第44話 カフェティエのクッキー

 食が細く、幼い頃から王族がなんたる有様だと叱責を受けてきた私にとって、一番つらいのは食事を残した後にやってくる空腹感だった。

 食べられる量が少なくとも腹は減る。

 しかし食べる量が少ないが故に、そのタイミングが他者よりズレるのだ。


 食べきれないからと残したくせに、腹が減ったと言えるものか。


 そうやって空腹に耐え、しかし次の食事では思ったように食べられない。そんなことを繰り返していた。

 父の側室、カフェティエと出会ったのはその頃で、廊下ですれ違った際にうっかり私の腹が鳴り、取り繕う私を部屋に呼んで「内緒ですよ」と小さなクッキーをくれたのだ。

 決められた時間以外に何かを食べることは恥ずかしいこと。

 しかし理由を聞いたカフェティエは言った。

「バランス良く食べることは大切です。けれど殿下は耐えることがとてもつらそう。出来ることなら、食べ物は――」


 楽しく食べたいじゃないですか。


 そうカフェティエは微笑んだのだ。

 聞けばクッキーも彼女の『内緒のおやつ』で、ああ言った本人も食べることが楽しくて大好きなようだった。

 私は次第に彼女に懐き、逃げ場であり居場所になっていった。成長するにつれ色んなものを食べられるようになってからもそれは変わらず、アメリオとカフェティエを会わせたのもその頃だったと記憶している。


 恐らく人生の中で一番楽しい時間だった。

 しかしそれはおぞましいフードファイトにより失われたのだ。


 不利で理不尽なフードファイトを仕掛けられ、放置され窒息死したカフェティエ。

 犯人である側室たちは処罰されたが、私の中に居座り始めた黒く重い気持ちは消えることがなかった。

 食べることが好きだった彼女を食べることで殺した。

 それが憎い。

 フードファイトなどなければよかったのだ。

 いや、それどころかこの世界の在り方からしておかしい。

 そう思い至り、ならば私がこの国から変えてやると動き始めたが――第二王子はどうやっても王にはなれない。

 異端的な考え方だという自覚はあった。なにせフードファイトを憎むことは邪教に近いのだ。

 この考えを浸透させるには王になることが必須だったが、第一王子である兄はすべてが私の上だった。

 世間では影なるふたりの王などと言われているようだが、とんでもない。何をどうしようが次の王は兄だ。


 絶望し始めた頃、私は古い石板を手に入れた。

 食事の神について調べようとしていたのだ。フードファイトや各地に根付く食の常識は元を辿ると食事の神に行き着く。

 何かヒントになることが少しでもあればいい。

 そんな気持ちだったが思わぬものを手に入れた形になる。

 ……堕ちて反転した食事の神。

 この力を使えば『食』に支配された世界をひっくり返せるかもしれない。

 そうして数多の古文書や石板を解析し、計画を進めてきたのだ。


(それがまさか当代の食事の神を引き寄せてしまうとはな……)


 私は広場で飲み食いする食事の神――シロを見る。


 憎々しいフードファイトをしているくせに、なぜ。

 なぜ、あそこまで楽しそうなのか。

 隣には堕ちた食事の神すらいるというのに。

「……アメリオ」

「はい」

「あれは今までずっと、ああして楽しそうに食事をしてきたのか」

 私にそう問われたアメリオは一瞬きょとんとした後、はっきりわかるように頷いた。

「――何食べてても楽しそうで、心底食事を楽しんでるみたいでした。今は仕込んでた毒ごと普通に美味しく食べられてたんだなってわかります」

 まるで観念したような声音でそう言ったアメリオは、なぜか少し柔らかい表情をしていた。

 私はシロと堕ちた神を見る。

 そんな奴だからこそああ言ったのだろう。


 食事を楽しんで、その食事で繋がった縁を大切にする世界。

 それを目指し、誰でも食べたい時に食べられるようにし、フードファイトももっと良いものに変えると。


 私には無理だった。

 私には、無理だったのだ。

(しかしあれは食事の神……いや)

