第47話 飢えを罰にしないで
フードファイトが終わった後、俺たちは食後のお茶をまったりと楽しんだ。
そのおかげか堕ちた神だった女の子は落ち着いたみたいだが――まだどこかぼうっとしており、まるで今までの記憶を頭の中で反芻しているように見えた。
(でも腹の音は聞こえないし、俺の神気を消してもみんなに飢餓感が襲い掛かる様子もない。ってことは……)
堕ちてしまったことで反転した性質が元に戻ったんだろうか。
神のことはそこまで詳しくないから判断がつかないが、俺は女の子の頭を軽く撫でる。ボサボサしているのは毛質の影響もあるのか少し固い撫で心地だ。
「大丈夫か? 髪も肌も黒いままだし、まだ堕ちた影響が残ってるんじゃ……」
「肌、もとから。髪は……しかたない。たぶん、いっかい堕ちたら、かんぜんには戻らない」
反芻している間にいくらか記憶が戻ったんだろうか。
そう問うと女の子はこくりと頷いた。
「さっき、あなたが記憶、すこしひっぱり上げてくれたから」
「それならよかった。もしかしたら日が経てばもっとしっかり思い出すかもしれないな。……そうだ」
俺は女の子と目線を合わせて問う。
「名前は?」
「なまえ……」
「堕ちた神、なんて呼び続けるの嫌だったんだ。もし思い出してたら君の名前を教えてくれないか」
名前を呼べたらこの子ももっと色々と思い出すかもしれないし、仲良くなれるかもしれない。
そう思って訊ねてみたが、問いに返ってきたのは名前ではなく眉間にしわを寄せた悩み顔だった。
「思い出せない」
「そうなのか、うーん、じゃあ……」
「でも、我も『堕ちた神』はいや。なまえ、つけて」
思わぬ申し出に俺は思わず「名前を付ける? 俺が?」と問い返してしまった。
言っておくが食べることなら負けない自信があるが、ネーミングセンスはあまり宜しくない。
しかも散々悩んだ末に微妙な名前を付けるタイプだ。昔ノラ猫に付けた『ギガンティックもん太』をどれだけクラスメイトに弄られたことか……近所で一番デカかったからなのに……。
しかし女の子にそう頼まれた俺の脳内には、すでに一つだけ候補が挙がっていた。
万人受けするものじゃない。
しかし案として伝えておこう、と口を開く。
「なら――コゲ、ってどうかな」
「コゲ?」
「さっきまで君からしてた匂いで、追体験した記憶にもその匂いが移ってた。たぶん神が堕ちるとああなるんだろうな、俺も毛先が黒くなった時は似た匂いがしたから。でも……マイナスイメージのある言葉だけど、俺は好きなんだ」
コムギの焦げた料理を食べた時のことを思い返す。
そう、焦げていても俺はそれを食べ物だと思うし、焦げは焦げで好きだ。それに度合いは違うが、炊き込みご飯のお焦げなんかは人に好まれやすいものだろう。
「ただ感じ方は人によるし、不名誉だったり嫌な気分になるようなら他にも頑張って考えるよ。どうだ?」
「……」
女の子はボサボサになった黒い髪をちらりと見る。
そしてしばらく考えた後に再び頷いた。
「こげたような髪もこげたような匂いも、我はきらい。でも……あなたの好きなものなら、好きになれるかも」
「……! よかった、じゃあコゲって呼ばせてもらうな」
そう言って笑うと、女の子――コゲは僅かに笑い返した。
その時だ。
広場の向こうから騒がしい音と声が近づいてくるのがわかった。
(これは馬の蹄の音……?)
