第92話 コムギの怒り

「招集要請……?」


 思わずオウム返しにそう問うと、ペンの神と名乗ったミンティークはしっかりとした様子で頷いた。決して間違ったことは口にしない、口にしていないと初対面の俺たちにも伝わってくるほどだ。

 しかし口にした言葉は耳を疑うものだった。


「偽の食事の神を裁く裁判です」

「偽の!? それは一体、……いや……それはバージルが言っていることなのか?」


 続けて発した俺の問いにミンティークは再びはっきりと頷く。

 そして迷いのない口調で言った。まるで迷わず書き進めるペンのような様子だ。


「バージル様が管理している過去の記録と照らし合わせ導き出した結論です。あなた方が偽の食事の神である、と」

「……」

「異なる神を名乗ることは大罪です。我々のもとには裁判の神も所属しているので、そこであなた方の罪と刑罰を決めることになります。――来てくださいますね?」


 バージルは管理の神だ。

 ミンティークの言っていることが本当なら、こんな嘘をつく行為は神の役割に反することになるだろう。

 そんなリスクを負ってでも俺たちに不利な状況を作り出そうとしているということは……バージル側に和解するつもりはないんだろう。

 でも可能性はまだゼロじゃない。

 少なくとも一度は直接顔を突き合わせて話をしなくちゃならないだろう。なら敢えて誘いに乗るのも手だな、と口を開こうとした時、真横から怒りを孕んだコムギの声が聞こえてきた。


「何を言うんですか! いくら神様でもシロさんが偽の食事の神だなんて言い草、あんまりです!!」

「コムギ……」

「シロさんほどありとあらゆる食べ物を愛して口にする人はいません。私は食事処で沢山の食事をする人を見てきました。その目で見てもそう思うんです」


 コムギは精一杯睨む目をミンティークに向ける。

 その両手が白くなるほど強く握られているのが見えた。気圧されたミンティークは咳払いを挟んで気を取り直す。


「それだけ高度な演技で騙されていたのでしょう。真実は裁判でわかりますよ」

「そんなこと――」

「わかった、裁判に出よう」

「シロさん!?」


 驚いた顔をするコムギに笑いかけ、力んだ肩にぽんと手を置く。

 ミンティークへの反論を重ねようとしていたコムギはその動作で言葉を飲み込んだ。


「ありがとうな、コムギ。でも大丈夫だ、俺はコムギの言った通り食べ物を愛してるし、食べることが大好きな食事の神だ。……それを証明してやる良い機会だよ」

「でもシロさん、神の裁判なんて何をされるかわかりませんよ」


 神は丈夫だが、危害を加えようとしている相手が同じ神なら話が変わってくるかもしれない。コムギはそれを心配してるみたいだ。

 しかしこの世界の神である以上、暴力的なことにはならないだろう。

 あるとすれば封印や監禁による餓死だろうが――今は王都でロークァットに捕まった時よりも多くの頼れる仲間がいる。

 ならここで一気に懐に潜り込み、裁判という名の証明の場で食事の神であることを知らしめればいい。


 そう声をかけるとコムギは心配げな目をしたまま、けれど言い返すことはなく頷いた。


「わかりました……でもシロさん、絶対に無理はしないでくださいね」

「あはは、もちろん!」

「……堂々とそんな世迷いごとを口にするなんてさすがですね」


 ミンティークが呆れたように言う。

 あ、これ悪い意味での「さすが」だな。


 再びコムギが怒りをあらわにしかけたところで、ミンティークは一歩下がって頭を下げた。

 そして一枚の紙を俺の前に差し出す。そこには几帳面な文字が並んでいた。


「日時と場所はこの紙をご覧ください」

「貰っとくよ」

「それでは私はこれで――」

「あっ、ちょっと待ってくれ」


 俺に呼び止められたミンティークは警戒心を隠しもせず顔を上げた。


「あのさ」

「なんでしょう」

「手土産にお菓子を作ったんだ。ミンティークもバージルも甘いのって大丈夫か?」

「……は?」


 よほど予想外の質問だったのかミンティークの目が点になった。さっきまでの緊張感が吹っ飛んだくらいだ。

 でもこれは重要な質問なんだよな。

 手作り菓子の持参はマナーらしいし、まず直接聞くこともできないから黙々と作ってたけど、こうして訊ねる機会があるならそのチャンスを逃すわけにはいかない。

 ……なのにフライデルやソルテラまで何とも言えない表情をしている。いや、だって大切なことだろ?


