第37話 堕ちた神

 堕ちて反転した食事の神。


 そんな言葉を耳にし、俺は何度も目を瞬かせた。

 なにせこの俺が食事の神だ。何をどうしたって堕ちてないし、数億年前に来たわけでもない。

 そもそも「反転した」とは一体何を指しているんだろうか。


 そう思っていると、ロークァットはその沈黙を俺が理解できていないからだと受け取ったのか「神が実在するのがそんなにおかしいか?」と見当違いな理由で嘲笑った。


(いや、だから俺なんだが……もしかして食事の神に先代が居たとか?)


 夜の女神であるスイハ曰く、何かを司る神は必ず一柱ずつだという。

 ただし世代交代はあり、交代すると前代の神は力を失う。それが死を表しているのか人間のようになることを指しているのかは聞いていないためわからない。

 しかも彼女は神産みの土地で俺と初めて会った時、食事の神を初めて見たと言っていた。

(ただもし神に世代交代があるなら、スイハが比較的若い神で過去にいた食事の神を知らなかった……って可能性はあるな)

 さすがに在任期間を訊くほど親しくはならなかったからわからないが、可能性としては十分ある。

 ロークァットは封印されていたと言っていたから、もしかして長い間封印されていたせいで『食事の神に該当する者がいない』と認識されて俺が新しい食事の神として選ばれたんだろうか。

「……神が実在するのは疑わない。けど堕ちて反転したってどういう意味だ?」

「万物のそれぞれを司る神々はいわばその万物から管理を任された者。例えば畑の神は何らかの形で畑と関わることで存在を許され、花の神は花を管理し育む等をし関わることで存在を許される。その責務を果たさなければどうなると思う?」

 神の座から堕とされるんだ、とロークァットは言った。

「しかし消えるわけではない。今まで自分が司っていたものを祟るような存在となる。天はそれすら……善悪どちらであろうが自然の一部として受け入れているのか、堕とした後は何もしない。しかし他の神々の中には都合が悪い者がいた」

 それらが集まって堕ちた食事の神、つまり最高位の神を封じたのだとロークァットは言うのだ。

 もしそれが本当なら、この王子はとんでもないものについて話してるんじゃないか。ようやく俺は現実味を伴ってそう思えた。

「古い文献に僅かな記述が残っているだけだがな。だが私は信じることにした。なにせ――」

 ロークァットは美麗な、しかし作り物のような顔で続ける。


「――反転した食事の神が封印されている魔法陣。それが描かれた石板を手に入れたからだ」

「……!?」


 隣でコムギが肩を震わせた。

 食を尊ぶ世界では『堕ちた食事の神』は邪神のようなものらしい。

 ということは……


「自分が司っていたものを祟る……反転っていうのはそれを指してるのか」


 そう訊ねるとロークァットは頷いた。

「食事の神は食べ物を大切にすることや何かを食べる……食事をすることで存在できる。司る神の居る物事や事象は安定し人間も暮らしやすくなると言われているが――私はこの世界の秩序を壊したい」

「だから反転したっていう食事の神を復活させて、この世界の食事を……食べることを、フードファイト文化ごと祟らせる、と?」

「やっと理解したな。封印は解けかけているが、最後の一歩がどうしても進まん。そこで」

 ロークァットはコムギを見る。

「巫女に食事の神を呼ばせ、封印を解こうと考えている」

「そん、な……」

 コムギは震えた声を振り絞って言った。

「それはフードファイトだけじゃなくて、食べる行為そのものが壊されてしまうんじゃないですか……!?」

「少なからず犠牲は出るだろうな」

「き、協力できません!」

 決定権はそちらにはない、とロークァットは冷ややかな視線を寄越す。

 その視線を遮るように俺はイスから立ち上がるとコムギの前に出た。


 自分が今の食事の神だ、と名乗り出るのは得策じゃない気がした。下手をすればロークァットに殺されかねない。……人間が神を殺すすべを持っているなら、だが。

 ただ、もしそんなことの片棒をコムギに担がせようとしているなら何もかも食べ尽くしてでも止めてやるぞ、と。

「……」

 そんなことを考えたところでハッとした。

 これは脅しに使った時とは違う、本気の考えだ。

 つまり食べることをフードファイト的な意味ではなく、暴力的な意味で武器に使おうとしたわけである。


(これは……なんか違うな。違う。食事の神としてやっちゃいけないことだ)


