき、齧った体勢のまましばらく静止したくなる。

 そんな誘惑に打ち勝って食べ進めるとコゲも興味を持ったのか同じものを手に取って食べ始めた。わかるわかる。


「しかしこれ最高だな……本場メキシコの屋台でも食べてみたい……」

「ホンバメキシコ?」

「……ほんと料理名に関しては同じなのにその地名そのものは存在しないんだから不思議だよなぁ」


 首を傾げているコゲに笑いつつ一気に何十個ものコーンを齧り取ると、今度はスパイスたちより先にコーンの味が広がった。これはコーンの神様に感謝しないといけない代物だ。

 この世界にも居るんだろうか? 前世じゃメキシコのトウモロコシの神にチコメコアトル神っていう女神がいたんだが。


 直接会ったらお礼を言いたい。

 そんなことを思ったものの、それなら食べ物を司る神はすべて感謝の対象だ。そう思えるほど次に食べた焼きドーナツもエビチリもクジラ肉の刺身も美味しかった。


 俺の口に入ってくれてありがとう。

 余すところなく俺の体と心の栄養にするからな。


「あ、この味は……コムギが作った味噌汁かな?」

「我もそう思う。きっと合ってる」


 丸く大きなバッファローモッツァレラチーズを食べた後、小休止にと啜った味噌汁の味に覚えがあった。

 今も調理場で頑張ってくれているコムギの作ったものだ。

 食事処デリシアにいた時も、天界に来てからも時折作ってくれていたもので、どの味噌を使っても優しい味わいをしている大好きな味噌汁だった。

 その優しさは出汁を取る段階からこだわっているからだと俺は知っている。


 調理場のコムギに感謝しながらごくりと飲んでいると、錠剤型のイヤリングをした女神の隣でせっせとニンニクを剥いていたコムギがこちらに気がついた。

 コムギは目が合うと笑みを浮かべ、こちらを応援するようにグッと拳を握る。

 声は届かなくても気持ちはきっちりと届いた。そう示すために手を振って笑みを返してから味噌汁を飲み干す。うん、あとジョッキで十杯くらい欲しい!


 その時ふと視線を感じてバージルの方を見たが――すでにバージルは手元に目を向け、白身魚のムニエルを切り分けていた。

 バージルもセリヌンティウスも結構食べ進めているが、まだまだ苦しそうじゃない。スイハやフライデルとは異なりフードファイトに強いタイプみたいだ。

 俺たちの席同様、テーブル周りを行ったり来たりしている下位の神たちがせっせと皿を回収している。


 今のところおかしな動きは見せていないが……真正面からぶつかってくるつもりなんだとしたら、引き続き楽しみながら受けて立とうじゃないか。

 そうお茶を飲んで気持ちを改めた時、バージルたちの傍に何かが見えたような気がしたが――確認しようと目を凝らしても、結局それをはっきり捉えることはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る