「アレルギーとかはないよな? しょっぱいのが好きとかあれば味を調整するし、そもそも菓子が苦手なら他の料理にするからさ、どうだ?」

「か、神にアレルギーなどあるはずがないでしょう。その見当違いな質問、やはり偽の食事の神のようですね」


 ミンティークは不快げにそう言う。

 これは転生者である俺の感覚の違いのせいなんだが、説明しても耳を傾けてはくれなさそうだ。

 さてどう返そうか、と考えている間にミンティークはくるりと背を向ける。


「我々への賄賂にはなりませんが、甘味を不得手とする者はおりません。姑息な手を使いたいなら使いなさい」

「あ、良かった! なら沢山作ってくな、お茶も持ってくぞ!」


 楽しみにしててくれ、と笑みを浮かべるとミンティークは眉根を寄せて返事もせずに去っていった。

 その姿が見えなくなるなりレイトが「親父やっば」と短い感想を漏らす。


「会談どころか裁判やで、そんなとこにのこのこ出てったら何されるかわからへんのに……」

「まあ袋叩きに遭うとか突然刺されるとかは確実にないし、レイトが心配してるようなことにはならないと思うぞ」

「それはそうやけど、――あれか、いっそ暴力を知っとる僕らが一気に制圧してまうか……?」


 なんか物騒なこと言ってるな!

 そういうのはナシだ、とレイトを宥めつつコゲに視線を向ける。


「ごめんな、コゲ。お前も指名されてたのに勝手に決めちゃって」

「大丈夫。我もああする。裁判の場ではっきりさせればいい」

「お、さすが。……そうだ、神様の裁判ってどんなことをするんだ?」


 そう訊ねるとコゲは「我は古いものしか知らない」と首を横に振った。

 代わりにレモニカが答える。


「嘘偽りないことの証明のために傍聴者の前でフードファイトをするんじゃ」

「……え? それだけ? 証拠の提示とか弁明は?」

「弁明は一応するが、すべてはフードファイト中心じゃな! 証拠の提示はどっちかといえば裁判を起こす際に必要になるものじゃ、十分な情報がなければ裁判の神が許可せん」


 前世でも昔の裁判がめちゃくちゃ理不尽だったのと同じようなことか?

 でもこれ、裁判のシステムだけ見ると下界の方が大分しっかりしてるな……俺が知らないだけであっちもフードファイトで決める事柄があったのかもしれないけど、罪人だと確定しているロークァットたちの裁判もきちんと行われていた。俺が頭を悩ませていたのはその後の罰についてだ。


 フードファイトを罰に使って欲しくない俺としては複雑だが、身の潔白と身分をはっきりさせる手段としてはこれ以上ないものだろう。

 ただバージルの考えが気になる。

 本心から俺を偽物だと思ってるならわかるが、もしそうじゃないならバージルだけは食事の神にフードファイトで挑むことになるとわかっているはず。

 そんなリスクをわざわざ冒すくらいだ、何か考えがあるのかもしれない。


「……何が待ち構えててもフードファイトなら受けるまでだ。食事の神として何でも美味しく食べて証明するさ」

「ホンマにできそうなのが怖いとこやな」

「こいつ……振り回される側の気も知らないで……」


 レイトが半眼になり、フライデルがうんざりした表情で言う。

 しかし反論はしないんだから良い人たちだな。


 ――予想していなかった展開になったが、高位の神々だけでなく傘下にいたソルテラまで引き抜かれてバージル側も焦ったのかもしれない。

 ならその焦りを突くこともできるし、向こうから顔を合わせる機会まで用意してくれた。俺にとって損なことばかりではないと受け取ろう。

 なら、とりあえず今進めるべきことが一つある。


「手土産の包装をしないとな、取り出すまでのワクワク感も贈り物の一部だから!」


 そう言うとレイトは再び「親父やっば」と呟き、フライデルは形容し難い表情をし、コムギは肩を揺らして笑った。

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