 自分が楽しんで出来るならいい。フードファイトもそうだ。

 しかし邪魔をしてくる人間を食べ物として見て、これっぽちも楽しくないのに食べることで排除しようっていうのは――食事に対して失礼だと感じた。

 俺がそんな葛藤を抱えたまま睨んでいると、ロークァットは鼻で笑って部屋の出入り口に向かった。

「今すぐ答えを出さずともよい。だが訳あって邪魔者が王都へ帰る前にかたをつけたくてな、三日後までには心を決めてもらおう」

 断ってもこう言うってことは、嫌でも決めざるを得ない状況に落とし込むつもりなんだろう。

 未だ敵意を向けている俺を一瞥し、ロークァットは部屋の外へと消えていった。

 後に続いたタージュがドアを閉める際に目が合ったが、特に言葉を交わすことなく終わる。

 一気にシンと静まり返った部屋の中でコムギは両手で顔を覆った。


「……すみません、シロさん。こんなことに巻き込んでしまって……」


 その言葉に俺はぎょっとする。

「謝らないでくれ、コムギは何も悪くないぞ」

「でも私と一緒にいたせいで巫女の護衛だなんて勘違いをされて……」

「いやまあそれは勘違いなんだが、けど本当にコムギは悪くない。……ミールさんも心配してた。村の人たちもだ。俺がなんとかするから、元気な顔で皆の元に帰ろう」

 けれど、と言葉を重ねようとするコムギに俺は言った。


「俺はな、どのコムギも好きだけど笑ってるコムギが特に好きだ。つらい時は無理に笑わなくていいけれど、立ち直るためならいくらでも支える気でいるってことは覚えておいてくれ」

「シロさん……」


 コムギはしばし目を瞬かせた後、ほんのりと頬を染めて「はい」と頷く。


 ……。


 うん。

 ――なんだかどさくさに紛れてとんでもないことを言ってしまった気がするが、コムギの笑みを見ていると撤回する気にはなれなかったのだった。


     ***


 監禁一日目。

 驚いたことに食事として出されたのは簡素なパンと何も入っていないスープだけだった。

 驚いた顔をしたコムギは長いアホ毛を萎れさせる。

「そんな、罪人ですら食事だけはきちんと取らせてもらえるのに……」

 日本でもそうではあったが、ここの場合は人権より食事を優先してる気がした。

 たしかにおかしい世界だとは思うけれど、だからって壊していいものじゃない。――ロークァットにも何かあったのかもしれないが。


「コムギ、けどこのパン美味しいぞ。ちょっと固くなってるけどスープに浸せば気にならないし、ほら、スープの少し塩味のある味も合うんだ」


 俺はスープを吸ったパンを頬張ってみせる。

 これだけで三分の二がなくなってしまったが、味の感想は演技でもなく本心だ。

「……! 本当ですね。それに……やっぱり誰かと一緒に食べるって、いつもより美味しく感じます」

「同意見だ。――捕まってる間は? ちゃんと食べれてたか?」

 そう訊ねるとコムギは少し申し訳なさそうな顔をした。

「初めはなかなか食事が喉を通らなくて……けどシロさんのことを思い出して、食事は美味しく食べようって思ったんです」

 アメリアって子も元気付けてくれたんですよ、とコムギは笑った。

 あの金髪の女の子だろうか。あれから姿が見えないが……名前からしてタージュの関係者かもしれない。そういえば髪も目も少し色合いは違うものの近い色だ。

「シロさん、離れ離れだった間のことをお互い話しませんか?」

 コムギはおずおずと訊ねる。

「私、まだ混乱していて……本当はここから逃げ出す方法を探さなきゃいけないと思うんですけど、少し話したいんです」

「ああ、もちろん良いぞ。それにこの部屋の壁や窓は消化できなさそうだしな」

「……?」

「ああいや、こっちの話」

 思わず呟いてしまったが、そう、この部屋には鉄が惜しげもなく使われていた。

 見た感じ建築には石や木が使われている世界だったが、貴重ながら製鉄技術はあるらしい。

 そんなものが使われているということは、それだけ重罪人を閉じ込めておく部屋なんだろう。


(俺なら石なら消化できる気がするけど、鉄はさすがにな……)


 それに試してみるだけでもコムギに俺が人ならざるものだとバレてしまうだろう。

 コムギになら話してもいい。

 そう思っているが、今ここで話したとして、もしコムギにとって受け入れがたいことだったら心労を増やすだけだ。それだけは避けたい。



 コムギの提案を受け入れた俺はテーブリア村での出来事や皆の見送り、サーカス団での生活や王都に着いてからの話を掻い摘んでした。

 コムギは拐われた時のこと――森で魔馬に乗った人間、恐らくロークァット本人に捕まり意識を失い、次に目覚めた時には見知らぬ部屋に閉じ込められていたこと、そしてアメリアという世話係の女の子と食事をしたことや色んな話をしたことを話す。


