第40話 ごめんな

 鉄格子を『食べて』外へと出た俺とコムギは廊下の先を見る。

 他にも部屋はあったが、俺たちの閉じ込められていた場所以外は使われていないようだった。

 廊下の先には更に扉があり、そっと耳をつけて様子を窺ってみた感じ、人の気配がしたので見張り役がいるようだ。


(さて、どうするか……さすがに扉の鍵を食ってたら見つかるよな……)


 何かで気を逸らすか、と考えていると不意に背筋がぞっとするような感覚が走って俺は扉から離れた。

 それはコムギも同じだったようで、口元を手で覆うと肩を跳ねさせる。

 すると扉の向こうが突然騒がしくなった。混乱した人間の声と足音、そして――人間ではないものの足音だ。

 それは無数の小さな爪で床を掻くようにして進む、喩えるならそんな音だった。

「なんだあれ!? に、逃げろ!」

「おおお置いてくなよ!」

 人間が走り去る音がし、それを追っておかしな足音が続く。

 しばらく扉の前で固まっていた俺はハッと我に返ると扉の鍵を丁寧に齧り取り、咀嚼して飲み込むと外へと出た。


「……な、何が通ったんだこれ?」


 通路のそこかしこに薄墨のようなものがついている。よく見れば液体のようだった。

 そしてふわふわと漂っているのは黒い煙。うっすらと焦げ臭いが、見ていると臭いの濃さに見合わないほど食べ物を酷く焦がしてしまった時のような気分になる。

「……」

「コムギ?」

 コムギは怯えた顔をしながらもその黒い煙に近づき――触れる前に遠くから地響きがして驚いた様子で手を引っ込めた。

「正体はわからないが何かが大暴れしてるみたいだな。……今がチャンスだ、ひとまずここから離れよう」

「は、はい!」


 そうして二人で道を走っていると、先ほどの薄墨のような液体でどろどろになった人間が倒れているのが見えてぎょっとする。

 追われていた見張りの兵士だろうか。

 死んでいるのかと慌てたが、どうやら気を失って倒れているだけのようだった。

 介抱したいところだが俺たちの立場が立場だ。申し訳ないが壁にもたれ掛からせるだけに留めておく。

「……?」

 その時聞き慣れた音がした。

 腹の鳴る音だ。

 俺でもコムギでもなく倒れていた兵士の腹の虫だった。

「急いで逃げたからお腹が空いたんでしょうか……?」

「かもしれないな、なんにせよ生きてるって証だ」

 ほっとしながら俺は兵士が誰かに見つけてもらえることを祈りつつその場から離れた。



 ここが城の敷地内のどこなのかはわからないが、外に出るための道はあるはず。

 曲がり角に注意しながら進み、時折焦った様子で走っていく兵士たちを物陰に隠れてやり過ごす。

 しかしすべてをやり過ごせるわけじゃない。回避しながら進むうち、どうしても階段を上ることになり、気がつくと三階ほどの高さにいた。

 コムギがいる中で飛び降りるのは自殺行為だ。

 どうにかして一階に向かおうとした矢先、窓の外の景色が見えて足が止まる。


 ――黒い煙を無理やり固めたような何かが走っていた。

 小型ワイバーンは見たことがあるけど……この世界ってあんなモンスターまでいるのか?


 正体不明のそれは食糧庫らしき建物に突っ込むと一回り大きくなって出てきた。

 コムギは怯えた様子で窓から少し離れる。

「もしかして食糧を食べてる……んでしょうか」

「そう見えるな、……」

 何か嫌な予感がする。

 食糧庫からよろよろと出てきた人々を見る限り人間を食べることはないみたいだが、さっき液体でどろどろになって倒れていた人は試食……か? 食べ物じゃないってわかったから追うのをやめて食糧庫に的を絞った?