様子を窺っていると人ごみの向こうに馬が……いや、魔馬が見えた。
そして魔馬は王族にしか乗れないとされている。つまり。
「一体何事だ!?」
そう戸惑いを含んだ声を荒らげ、周囲を見回したのは金髪に碧眼を持つガタイの良い男だった。
身に着けているものの質は一目で良質だとわかるものばかりだが、豪奢というよりは権威を示すもののようだ。威圧感と完成された肉体のせいか騎士団長に見える。
しかし恐らくあれは王族の一人だろう。
近くに居たビズタリートが情けない顔で慌て始める。
「ジ、ジェラット兄上……! まだ遠征中のはずでは……!?」
「ジェラット?」
「ししし知らぬのか!? 食事の神のくせに世間知らずが過ぎるぞ!」
俺の身分を知ってからもビズタリートは今まで通りに接するつもりみたいだが、腰が引けて奇妙なポーズになっていた。そういう反応されると変な感じがするな……。
ビズタリートは咳払いして言う。
「我々の兄にして第一王子、ジェラット・フルーディアだ」
第一王子。
つまりロークァットの噂と同時に耳にした人物だ。
傑物だと聞いているが、そんな人物でも取り乱すような有様だったらしい。
まあ収穫祭でもないのに広場で老若男女がドンチャン騒ぎの飲み食いをしていれば当たり前か。
「手早く用事が済んだのだ。父上は体調が優れん、だから魔馬で一足先に俺だけ戻った……ら、この騒ぎ! ロークァットよ、説明せよ!」
心底怒っているわけではなさそうだが圧が怖い。
でもここは俺が出るべきでは、と思っていると名指しされたロークァットが臆することなく前へと進んだ。
……ジェラットの声は大きい上によく通るため聞こえるが、俺の位置からだとロークァットがなにを言っているのかはわからない。映画で突然デカくなる音と逆に聞き取りづらいその他のセリフみたいだ。
しかし話を聞いていたジェラットの顔色がどんどん赤くなり、眉間に深いしわが寄せられたのを見て大方予想がついた。
ロークァットは自分の仕業だと報告したんだろう。
なにせジェラットはこちらを一瞥もせず、ロークァットを睨みつけているのだ。
「――おのれ、王族の風上にも置けん奴め!」
そしてそんな地響きのような怒号が届いたところで確信した。
やはりロークァットは自分のしたことを伝えたに違いない。暴力のある世界なら殴り倒していたかもしれないレベルでジェラットは激怒している。
「……あそこ、つれてって」
コゲがそう言って袖を引く。
俺は頷くとコゲを抱え上げてジェラットとロークァットのもとへと駆け寄った。
「ロークァットよ、そのようなことを知れば父上がどれだけ悲しむか……! お前は極刑、餓死刑だ!」
「それはだめ」
「……!?」
ジェラットとロークァットが同じ顔をして驚く。
抱えられたまま割って入ったコゲは緑色の目でロークァットとジェラットを見た。
「飢えること、ばつにしないで」
「この子供は……?」
そう不思議そうにするジェラットの様子を見るに、激高している時に小さな子供が混ざってきても怒鳴らない人柄だということが伝わってきた。
これなら話を聞いてもらえるだろう。
ロークァットが静かな声で答える。
「前代の食事の神と、今代の食事の神シロだ」
「しょ、く……じの神!?」
ぎょっとしたジェラットは半歩引いて俺とコゲを見た。
そして交互に見比べた後にコゲをじっと凝視する。
「ということは、さっきお前の話に出てきた堕ちて反転した神というのが……」
「我」
コゲは身を乗り出して言う。
「我の封印、劣化して勝手にとけた。この人間の手によるものじゃない」
「だが――」
「やろうとしたこと、ダメなこと。けど経緯、ちゃんと知るべき」
コゲの真っ直ぐな声にジェラットは戸惑うような表情を見せた。
俺も頷いてジェラットを見る。
「もちろんロークァットたちには償うべき罪がある。コムギを攫って監禁したこととか、俺たちを閉じ込めたこととかな。……けど封印の件は未遂だ。それに、刑罰として飢えを利用するのはやめてほしいんだ」
閉じ込められている間に飢えたことを思い返す。
コムギによると、あれは罪人への罰にも使われてきたことらしい。
拘留中は食事が出るが、刑が確定すると――その中の『餓死刑』が確定すると、なにも食べさせてもらえなくなる。
人から人への暴力が存在せず、食べることが重要視されている世界なら飢えが罰になるのもわかるが、食事の神としては見過ごせなかった。
きっとコゲも同じ気持ちなんだろう。
俺はこの世界のルールに干渉すると決めた。
その第一歩を踏み出すなら、ここだ。
フードファイトを、食べることを楽しいものにしたいなら、そういう世界になるよう導かなくてはならない。
そして、目指すべきそんな世界で飢えを罰にしているのはやはりおかしいだろう。
ジェラットは難しい顔で俺とコゲを見ている。
――そして、彼が口を開いたのは数秒経った時だった。
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