第66話 彼の心を動かすには
フライデルの家のキッチン掃除は半日以上かかった。
天界に来てから一番の力仕事だった気がする。
単純に汚れているんじゃなくて荒れてるんだ、もし天界にキッチンの神もいるならめちゃくちゃ怒られるやつだぞこれは。
そうひしひしと感じながら掃除を終えると、経年劣化はあるものの使用による劣化した様子がまったく見られないキッチンが姿を現した。
コゲがぼそりと「もったいない」と呟いている。俺も同意だ。
「ただいま戻りました!」
「お掃除お疲れさまです!」
そのタイミングでハンナベリーとパーシモンが戻ってきた。
ふたりには掃除の手伝いではなく、途中で抜けて食材の確保に走ってもらったのである。
手持ち分を確認したが、やっぱりフライデルの心が動くほど食べるには種類も量も少ないなという話になったからだ。
ふたりは近場の神々の元を訪れ取り引きし、食材を手に入れてくれた。
日和見組やスイハ派の神でもフライデルのように交流を断絶させている神は珍しく、きちんとした取り引きであれば大抵は応じてくれるらしい。
「今回は我々の柿やイチゴと交換してもらいました。如何でしょうか?」
「おぉ、完璧だ! 瑞々しいキャベツに玉ねぎ、調味料も色々あるし――普通の塩だけでなく岩塩まで!?」
「はい、塩の神と岩塩の神がルームシェアしている部屋がありまして」
「わりと細かく分かれてるんだな神様って……」
聞けば海の神、塩の神、岩塩の神の順に序列があるらしいが、詳しく言うならもっと細分化されているそうだ。
あまりにも多すぎてハンナベリーたちもすべては把握していないと頬を掻いていた。食事の神ほど長くはないにせよ、不在のまま空席になっている神もいるそうなので全把握は至難の業なんじゃないだろうか。
「一つの概念に一柱が普通なら、何々の神っていうのは個人名みたいなものですもんね。私も世界中の人どころか王都の人たちの名前をすべて言えって頼まれても答えられませんし……」
「食事の神の巫女、ずばりその通りです!」
うんうんと頷く双子を見つつ俺もひとつ納得した。
フライデルは例えるなら交代した総理大臣の名前を覚えてない人みたいなものってことか。テレビも何もない世界なら俺も下手すると把握してない可能性がある。
それにこの世界では長いあいだ食事の神が空席だったのなら尚更だ。
普通なら情報通の仲間から教えてもらうとか後からでも色んな方法で知ることができるんだろうが、フライデルはあの面倒くさがりな性格が災いして他人とのコミュニケーションで情報の上書きをする機会がなかなかなかったんだろう、多分。
「……よし! 色々作ってフライデルに興味を持ってもらおう。そしてフードファイトを受けてもらうぞ!」
「おー!」
「おー」
「微力ながらお手伝いします!」
「そうだ、お肉もありますよ!」
そんなパーシモンの言葉に俺は拳を振り上げたポーズのまま目を瞬かせる。
加工済みの肉なら元から少なからずあった。肉巻きに使ったものがそうだ。しかし今テーブルの上に広げられた食材には含まれていない。
するとパーシモンは家の外を指した。
――牛、豚、羊がロープで繋がれている。
カゴには鶏も入っているようだった。
「新鮮です!」
「これを柿やイチゴと交換……!? いや、うん、けどたしかにふたりの柿とイチゴは一級品どころじゃなかったもんな」
「そうやって気に入ってくださった神が数柱いたんです。もちろんこれに見合った量をお渡ししましたよ」
それにしたって凄い交渉術だな、と感心しつつパーシモンとハンナベリーに改めてお礼を言う。
俺もコゲも長所が『食べること』だから、物々交換での取り引きには向いていない。ふたりが自陣にいてくれて助かった。
照れるふたりの隣でコムギがむんっと腕まくりをする。
「では張り切って捌きますねっ!」
そう、自分で狩ったうさぎを捌いたようにコムギは……というよりもテーブリア村のみんなは動物を綺麗に解体処理して加工できる。
俺も村に住んでいる間に練習を重ねていたが、中型や大型の動物はまだ慣れていなかった。抵抗感はないがとにかく力作業な上に刃物の扱いにもコツが必要だからだ。
ただ、これだけの量をすべてコムギに任せるわけにはいかない。
「鶏は俺がやってもいいか? あとまだそんなに上手くないけど……終わったらコムギを手伝いたいんだ」
「! もちろんです、宜しくお願いします。ふふ、それじゃあその時は捌きながらコツとか教えますね」
そんな俺たちをまじまじと見ていたコゲがぽつりと言う。
「これ、俗に言う『初めての共同作業』?」
「――ここは恥ずかしがる場面かもしれないけど反応に困るな!」
動物を捌くのをケーキ入刀と同じ目で見ていいものか悩むところだ。
そう思っているとコムギが「なんですかそれ?」と首を傾げていた。
「ああ、テーブリア村にはそういう風習ってないのか」
「我が天界にいた頃、ちょっと流行った言い回し。結婚式での催しらしい」
結婚式、と呟いたコムギはようやく把握したのか真っ赤になるとナイフを片手に持ったまま俯く。
シチュエーションはおかしいんだけど……まあ可愛いから細かいことは気にしないでおくか!
そんなこんなで俺とコムギは水辺を教えてもらって解体と加工を、コゲとパーシモンとハンナベリーには料理の下準備をしてもらいながら着々と作業を進めていった。
フライデルは自室に引きこもっている。
ただしキッチンと行き来するために玄関の扉は開け放たれているし、フライデルの自室と外はドアで遮られているわけではなく珠のれんのようなもので区切られているだけなので、中がよく見えた。
やれるならやってみろ、という顔をしており逃げる気はないようだ。
もしかしたら勝手に片付けてくれてラッキーくらいに思っているのかもしれない。
(それでも完全にシャットアウトはされてない。興味を引けるよう色んな料理を作りたいところだな)
作るメニューはもう決めてあった。
すべて作ってまだ食材が余っていればその場で作れそうなものを追加していく予定だ。予定された料理には期待感が、まだ未定の料理にはわくわく感があって今から楽しみだった。
――そう、この勧誘も俺は楽しみながらやりたいと思っている。
食が関わっているからというのもあるが、そうでないとフライデルの心を動かせないと思ったからだ。
そう考えながら解体した肉をキッチンに持ち込み、部屋の奥に視線をやるとフライデルは心底面倒くさそうな顔でこちらを見ていた。
見ているだけで追い出そうとはしない。
(……あの表情にも理由があるはずだ)
きっと、心を動かせばそれもおのずとわかるだろう。
俺はまな板の上に肉を置くと、生きた動物から食材になったことに感謝をしながら包丁を滑らせた。
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