第39話 ロークァットの事情
元は別の世界に住んでいたこと。
食事の神として生まれ落ちたこと。
神々の世界での暮らしが嫌で人間の世界へ降りてきたこと。
ネズミと話せるのは神気によるものであり、森でウサギを呼び寄せたのも実は神気によるものであること。
そしてロークァットが話していた『堕ちて反転した食事の神』と自分は別物だが、もしあのまま何も食べない時間が続いていれば同じような存在になっていたかもしれないことをコムギへ順に伝える。
……どれくらい信じてもらえるだろうか。
コムギはすべてきちんと聞いてくれると信頼しているが、誤解なく伝えられるかどうかという自分の話術に自信がなかった。
しかし俺のそんな不安はどこ吹く風、コムギは俺の手を握って言う。
「……な、納得しました!」
「納得?」
「こんなに納得したのはパパの親戚全員にこの毛が生えてたのを見た時以来です……!」
「それは相当の納得だな!?」
というか少し特殊な髪の毛だって自覚はあったのか……!
コムギはこほんと咳払いをする。
「今までのシロさんの食べっぷりとか、振る舞いとか……そういうことを思い出したらすとんと心に落ちるものがあって。むしろ食事の神様でなかったら何なんだ、って思っちゃうくらいでした」
「い、一応言っとくけど、俺が食事の神でなくても食べ物は全部好きだからな? コムギの手料理も含めて」
食事の神だから食べれたんだ、と思われては大変だとフォローすると、コムギは小さく声を漏らして笑った。
「わかってます、大丈夫ですよ。……シロさんが前に住んでいた世界のことはよくわかりませんけれど……そこでも飛び抜けて好きだったんですよね? そんなシロさんだからこそ食事の神様になったんだと思います」
そう言ってからコムギは青い目を細めてこちらを見上げた。
「――食事の神様といえば全世界で祀られている最高神です。嘘はつきたくないから言いますが、畏れ多い気持ちもあります。……でもシロさんはシロさんなので、私はこれからも今まで通り接しますね」
「……うん、そうしてくれると助かる。本当に。……あ〜……本当に良かった……!」
俺はホッとして全身の力を抜く。
コムギが信じてくれても今後どこか距離を取られたら立ち直れないところだった。それならまだ怯えられた方がマシ……いや、どっちも嫌だな。
何にせよ最悪の未来は回避できたわけだ。安堵で脱力くらいはする。
俺はもう一度ドアの鉄格子を見上げた。
「俺はこれからあれを『食べて』みようと思うんだ」
そう言うとコムギは「それでさっき……」と驚いた。
「で、でも食べ物じゃないですよ……!?」
「人間にはな。まだ試したことはないけど、石なら消化できる気がするんだよ。でも鉄は未知数だ。ただ試してみなきゃわからないよなって思ってさ……さっきは力が足りなかったけど、木の実で少し回復したからもう一回試したいんだ」
ネズミにウインクするとネズミは神気で言葉を伝えるより先にチュッと鳴く。
髪色は戻っていないが、少なくともさっきよりは力を出せる気がした。
「ただ、俺は食事の神として『食べること』に付随する行為を食事以外にあまり使いたくない。だから鉄を噛みちぎれてもそのまま吐き捨てずに……ええと、食べてみようと思うんだ」
「鉄を食べる、ですか」
「俺の感覚は人間に近いからどうなるかわからないけどな、……あ」
屋敷で縄を噛みちぎったのは見逃してくれ、と眉をハの字にして言うとコムギは「皆には秘密にしておきます」と笑った。
さあ、物は試しだ。
栄養にはならないかもしれないが、試すくらいはしてみよう。
俺は再び鉄格子を噛む。するといとも簡単にぱきりと取れた。
「……」
「……」
さっき歯形をつけたとはいえ、本当に簡単に取れすぎではないだろうか。
食べると意識したからか?
さすがにわかりやすすぎるぞ食事の神……!
