第46話 ごちそうさま!
「――お、女の子?」
時折鼻を啜り上げ、ぼろぼろと泣いたままハンバーガーを貪っていた女の子は次はおにぎりを手に取って口に放り込んだ。
ほぐした鮭の身や塩で味付けられたワカメの混ぜ込みおにぎりだ。指を舐めるくらい美味しいよな、とついつい思っていると女の子はそれが喉に詰まったのか突然目を白黒させる。
(いやいや、なんで食事の神が喉なんて詰めて――あっ、そうか)
さっきまでの体と勝手が違うのかもしれない。本人はまだ元に戻った――と言うのかはわからないが、姿が変わったことに気がついてないんじゃないか。
俺は女の子に駆け寄ると背中を撫で、落ち着いたところで水を渡す。
「み、ず……?」
「ただの水も食事の合間に挟むと味覚をリセットできる。そこから心機一転して食べるもよし、シメとして終えるもよしだ。……落ち着くには持ってこいだろ」
女の子は目をぱちくりさせて俺を見上げた。
背中まで伸びた長いボサボサ髪は真っ黒で、そこから黒い煙と似た気配がしたため元は俺みたいに真っ白な髪だったのかもしれない。
肌はコムギのように褐色をしており、もしコムギがこの子の巫女なら二人の繋がりによる共通点のひとつなのかな、となんとなく感じた。
こちらを見上げる瞳は俺とまったく同じ緑色。もしかして食事の神は皆この色なんだろうか。
色の共通点は女の子にもわかったようで、俺を凝視した後に自分の姿を確認し、最後に真っ黒な髪を一房摘まむ。
「……」
「君はさっきまで黒くてよくわからないものになってたんだ、覚えてるか?」
「すこしだけ……でも、それより前、ぼやぼやしてる」
女の子は水を飲みながら記憶を遡っているのか何度か首を傾げていた。
「我、かみのけこんな色じゃない。なのに黒い」
「ああ、黒いな。じゃあ紋章が戻っても堕ちた名残りは消えなかったのか……」
「おち……、っ!」
びくりと体を震わせた女の子は自分の腹をぎゅうと押さえる。
「おもいだした! すごくお腹がへってて、それは……なんでなのかよく、わからない、けど……ずっと暗いところにいてこわかった……!」
ぶすぶすと女の子の髪から焦げた煙のようなものが立ち上り、俺は本能的に感じ取った。このままだとまた逆戻りだ。安定していないからこの姿も一時的なものだろう。
(どうにかして落ち着かせないと、……)
女の子は細かな記憶が戻っていないらしい。それはきっとこの子の核心に触れるものだ。
封印されてからの『怖い記憶』だけが残っており、過去に何があったか思い出せないからこそ余計に怖い。自分を落ち着かせる材料がないんだ。
それなら……本当はあまり良い方法じゃないけれど。
「……同じ食事の神だからかな、神気が触れ合うと少し心や記憶を共有できるみたいなんだ。さっきは言葉が通じなかったからこれを使って想いを伝えた。今は……もしかしたら嫌かもしれないけど、少し見せてもらってもいいか?」
「そ、それ、したら、こわく、なくなる?」
「怖くなくならせる」
俺の言葉に女の子はこくりと頷いた。
――俺は女の子の心と記憶に同調する。
女の子はもう随分と前の食事の神だった。
その頃は大人の姿をしていたのか、記憶の視点はいつも高い。
彼女は食べることが好きで、食事の神として生まれ落ちてから様々な宴会を開いて神々と交流し、時には地上の人間とも食事の席をもうけて楽しんだ。
しかしその回数が増すたび、彼女の食べっぷりから力の差を感じた神も人もすべてが壁を作ったのだ。崇めるという壁を。
ただ皆と楽しく食事がしたかったのに。
なのに相手は常に本心から楽しんでいない。
作り笑いを浮かべ、緊張から味もわからず、口は食事をせずに機嫌を取るため喋り続ける。
彼女はそれが嫌だった。どうすればいいのかわからず、我慢し続けたがついに癇癪を起してしまった。
人々も神々もそれを諫めることなく、逆に更に畏怖を感じたのか委縮する。
そんなことを繰り返し、いつしか彼女の周りには一緒に食事をしてくれる人はいなくなっていた。
あれだけ好きだった食事は味気ないものとなり、彼女はようやく気がついたのだ。
(――我が好きだったのは食べることではなく、皆と一緒に楽しく食べることだったんだ)
なのに今や独りぼっち。
彼女は自らの食事もとらなくなり、絶食の末についに『堕ちた』のだ。
食事の神が堕ちて反転したのはそれが初めてのことで、天界が総出で対処しても封印することしかできなかった。封印した石板は特殊なものであり長い年月が経っても耐え続けたが、ついにその封印が壊れたのがさっきのことだ。
それは封印されながらも飢えて寂しい気持ちで長年選び出し続けてきた巫女の接近と、新しい食事の神である俺の接近に触発されたものだった。――ああ、そうか、ロークァットたちは最後の最後だけは手を汚していなかったんだ。
封印された後も彼女は意識があった。
延々と続く飢餓感に揉まれ続け、神としての自我も見失い、最後にはあんな姿になっても腹を満たせなかったんだ。
食っても食っても満たされないのは天からの罰だったのか、それとも反転した結果か。
なんにせよ……
「……そうか、ずっとずっとあんな苦しい思いを繰り返してたんだな」
俺は女の子を抱き締めて涙を流した。
死ぬ前の僅か数日の間しか味わうことはなかったが、あんな酷い体験を恐ろしく長い時間繰り返してきたと思うと、改めて俺はこの子が憐れになった。
どんな人でもどんな神でも、生きたままあんな地獄に放り込まれていいものか。
「あなたも、おなじ……?」
「少しこっちのも見えたか、……短い間だよ」
「みじかくても、さみしくてお腹がへってるのは、つらい」
女の子は小さな手で俺の涙を拭う。
ああ、つらかったよ。
両親が死んで身寄りもなくて、味方は居たけど家族はいなかった。
そんな中で遭難して、怪我で動けなくなって、近くに生えてた名前もわからないような野草も――ああ、食べれそうなものは片っ端から口に入れて、生き延びようとしたけど駄目だった。俺はひとりで寂しくひもじく死んだ。
この子は死ぬこともできなかった。
でも。
「ありがとな。……今はどうだ楽しいか」
「うん」
「美味かったか」
「うん」
「俺も楽しいし美味かった。腹もいっぱいだ。……君は?」
今まで答えのなかった問いに頷いていた女の子は押さえていた手をどけ、自分の腹を見た。
いつの間にか腹の虫は大人しくなり、あふれ出ていたよだれも無い。
女の子はいつぶりかわからない感覚に身を震わせ、そして泣き腫らした目を細めて笑うと――嬉しそうに言った。
「おなかいっぱい!」
「よし! じゃあ――」
俺は女の子を抱え上げ、食卓の皆に宣言する。
「――ごちそうさま!!」
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