第29話 食事は全ての生物に平等だ

 ――食べ物あるところに奴らの影あり。


 神気を使うことで動物と意思疎通をはかれるようになった俺は、その力を活かして料理屋の路地裏に住むネズミたちに協力を仰ぐことにした。

 ネズミなら人間では潜り込めないところに侵入して情報を得られるだろう。

 そう、例えば城とか。


 壁に開いた隙間からこそこそと出入りしていたネズミに声をかける要領で神気を触れさせ、頼みごとをしたい、と伝えた。

 ネズミたちは驚いた様子を見せたが、本能的に俺が人間ではないことを感じ取ったのか神気を嗅ぎながら顔を上げる。


『いいにおい』

『なに? たのみごとなに?』


 あの大きな建物――城に忍び込んで、どこかに黒い髪に青い目、そして褐色の肌と一本だけ長く飛び出した髪を持つ人間の女の子がいないか探してきてほしい、と俺は神気で伝えた。

 ネズミたちはお互いに鼻を突き合わせ、ヒゲをぴくぴく動かしながら答える。


『いいけどなにかほしい』

『たべものほしい』

『ほしい』


 なるほど、頼み事をするなら対価が必要だよな。

 俺はわかったと頷くと一旦表の通りに戻り、ふかふかのパンを買ってネズミたちのいる路地裏に戻った。焼き立てではないが良い香りのするパンで、一抱えほどある大きな食パンといった見た目だ。

 外側は少し固いディニッシュ生地だったが、内側は軽い力でふんわりとむしれるくらい柔らかい。摘まんでへこませると香ばしくも甘い香りが増した。


 俺はネズミたちの傍らに腰掛け、食べやすいよう千切って渡す。

 そして一切れだけ取っておき、自分もそれを頬張った。


「お前らには多いからわけっこだ、いいだろ?」


 神気に乗せつつ自分の声で語り掛けると、ネズミたちは心底不思議そうにした。

 実際には見えないが頭の上にクエスチョンマークが浮かんでそうだ。


『へんなやつ』

『われわれとなにかたべる、みんないやがるのに』

『おれたちがたべてるところ、みてていやなきもち、ならないの?』


 俺は「大丈夫」と首を縦に振る。


「衛生面や気分の問題はあるけど、それは君らが何かを食べることとイコールじゃない。別問題だ。俺は誰かが生きるために何かを食べる行為そのものをやめろなんて思わないよ」


 ネズミたちはしばらく黙っていたが、俺の言葉を聞くと皆してパンを囲んで食べ始めた。

 俺も口の中のパンを咀嚼する。

 噛んでいる内に甘みの増すパンは焼かずとも美味しいものだった。サンドイッチにも合いそうだ。チーズの酸味と合わせてみたい――と思っていると、路地の奥から出てきた男と目が合う。

 男にはネズミと一緒にパンを食う奇特な人物に映ったのだろう、明らかに表情を歪められた。


「餌付けでもしてるのか? ネズミなんかにやるなんて勿体ねぇなぁ」

「そんなことない。少なくとも俺にとって食事は全ての生物に平等だ」


 変な奴、と先ほどのネズミと同じ感想を口にしながら男は表通りに出ていく。

 ――食事や食べ物の価値は人それぞれだろう。

 男の価値観も一般人のものから逸脱はしていない。だから否定はしないけれど、俺は俺の主張だけはしっかりと口にしておいた。

 ああいった価値観の人から見ればネズミにパンを与えるのは勿体ないのだろうし、食べ物を粗末にした、と感じるのかもしれない。


(でも、今この瞬間の食事はこいつらが生きるためのものだ。無駄にしてるわけじゃない)


 ただまあ、悪目立ちしないようにもうちょっと柔らかく言えばよかったな――と思っていると、ネズミたちがこちらを見上げているのに気がついた。


「どうした? まだ足りなかったか?」


 ネズミたちは『だいじょうぶ』『もうはらいっぱい』と答える。

 満腹なのはいいことだな、と笑っているとネズミたちは続けて言った。


『わたしたち、あなたにきょうりょくする』

『ちゃんとしらべてくる』

『ほんとはたべたらにげよっかなーっておもってた』

『でも、おまえいいやつ』


 だからがんばってくる、と神気越しに伝わってきた。

 逃げるつもりだったのか……逞しいな……。

 でもこれくらいでなきゃ生き抜けない環境なのかもしれない。俺は改めてネズミたちにコムギ探しを頼んだ。


「そうだ、もし何かわかったら俺が定期的にここへ来るから、その時に――」

『それ、むだ』

『においたどっておまえのところ、いく』


 だから動き回ってもいいし巣に戻ってもいい、とネズミたちは言った。

 なんか思ってた以上に超有能なスパイじゃないか……?