 しかしなぜか出てきた人間は全員疲弊しきって空腹で倒れる寸前に見えた。

 俺はコムギを振り返る。

「あいつを止めた方がいいと思う」

「止める、ですか?」

「逃げるのも重要なのはわかってるんだが、どうしても放っておいちゃいけない気がするんだ」

「……それは……もしかして食事の神様としての勘みたいなものでしょうか」

 コムギの言葉に頷き、俺は試しにあいつに向かって神気を伸ばそうと試みた。しかし栄養が足らないせいか上手くできない。直接傍まで行く必要がありそうだ。

 コムギは眉をハの字にして言った。


「じつはさっき扉越しに遭遇した時、誰かに呼ばれた気がしたんです。それと一緒に、その……おなかがへった、と言われた気がして」


 堕ちた食事の神の巫女であるコムギ。

 そんな彼女にだけ聞こえた声があり、しかもコムギを呼んでいたとするなら、あのおかしな黒い生き物は……封印されているはずの堕ちた食事の神なのか?

 なぜ封印が解けたのか、なぜあんな姿なのか、俺にはわからない。

 しかしもし本当にそうなら――尚更このままにはしておけないな。

「危険だけどついて来てくれるか、コムギ」

 一人で逃げろ、なんてどうしても言えなかった。

 本当なら俺の泊っていた宿屋にでも逃げ込んで騒動が収まるまでじっとしていてほしかったが、コムギが巫女なら話は別だ。それにもう手を離したくないという気持ちも正直に言えばある。

 コムギは微笑むと言った。


「もちろんです!」


     ***


 気づけば建物内の兵士はいなくなっており、どうやら食べ物を探して暴れ回る堕ちた食事の神の対応に追われているようだった。

 俺とコムギは建物の外に出るとネズミたちのナビで堕ちた食事の神を追う。

『門のほう、行ったって仲間、言ってる』

『すごくこわいやつだ!』

「外に出ようとしてるのか……?」

 立ち並ぶ店々の風景を思い出す。王都は実りの季節でなくても食べるものに恵まれた街だ。それは堕ちた食事の神にとっても恰好の狩り場ということでもある。

 俺はコムギを気遣いつつ走る足を早めた。


「……! シロさん、あれ!」

 しばらく走り、門の近くまで来た時コムギが俺の袖を引いて指さした。

 壊れた門の傍に誰かが立っている。

「――ロークァットとタージュさん……!」

 後ろ姿だが間違いない。

 黒い煙が風に乗って流れていく中、ロークァットはタージュに肩を借りて立っていた。疲弊しているように見えるが彼も堕ちた食事の神と接触したのだろうか。

 二人はどこか呆然として門の向こうに広がる街を見ていたが、気づかれずに横を通り抜けるのは難しいだろう。

 呼び止められる前に駆け抜けよう、そう足に力を込めたところでロークァットの呟きが聞こえてきた。


「なぜ食べる……? お前にはすでに不要どころか無意味な行為だろう」


 これは――堕ちた食事の神に対するものか。

 ロークァットはあの神を使って食事に依存する世界を変えようとしていた。

 しかしその神自身が食べ物を求めて暴走することまでは予想していなかったらしい。

 想像していたものと違ったなら計画を思い改めてくれるかもしれないが……。

「こうして人々に飢餓を与えるほど呪いを振り撒いているというのに、それでもなお食べ物を求めるとは――いや、だが」

 ロークァットはよろめきながら一歩前へ出る。

「呪いながらすべてを食い荒らすもの、それが崇めている食事の神だとわかれば目が覚める者もいるだろう。我々はそれを扇動し使えばいい」

「ロークァット様……」

「神自体も食を祟る力は衰えているかもしれないが、捕まえれば使いようがあるだろう。アメリオ、あれがある程度暴れたら兵を総動員し――」


 ざり、と。


 俺が地面を踏み締めて近寄ると、そこでようやくロークァットはこちらに気がついたのか振り返った。

「お前、なぜここに」

「さっさと通り抜けた方がよかったんだろうけどさ」

 黒の混じった白髪が風に揺れる。

 その黒い毛先からは僅かに黒い煙と同じにおいがした。

「あいつ、腹が空いたって言ってたらしいんだ。周囲を呪って飢餓を振り撒きながら食べたい食べたいって暴れてる奴をさ、これ以上何かに利用するなんてやめてくれ」

「……は、ははは! あんなものに情けをかけるなんて殊勝なことだな」

「食事は全ての生物に平等だ」

 俺はコムギの手を引いて壊れた門の方へ向かって歩く。

「生物なら、生きているなら大抵のものには必要不可欠。食べたものは体を巡り命を繋ぐ。時にそこに楽しみを見出す生物もいれば、つらい感情を持つ生物もいるだろう。それでも……何かを食べたい、そう思う者には与えられるべきものだ」