 食事を愛する神だ。

 もしかしたら実現できるかもしれない。

 カフェティエはもういない。しかしもし生きていたなら、今この瞬間も楽しく何かを食べているだろう。そう、あの食事の神シロのように。

 彼女と奴の姿が重なり、まるでカフェティエが目と鼻の先で食事をしているように錯覚した瞬間、私の腹が大きく鳴った。


 食事は全ての生物に平等だ、と。


 シロが言った言葉を思い出し、私は苦笑する。

 食事が平等なら空腹も平等だ。食べることと空腹は表裏一体。なるほど、堕ちてああなるわけだ。

「――そしてそれは私にも適用されるか」

 ああ、たしかに平等だ。

 自分の腹を見下ろしているとアメリオが声をかけた。

「殿下はまだフードファイトが憎いですか」

「ああ」

「シロさんのこのフードファイトは?」

「……戦っているかどうかすら怪しいものをフードファイトと呼べるか甚だ疑問だが、……もしこれが今後フードファイトの形の一つになるなら、歓迎したい」

 私の言葉にアメリオは笑う。

 その声があまりにも従者ではなく、昔よく聞いた『友人』のもので、私は何度か目を瞬かせた。


「ならもうオレたちの負けだ、ロークァット」

「……アメリオ」

「もういいだろ、シロさんの望む世界じゃきっと罪人すら食事を楽しめる。オレたちも一緒に食べよう」


 広場で私とアメリオだけが食べることを拒否し続けていた。堕ちた神で世界を壊そうとしたのは他でもない私だ。

 そんな私がこの場で何か飲み食いしていいはずがない。

 その気持ちの根源を辿ると、行き当たったのは幼い頃に何度となく感じた「食べきれないからと残したくせに、腹が減ったと言えるものか」という気持ちだった。

 あの時は料理を楽しく食べる人間に救われた。

 なら今は。


 そう考えた瞬間、人ごみの中から金髪の少女が走ってくるのが見えた。両手にはトレーにのせた様々な料理が並んでいる。

 少女は――アメリアだ。私が年が近いからと堕ちた食事の神の巫女の世話役に任命した、アメリオの双子の妹である。

 アメリアは兄を見つけると表情を明るくさせて駆け寄ってきた。

「お兄ちゃん!」

「アメ、リア? どうしてここに」

「お、お城であの黒いのから隠れてたんだけど、窓からコムギさんが見えたから追ってきて……そしたら広場で食事の神がフードファイトをやってて皆が美味しいものを食べれるからって、えっと、えっと」

「お、落ち着け」

 言いたいことが山ほどあるのかアメリアは思考の洪水に目を白黒させ、アメリオは同じ顔をしている。

 二人で深呼吸をしてから聞いた話によると、アメリアは堕ちた神に襲われる前にクロゼットへと避難し、気配がなくなってから廊下に出たところ窓からコムギたちの姿が見えたので追ってきたらしい。

 脱走事件からアメリアは通常の仕事に戻したが、あれからずっとコムギのことが気掛かりだったとも言っていた。――自覚しているかはわからないが、兄妹揃って情に厚い。

「お兄ちゃんこそ今までどうしてたの? 解雇されたって噂もあって心配で心配で……」

「……少し時間のかかる仕事をしていたんだ」

 アメリオは少し視線を下げてから答える。

「それって……コムギさんに関係すること?」

「なんでそんなに察しがいいんだよ」

「私も色々あったの。これについては後でちゃんと話してね、その代わり今は――」

 アメリアは兄ににっこりと笑みを向けた。

「私も倒れるほどじゃないけど黒いのを見てから腹ぺこで……お兄ちゃんの頭が見えたからこれ貰ってきたの! 無礼講で何食べてもいいんだって、凄くない!?」

「まあ……食事の神がそう指示したからな」

「えっ、じゃあ食事の神って本物なんだ……というか実在したんだ……」

 アメリアはぽかんとしていたが、アメリオの腹が鳴ったのを聞いてトレーを掲げた。


「とりあえず好きなの食べて! お兄ちゃんの好物ばっかり貰ってきたから! あっ、ほら、そっちの人も良かっ――わ、わーっ!? 殿下ッ!?」

「ようやく気がついたのか」


 引っ繰り返りそうな勢いで驚いたアメリアに私は思わずそう口にした。

 彼女の目には久しぶりに会えた兄ばかりが映っていたらしい。

「……食事の神が実在していたことよりも、私が居たことの方にそこまで驚くとは」

「ひぇ、すみません、大変失礼を、あの」

 私はアメリアの持つトレーからクッキーを一つ摘まみ上げた。甘い香りがしており焼き立てなのか指先から温かさが伝わってくる。

 それを半分に割り、片方をアメリオに差し出す。


「お前も食べろ、アメリオ」

「――ああ、いただきます」


 様々な感情が燻っているが、今だけはこの型破りなフードファイトの一部になってやろう。

 そして私はアメリオと共に甘いクッキーを口に含んだ。


 その味は、幼い頃カフェティエから貰ったものによく似ていた。

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