 なんにせよありがたい。もし城にコムギがいれば侵入する準備も必要だ、その準備を調査も兼ねて前もって少しずつ進めておきたかったから、行動が制限されないのは都合がよかった。


「……俺はシロ。色々終わったらまた一緒に美味いもの食おうな」


 そう笑みを向けて誘うと、ネズミたちは初めて生の声でちゅうと鳴いた。


     ***


 ベッドシーツを抱えて廊下を移動する。

 コムギさんの部屋のベッドメイクが終わって、今から洗濯に向かうところだ。


 あれからコムギさんは私と一緒に食事をすることで大分食べれるようになっていた。やっぱり精神的な問題が大きかったらしい。

 そして美味しいもので栄養補給ができたら、次は良質な睡眠だと私は思う。そのためにはベッドを快適に保たなくちゃ。


 少しでもコムギさんが暮らしやすくなるよう頑張ろう、と張り切っていると――廊下の曲がり角から声がした。

 独り言ではなく話し声だ。


(……っえ、殿下……?)


 私は足を止めて狼狽える。

 この声はフルーディア王国の第二王子、ロークァット様のもの。

 つまり私にコムギさんのお世話を命じて……そのコムギさん自身をどこからか連れてきたお方、だ。

 洗い場に向かうには向かいの丁字路を左折しなきゃいけないのだけれど、声は右からしていた。高い確率で目に入るか気取られると思う。


(うーん、遠回りになっちゃうけどここは別の道から……、……?)


 会話に混じる聞き慣れた声。

 その声を聞いた瞬間、私は思わず気配を殺して聞き耳を立ててしまった。


(この声、間違いない。お兄ちゃんだ!)


 私にはアメリオという双子の兄がいる。

 長らくロークァット様の側近をしていたのだけれど、しばらく前に側近もろとも数人の付き人が首を切られたと聞いて心配していたのだ。

 ロークァット様がなぜ突然そんなことをしたのかはわからないけれど、とても有能な方だから何かお考えがあってのことだろう、とみんな噂していた。


 首を切られた後のお兄ちゃんの行方はわかっていなかったんだけれど――ここでこうして話してるってことは、もしかしてお兄ちゃんだけは首切りを逃れられてたのかも。

 もしくは再度指名されたとか。何にせよ無事だったなら嬉しい。

 そう思っていると曲がり角の向こうで兄の声が言った。


「――報告は以上です。如何しますか」

「正体についてはまだ確定ではないが……だいぶ人間離れしているようだな。ならばこちらも本物である可能性は高い」

「つまり」

「料理について検証の後、準備が整い次第儀式を行なう」


 儀式……?


 なんとなくコムギさんの顔が浮かび、来賓をもてなす儀式でもあるのかな、とよくわからない情報を繋ぎ合わせて思う。けど何だか違う気がした。

 しかし疑問に思っている間に足音がこちらに近づき、二人が解散したことに気がつく。

 私は慌てて手近な部屋が空室なのを確認して隠れ、足音が遠のくのを待って顔を出した。


(足音は一人分だった……お兄ちゃんは?)


 そわそわしながら丁字路に向かう。


 左は私が向かいたかった方向。

 長い廊下が続いていて、その先には誰もいない。

 ドアを開け閉めした気配もなかったし、次の曲がり角までそこそこ距離があるのでこちらに向かったわけではなさそうだ。


 そして右側を見て――私は「ああそうだ」と思い出した。

 右にあるのは窓だけ。

 そこには誰もおらず、窓から外を覗いても遥か下に地面があるだけだった。


「……お兄ちゃん……?」


 なぜか不安になって呼んでみる。

 しかし、案の定私に返事をしてくれる懐かしい声は聞こえなかった。

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