「なにを言うかと思えば綺麗事か」

 言うのは簡単だが、世界のどこかで飢えて死んでいる者はきっといる。

 その者を救えもせず、しかし飢餓を振り撒くような存在に情をかける。

 ロークァットはそれを綺麗事だと指した。


「ごめんな」


 俺は眉を下げて謝った。

 食事の神として、だ。

 堕ちた食事の神の封印が解け、ロークァットたちも疲弊した今ならバレてしまっても構わないだろう。――そんなリスクの軽減がなくても口にしただろうが。

「俺はまだこの世界に疎いけれど、なんとなくはわかってるんだ。神々は基本的に人間の世に興味がない。それでも存在するためにはある程度の管理はする。豊穣に関する神が世界の実りを平等にしていないのも、きっと何か意味があるんだろう」

「どういう……」

「今の俺じゃそこに手出しはできない。けれど食事に、何かを食べることに関しては言った通りの気持ちを持ってる。俺はまだこうして自分の目の届く範囲のものにしか手を差し伸べられない存在だけれど――どうにかしたいんだ」

 目の届く範囲にしか手を差し伸べられない。

 それは目の届く範囲なら手を差し伸べるということでもある。

 食事の神だとしても万能じゃないから、ロークァットの指す通り食事を平等にとれない人々もいるだろう。それは人間以外の動物も含めて、だ。

 他の神が何をどう思っているのかはわからないし、不平等も世界が成り立つ上で必要なものなのかもしれないが、俺は食べたいと思っている者には食べさせてやりたい。


 ああそうだ、と俺は自分の胸元に手を当てて僅かに俯く。


「――少しずつかもしれないけれど……俺、飢える人が減るようにもっと力をつけるよ。フードファイトももっと皆が楽しめるようなものにする」


 この世界での目標だ。

 今まで目標に据えたものの中でもとびきり大きいが、だからこそ叶え甲斐がある。

「食事を楽しんで、その食事で繋がる縁を大切に出来る世界。俺はそれがいい」

「シ、ロさん……?」

 そう声に出したのはタージュだった。

 また素の声でそう呼ばれたのが嬉しくて俺は笑みを浮かべ、そして口を半開きにしているロークァットを見る。

「物言いからの予想だけどさ、フードファイトに何か嫌な思い出があるんだろ? だから食事って行為ごと一旦壊そうとしてる。けどさ……食事の楽しかった思い出だって一つくらいはあるんじゃないか」

「……」

「これは俺の我儘だけど、その楽しかった思い出を嫌な思い出で塗り潰すことはしてほしくないんだ。嫌な側面があるものには良い側面もある。そうだろ?」

 これはビズタリートの行ないを見て気づいたことでもある。

 ビズタリートは権力を笠に着てコムギを傷つけた嫌な奴だったけれど、ハーレムに潜入してみてあの妙に女好きな性質で救われる人間がいることも知った。

 だからって良い奴だなんて言えないけれど、完全な悪い奴とも言い切れない。

 同じように裏切ったタージュも悪い奴だと断じるには早いだろうし、ロークァットにも事情があるなら……俺の知らない側面もあると思ったんだ。万物は「そういうもの」なのかもしれない。


 そう言ったところでロークァットが返事をする前に街の方から地響きがした。

 俺はコムギの手を引き、ロークァットたちに言う。


「言いたかったのはそれだけだ、そろそろ行かせてもらうぞ!」


 ロークァットではなくタージュが引き留めるように緩く腕を伸ばしたが、俺たちは街中に向かって再び走り出した。

 腹を空かせて暴れているらしい、俺と同類の神の元へと。

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