 タージュのことがあるからアメリアのことも信じきれなかったが、理由もわからず一人でこんな場所に連れて来られたコムギの心の支えがあったことは素直に嬉しかった。

 と、そこで件のタージュについて言及される。

「タージュさんは、その、殿下側の人だったってことですけれど……旅の間にシロさんの支えになってたことは本当のことですよね」

 裏切られたのはつらいかもしれないけれど、少しの間でも支えがあったことが嬉しいです、とコムギは言った。

 それと同時に俺は笑う。

「えっ、えっ、何かおかしなこと言いました……!?」

「いや、その、ついさっき俺がコムギとアメリアって子に思ったことと同じすぎて……」

「! そ、そうだったんですか」

 照れた様子でコムギも笑った。

 そしてコムギはそっとこちらを見る。

「シロさんは……タージュさんのこと、どう感じてますか?」

 答えにくかったら明日の朝ご飯の話をしましょう、と言うので俺は「あとで朝ご飯の話もしよう」と前置きして口を開いた。


「正直言うと、今でも信じたい気持ちがあるんだ。少しじゃなくてかなり沢山。けど……」

「けど?」

「ロークァットの片眉を上げる癖を見たか? あの癖、思い返せばタージュさんもしてたんだ。そりゃ個人固有の癖ってわけじゃないだろうけれど……」


 俺は夜の見張りをしていた時、焚き火を前にしてタージュと話したことを思い出す。

 尊敬してて何としてでも役に立ちたい人。

 きっとあの話は本心だ。そしてそれだけ心寄せる人なら癖が移るのも頷ける。だからこそ。


「……あれを見た瞬間、ああ、この人はあっち側の人間なんだなって思い知って言葉が出なくなった」


 信じたい気持ちはある。

 どうにかしてサーカス団に戻ってくれないかと、そんな勝手な願いが湧いてくるほどに。

 けれどきっとそれは無理な話なんだろう、と俺はあそこでようやく実感したわけだ。タージュは同行していた間に俺の様々なことを調べていたに違いない。こちらを見ていることが多かったし、不思議な行動もあった。

 それでも信じたいなんて滑稽だよな、と続けかけたところでコムギがぎゅっと両手を握った。

「裏切られたからって信じちゃいけないなんて、そんな決まりありません」

「コムギ……」

「あんな仕打ちをされても、シロさん本人が信じたいなら信じていいんです」

 コムギは力強い声で言う。

「まずは殿下がどうしてこんなことをしようとしているのか……フードファイトをあんなに嫌っているのは何故なのか、その理由を知って、そしてタージュさんはどういう気持ちで従っているのか、それをはっきりさせましょう。私たちの答えを決めるのもその後でいいと思います」

「……そう……だな、色んなことを説明されたけど肝心なところが抜けたままだ」

 タージュを信じたい気持ちも理由をすべて知ってからどうすべきか決めるべきかもしれない。今はただひたすら宙ぶらりんなままだ。

 俺は頷くとコムギと共に「次に二人に会ったら答えてくれるまで問い続けてみよう」と決めた。


     ***


 しかし――監禁二日目の朝。

 前日のパンとスープから俺とコムギには一食も出されることはなかった。


 もしや『嫌でも決めざるを得ない状況』っていうのはこういうことか?

 食事を交渉の道具に使われている気がして良い気分じゃなかったが、更に気分が悪い理由は他にあった。

 この世界に生まれ変わってから初めて感じる飢餓にも似た空腹だ。

 あまりにも腹が減るのが早い気がする。今まで食事に困ることがなかったから気づけなかったが、もしかして俺は物凄くコスパが悪いんだろうか?

(それに……この感覚は、なんというか……)


 前世で死んだ時のことを思い出す。


 俺にとってはトラウマだ。

 暗い山の中、虫やよくわからない動物の声を聞きながらこれ以上闇に慣れない目をゆっくりと動かし、辺りを何百回と確認するも助けてくれる人の姿はない。

 そんな中で胃が痛くなるほどの空腹を何度も何度も何度も感じて、最後には何も感じなくなった。

 あの飢えを、痛みを思い出して体が震えそうになる。

(最後に――そうだ、最後に家族で一緒にご飯を食べたかったなと思って、……)

