第38話 窓からの差し入れ

 増していく空腹の中で俺は『何か食べないとだめだ』と悟った。

 それは多分生き物としての本能ではなく、食事の神としての本能だ。


 髪が黒く染まっていく理由とイコールで繋がっているのかはわからないが、空腹が極まるにつれ黒い範囲が増えているところを見るに無関係には思えない。

 そしてうるさく鳴る腹を宥めながら、俺は恐ろしい想像に行き当たった。


(食事に関わらない食事の神は堕ちて反転する……まさかその予兆なのか? こんなに早く?)


 個人差があるのかもしれないが、もしそうなら一大事だ。

 ロークァットたちは俺が食事の神だとは気づいていない。

 だからこれがわざと俺を反転させようとしているわけじゃない、というのはわかる。

 しかし実際にそうなりかかっているのだとしたら、取り返しがつかなくなる前にどうにかしないといけないだろう。

 俺はコムギに空腹に耐えると約束した。神としても耐えたい。

 それに。


(――食べ物たちを呪って祟る存在になるなんて、真っ平ごめんだ)


 前の食事の神がどうだったかはわからないが、少なくとも俺は食べることが好きである。

 心の底から嘘偽りなく好きだ。

 だから……そんな大好きなものを祟る存在になんかなりたくない。

 前世と同じ黒い髪。それに郷愁や安堵感を抱くでもなく、逆に焦りと不安を抱えつつ俺はドアの格子から外を覗いた。間近に見張りはいないが、恐らく道の先の出入り口にはいるんだろう。

「……」

 鉄の格子。

 コムギと話していた時はさすがに鉄製じゃ無理だ、と思ったが。

「まだ一度も試してないのに出来ない……なんて決めつけるのは弱腰すぎるよな」

「シロさん?」

 鉄格子をじっと見る俺に気付いてコムギが首を傾げる。

 その目の前で俺は鉄格子に噛み付いた。

 ぎょっとしたコムギは立ち上がって慌てる。


「まさかお腹が空きすぎて……!? シ、シロさんしっかりしてください! それは鉄ですよ!」


 そう止めようとしたコムギだったが――ばぎ、と固くて高い音を聞いて動きを止めた。

 しばらくの間軋むような音をさせ、そして俺は鉄格子から口を離す。

 歯形は付いた。ってことは上手くやればなんとか噛み切れそうなんだが……どうにも力が出ない。やはり空腹が堪えてるようだった。

 一方コムギは鉄格子に残った俺の歯形に青い目をぱちくりさせている。

 説明なしに挑戦したもんな……。

 ここは秘密をすべて明かす前に、ワンクッションとして軽い説明くらいはしておくべきかもしれない。

「コムギ、その……、……っ!?」

 そう思い口を開きかけた俺は、突如部屋の端にぴょこりと顔を覗かせたものを見て静止した。

 今度はこっちが目をぱちくりさせる番だ。


 そこにいたのはネズミたちだった。

 しかも街で協力してくれた奴らだ。


「ネズミ、ですか?」

 コムギが俺の視線を追って言う。見慣れたものなのか驚いて騒ぎはしないが、なぜこんな食べ物もないところに? と気になっている様子だ。

 俺はおずおずと神気を纏った手をネズミに近づける。

「なんでここに?」

『シロつかまってるってきいた。だからまどのさく、ぬけてきた』

 高い位置にある窓はガラスの代わりに鉄格子が嵌っている。人間では到底擦り抜けられないが、ネズミなら余裕といったところだ。

 その窓の向こうからネズミの仲間たちがにゅっと顔を覗かせる。

「来てくれたのか……」

 今は何の対価もないというのに来てくれた。それだけで心の中がほっとする。

 ネズミは窓の向こうの仲間に合図をした。

 すると小さな紙袋が二つほどポトリと落とされる。


「……? これは……」

『たすけるほうほう、わからなかった。だからまずは、ごはん』

『シロ、おなかすかせてるでしょう?』


 上のネズミたちは俺がやってくれたように、今度はこっちからご飯をあげると言った。

 食べ物? と俺は紙袋を拾い上げる。どこから持ってきたんだろう、と中を開くとそこに詰まっていたのは殻付きの木の実だった。

『いっこずつはこぶ、たいへんだからソレにいれた』

「賢いな……! ありがとう、もらうよ。お腹が減って倒れそうだったんだ」

 喜んで頷くと、紙袋を覗いたコムギが感嘆の声を漏らした。

「全部食べれる木の実ですよ! これとか美味しいんですけど殻剥きにコツがあって……ちょっとお借りしますね」

 コムギは木の実をひとつ手に取ると、うっすらと入った線に沿って爪で型を付けてから左右に捻るようにして力をかける。

 するとパキッと小気味いい音がして殻が割れた。

「普段は乾燥させて食べるんですけど、生のままでも十分いけます」

「生ピスタチオみたいな感じかな……?」

 炒ったような良い匂いはしないが、口に入れてみるとコクのある甘さが広がった。穀物系の甘みだ。

 少量ながら体にしっかりと栄養を注いでくれるような、そんな味だった。

 これはパスタ系にも合いそうだ。コムギが知っている実なら今度トッピングしてもらおう、と考えつつも、これだけでも十分美味しいのは空腹でなくても同じように感じただろう。


 他の種類の実もそれぞれ美味しかった。

 アーモンドのような味のもの、豆に近い味のもの、甘い香りとその通りの味をしたものなど様々だ。

 栗に似たものは焼けば甘くなるらしいが……残念ながらここに火はない。

 しかし渋みはあっても、そのまま食べてみるとこれはこれで楽しめた。コムギに分けてみると口を押えて目をまん丸にしていたが。


 ――しばらくして、木の実を完食した俺たちは改めてネズミにお礼を言った。

「ところでシロさん、その……」

「ん?」

「もしかしてシロさんって、ネズミと喋れる……んですか? えっと、最初は一方的に話しかけてるだけかと思ったんですけど、雰囲気的に何だかそんな感じがして……」

 ……。

 そういえば普通に会話してたな。あれを受け入れてたとか凄いぞコムギ……。

 俺はどう説明するか迷いつつ、どの道これからやろうと思っていることは人間離れしているんだから話すべきか、と姿勢を正した。

「落ち着いたら話す、って言ってたことがあったろ」

「はい」

「状況は全然落ち着いてないけど……こうして物を食べることで少し落ち着いた。そしてこれから試そうと考えていることはまたコムギをびっくりさせるかもしれない。だから今話しておくよ」

 ちゃんと聞きます、とコムギは何度も頷く。

 俺は不安を抱きながらも安堵し、一度深呼吸をしてから自分の胸に手を当てた。


「――俺はまだこの世界に生まれたばかりなんだ」

「生まれた、ばかり……?」

「神産みの土地ってところに星空から落ちてきた。俺は食事の神なんだ」


 嘘偽りなくそう伝える。

 そう伝えるとコムギは言葉の意味を数秒間咀嚼し――そして、両手で意味不明の動きをした後、一房のアホ毛をぴんっと立たせて口を半開きにした。


 ……いや、うん、大きなリアクションが返ってきそうだなっていうのは予想していたけど――俺としては、そのアホ毛がどうなってるのかそろそろ知りたいところだ。

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