第43話 俺たちの食卓

 焼き立てのクルミパンは二種類の香ばしさを持った味わいで、見た目も花のような形で愛らしい。

 その花弁のブロックごとに齧っていくのが好きな俺の食べ方は愛らしさの欠片もないが、美味いからしょうがないってことにしておこう。

 しかも食べ終わったタイミングでパン屋のおばさんが新しいパンをバスケットに入れて現れた。


「似たものが続いても大丈夫ですかね……?」

「似たもの? 全然大丈――」

「塩クルミパンなんですが」

「塩クルミパン!?」


 なんだそれ美味しそう、と食い気味に言う俺を見て緊張していたおばさんは嬉しそうに笑う。

 そう、俺は作り手のこの顔も見たいんだ。

 素敵なものを作ってくれた人が笑顔だと嬉しいじゃないか。

 おばさんから受け取った塩クルミパンは丸い形をしており、上に軽く塩がまぶしてあるだけでなく生地にも練り込まれているようだった。

 さすが海鮮の美味い街、塩そのものにまでこだわっているのが一口でわかる。

 焼き立てのそれをあちあちと咀嚼していると、観戦していた人たちの中から「バターをのせても美味しいですよ!」とアドバイスが飛んできた。

 他にもレーズン入りのものを勧めてくれたり、スープに浸して食べると美味しいという情報も入ってくる。これは素晴らしい。全部試すしかないな!


 そうしてパンからスープ類、コーン入り春巻き、まだじゅわじゅわと音のするメンチカツ、サフランライスに豚骨ラーメンまで様々な料理を残さず食べていく。

 ――初めは周囲の人々も食事の神を前に緊張したり恐縮していたが、食べ進めているうちに少しずつ少しずつ距離を詰めてくれた。俺が楽しんで食べてる影響だと嬉しいな、と鴨ロースを箸で摘んだところで隣の堕ちた神をちらりと見る。

(……!)

 テーブルには箸やカトラリーが一式用意されている。

 堕ちた神は体同様真っ黒な手……のようなものを伸ばし、箸を掴み上げていた。

 しかし不器用な動きで握り込んだ箸では上手く食べれない。

 手元には俺と同じ鴨ロースがある。

 俺の真似をし始めたんだろうか……?


「……俺は使いやすいから箸にしたけど、他のでもいいんだぞ。ほら、フォークなら食べやすいかもしれない」

 

 堕ちた神は俺が差し出したフォークをぎこちない動きで握った。そのままタンッ! と鴨ロースを刺して口に放り込む。うーん、ワイルドだ。けど。

「よし、美味しそうな食べ方だな!」

 堕ちた神が美味しく楽しく食べられる第一歩になるなら、今はマナーは忘れよう。まあ俺は元からマナーより美味しく食べること優先だったけれど。



 テーブルに並ぶ料理は一目で美味しいぞこれはと感じられるものが大半だったが、中には変わり種もあった。

「わさびモンブラン!? なんだこれ!?」

 初めて見たと俺は興奮しながら手に取る。

 料理人は時折冒険をすることがある。それは直感によるものだったり経験に則ったものだったりと様々だが、これはどっちだろうか。

 わさびの練り込まれた緑色のクリームは香りだけではわからなかったが、口に含んでみるとツンと鼻に抜けるわさびの風味が隠れていた。涙が出るほどではないが甘味を想像する見た目のせいか脳が混乱し、それがちょっと面白い。


「あっ、しかもこれ中の生クリームや土台のパイと一緒に食べる量によって辛さを調整できるな! ……ほらっ、嫌いじゃなければお前も食べてみろよ」


 俺はフォークにのせたわさびモンブランを堕ちた神に差し出す。

 ピザを食んでいた堕ちた神は目らしきものをぱちくりさせる。……なんかちょっと人間っぽい仕草をするようになってきたな。

 堕ちた神はおずおずとわさびモンブランを齧ると――全身の黒いもやがチクチクになった。か、辛すぎたか?

「……いや、でも嫌な辛さじゃなかったんだな」

 のそのそとした動きで自分も新しいわさびモンブランを手に取った姿を見て俺は笑った。

 堕ちた神は一口食べてはチクチクになっている。相変わらず表情は読みづらいが、これは辛さとさっきまで食べていたピザとの味の対比を『楽しんで』いるように見えた。


 俺も製作者さんを呼んで作った作品のこだわりを聞きながら食べたり、裏話や秘話を聞いて驚きながら味わった。


 味以外で楽しんで食べるのも良い。心持ちひとつで味が僅かに変わる気がする。

 俺は笑みをこぼして堕ちた神に言った。


「な、食べるのって楽しいだろ?」

『……』


 堕ちた神はゆっくりとこちらを見る。

 食べながら腹がぐぅと鳴っていた。

 ――ああ、つらいだろうな。飢餓は痛みすら感じるんだ。俺はそれで死んだけど、お前は死ねないまま永い間苦しんできたんだよな。

 出来るかわからないが、俺は堕ちた神から感情が流れ込んできた時のように相手に触れて自分の思いを伝えた。明確な言語にはならないかもしれないけれど、俺が今お前とどうしたいかだけでもはっきりと伝わればそれでいい。


 満足するまで一緒に食べよう。

 一緒にだ。


 堕ちた神は一瞬だけ体を震わせる。

 俺は周りの人間すべてを見ると大きな声で言った。

「――皆も一緒に食べよう! 俺は美味しいものは独占するより誰かと一緒に食べたい!」

 飢餓感に苛まれていた人たちには先に食べてもらっていたが、それもフードファイトが始まるまでのことだ。今は皆が俺たちを見るのに集中していた。そんな彼ら彼女らとも一緒に食べたくなったんだ。

「今からこの広場すべてが『食卓』だ。ほら、皆……いただきます!」

 そう人々に語り掛けると、初めは戸惑いながら、しかしフードファイトが始まった時のように少しずつ自然体になりながら皆も食事を始めた。

 俺の元に駆け寄ってきたコムギが笑顔で皿を差し出す。

「シロさんっ、さっき出来たてのカヌレを貰ったんです。フードファイト中ですけど……その、一緒に食べません?」

「……! もちろん!」

 フードファイト中のシェアはご法度だが『俺のフードファイト』では大歓迎だ。

 コムギは皿に乗ったカヌレを俺と――そして堕ちた神にもわけて笑う。

「私を呼んでくれたのに何もできなくてごめんなさい。もし許してくれるなら、あなたも一緒に食べませんか」

 堕ちた神はカヌレとコムギを交互に見る。

 俺以外に初めて食べ物を貰った、そんな顔だ。

 それが伝わってくるくらい感情がわかるようになっていた。


 カヌレを一口ではなく何回にも分けて齧る堕ちた神の周りで、人間たちが思い思いの食事をしている。

 ある者は装飾にこだわった美しい肉料理を、ある者は鶏を丸々焼いて岩塩や胡椒で豪快に味付けしたものを。

 時には誰かと分かち合い、時にはいつの間にか全部平らげてしまい笑う。

 カーニバルのような賑わいに包まれた広場はまさに大きな食卓で、食べる者も作る者も皆楽しげだった。

 大食いも小食も自分のペースで食べる。無理強いはなく、食事で苦しむこともない。

 共に楽しく食事をしていること、それだけが共通点だが、そこから伝わるもの――人間らしい感情よりも原始的な連帯感や安心感があった。これが俺のフードファイトだ。

 食べてわかり合う。仲間だと示し合う。


 それは、ロークァットとタージュにも伝わっただろうか。

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