そう思いつつも恐る恐る咀嚼する。咀嚼できた。できてしまった。
もぐもぐと口を動かす俺をコムギとネズミたちが見守っている。どこかハラハラしているように見えるのは多分気のせいではない。
ごくん、と鉄格子を飲み下した俺にコムギがそろりと声をかける。
「……お、お味はどうでしたか……?」
「鉄棒を舐めてる気分だけど、その鉄っぽさが存外悪くない。ただ……」
「ただ?」
俺は真顔で答えた。
「調味料も欲しいな!」
***
――ロークァット殿下の背を眺めながらオレはシロさんの顔を思い返していた。
自分の選択に後悔はない。
オレは今までもこれからも殿下のために動くと決めた。
……それでも予想以上にいい人だった彼を裏切ったことに何のエネルギーも使わなかったと言えば、それは嘘になる。
彼の人格はシロさんに接近するためオレが演じていた『いい人』並みだったのだ。
(食に関してはとんでもないけど、救出計画の荒さや大雑把さはまさに普通の人間って感じだった)
だから余計に調子が狂うのかもしれない。
(けれど……オレはロークァット殿下の望みを叶えたい)
あわや一家離散しかけた際、幼馴染みのよしみだからと助けてくれたのは殿下だ。
他の誰でもない。
オレの恩人はこの人だ。
そしてフードファイトを厭う気持ちも理解できる。――殿下はフードファイトを憎んでさえいるんだろう。
殿下は正妃の息子だが、幼い頃からカフェティエという側室に大層懐いていた。オレもよく内緒で遊びに行くのに連れ出されたものだ。
思えば実母より母らしかったかもしれない。
しかしカフェティエ様は他の側室の恨みを買い、ある日いわれのない理由でフードファイトを仕掛けられた。
理不尽なルールのフードファイトを。
限界を迎えても用意された品をすべて食べ続けなくてはならず、三人で交代が可能だったが――カフェティエ様は仲間になってくれる者がおらず、たった一人で挑むことになったのだ。
途中で倒れたカフェティエ様は周囲に嘲られ、本来ならすぐ運ばれるはずの医務室にも連れていってもらえず、オレたちが見つけるまでずっとそのままだった。
――というのは、後で尋問された側室たちから聞き出された話だ。
カフェティエ様本人は喉に詰まらせたものが原因で、発見後すぐに亡くなってしまった。
あの時からロークァット様はフードファイトを疑問視し、今はこの世から無くしたがっている。
厳格なルールはあれどフードファイトは国と国の争いにも使われるものだ。それほどこの世界に根付いている。
ならばそれを根底から崩し、代わりとなる新たな支配方法を確立しようというのが今進めている計画だった。
犠牲者が出るかもしれないのは百も承知。恐らくロークァット様は自らを正義とは思っていない。
恨まれでもしないとこの世界の根底にあるものをひっくり返すことなんて無理だ、ということだろう。
ロークァット様が自分で地獄へと向かっている、そんな不安はいつもあるが、オレは止める代わりに一緒にそこへついていく選択をした。それを違えるつもりはない。
(……でもシロさんのことが気にかかるのは、待ってはいるって証拠か?)
本当に堕ちた食事の神の巫女を守る存在なら、空腹という拷問はよく効くだろう。
あれだけ食べるのが好きな彼にそんな仕打ちをするのは――どんなことより残酷に思えた。
今更だ。
(王子のために散々色んなことをしてきたのにな)
今更だ。
(色んな人を騙したことだって無かったことにはならないのにな)
本当に今更だ。
俺は頭を軽く振って王子の方へ向き直る。
王子は巫女を使い食事の神の封印を解くための準備を進めていた。目の前に設置されたのは重々しい雰囲気の石板で、獣の爪で掻いたような魔法陣が描かれている。
王子の手元の古文書にはこの石板と封印について記されており、これは五年かかって解読したものだ。
巫女は近くに存在するだけで呼び水になる。しかしそれは何年かかるかわからないため、意図的に強く呼ばせることで封印を解こうとしているわけだ。
どういう経緯で堕ちて反転したのかはわからないが、その理由も食にまつわることなんだろうか。
(でも封印はぼろぼろだ。傍に置いた食べ物がいつの間にか傷んでる。……これなら巫女の呼び声以外に何か衝撃があれば解けるんじゃないか?)
そう考えながら王子の背から石板へ視線を移したのと、魔法陣に縦のひび割れが走ったのは同時だった。
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