 その時に自分の一番の好物を食べたいと願ったんだ。

 それが何だったか思い出せずにいる。


「シロさん、大丈夫ですか?」

「……あ、ああ、大丈夫。いやー、ここしばらく酷い空腹なんて感じてなかったから辛抱が効かなくなってるなぁ」


 コムギの心配の声に答えながら俺は横になっていた体を起こした。

 同時に腹がぐうと鳴り、そのまま尾を引くように長々と音を鳴らし続ける。

 コムギはキッと眉を寄せるとドアに近寄り、ノックをしながら外へ声をかけた。


「誰かいませんか! 見張りの人とかいますよね! 食べ物を与えずに選択を迫るなんて卑怯です! せめてシロさんには何か食べれるものをください!」

「コムギ、大丈夫だから落ち着いてくれ。今は体力を……」


 コムギは泣きそうな顔で振り返る。

「……私、お腹を空かせてるシロさんを見たくないみたいなんです。美味しいものを楽しく食べてるシロさんが好きなんです」

 だから、と俯くコムギに俺は笑っているコムギが好きだと口にしたことを思い出し、そして今まさに俺の身を案じている彼女を見て――唐突に理解した。


 タージュとしていた、恋愛的な意味でコムギが好きなのかどうかという話。


(ああ……うん、俺はこの子が心底好きなんだな)

 その話に、今ならはっきり答えられる気がした。

 俺は視線を下ろすと自分の腹を撫でる。今は少し静かにしててくれよ。


「なあコムギ」

「はい! 空腹を紛らわせるのに手伝えることがあればなんでも――」

「俺さ、コムギのことが好きなんだ」

「す」

「好きだし大切だ。だから世界の秩序を壊すための計画に加担させるなんて絶対にさせたくない。……タージュさんを信じるかどうかの話とは別に、二人に伝える答えは決めた」


 初めから決まってたようなもんだけど、と俺は笑った。

 どんな理由であれ、俺はコムギの手を汚したくない。

 だからやっぱりどんなことがあっても断る。

 そのためなら飢餓への恐怖も、今感じている空腹も我慢してみせる。そう心に決めて言った。

「だから心配しないでくれ。少しコスパの悪い体みたいだけど、まだ我慢はできるからさ」

「……」

「その代わり帰ったらさ、色々ご馳走してくれないか? その約束があれば俺は我慢するのは苦にならない。だって……」

 俺は極力苦しくなさそうな笑みを浮かべ、コムギの小さな手を握る。


「ご褒美として好きな子の手料理を食えるなんて、むしろ自分から望んでお願いしたいくらいのものだろ?」


 コムギは視線をあちこちに向けた後、俺を見上げてそうっと頷いた。

 わかりました、と。それと。

「あの、あの、わ……わた……私も、好きです」

「……」

「き、きっとシロさんと同じ意味で……あっ、シロさんと同じ意味です! きっとじゃないです! ええとっ……」

 真っ赤になって狼狽える姿を見て俺は笑う。

 いや、多分コムギに負けず劣らずな頬をしてる気はするんだが、今は気にしないでおこう。

 大丈夫、わかってる、と伝えて俺はコムギの目を見た。

「落ち着いたら俺について話したいことがあるんだ。コムギには知っててほしい。……今までもそう思ってたけど、今は更に強くそう思うから」

「シロさんについてのお話……?」

「うん、なんでテーブリア村に訪れたのかとか、俺が何なのかとか、……昔のこととか色々」

 コムギはそれをじっと聞いた後、黒髪を揺らして再び頷いた。

「シロさんにとって言いづらいことだから黙ってたのかな、ってずっと思ってたんです。でも、もし聞かせてもらえるなら――絶対に最後まで聞きますし、受け入れます」

 だから安心してください、とコムギは目を細めて笑う。

 そうして俺を見上げたところで、何を見つけたのか目を丸くした。

「……? あれ……?」

「どうした?」

 何か頭に付いてたんだろうか。

 そんな状態で告白とか恥ずかしいな、と少し戸惑っていると、コムギはそれ以上に戸惑った声音で言った。


「シロさんの髪の毛先、黒くなってませんか……?」


 そう、予想外のことを。

 俺は鏡で見た今の自分の姿を思い出す。

 真っ白な髪に緑の瞳。それが今の俺の姿だ。黒い色はひとつもなく、その色を持っていたとすれば前世だけ。

 毛先を摘まんで目前に持っていけるほどの長さはないため、一本だけ引っ張って抜くと――たしかに毛先だけ黒くなっていた。まるで毛を傷めずに焦がしたかのようだ。

 何だこの現象? と俺は首を傾げる。

 コムギと同じ色になるのは歓迎だが、染めているわけでもないのに根元からではなく毛先から色が変化するというのがよくわからない。


 二人で顔を見合わせていると、それまで黙ってくれていた腹が再びぐうと鳴った。

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