第18話 行方不明のコムギ

 その日は朝から小雨が降っていた。

 雨せいか普段よりも肌寒く、少し分厚い服を着て店内を掃いていた俺にコムギが声をかける。


「シロさん、ちょっと森に出掛けてくるんで一時間ほどウェイターをお願いしてもいいですか?」

「いいけど……森に? 強くはないけど雨降ってるぞ?」

「それが、今日の午後に予約の入ってる料理があるんですが、そこに使う香辛料の一部が切れてて。たしか森に自生していたはずなんでちょっと見てきます」


 なるほど、そういうことならと俺は快諾した。

 基本的に俺の仕事は掃除や裏の畑の世話、時々頼まれる手伝い類と用心棒だったがウェイターも出来なくはない。忙殺されている時に何度かやったことがある。

 誰か追加で雇ってもいいと思うんだが、暇な時はとことん暇なんで迷っているらしい。

 コムギは採取の準備を整えると「ではいってきます!」と出ていった。


 ちなみにこの世界で傘は高級品――というか需要があまりないため贅沢品のような扱いで、一般家庭にはほとんど置いていない。


 需要がないのは傘を持ち歩く習慣がないからだ。

 この辺は前世の海外に似ているかも。濡れるのは当たり前で、多少の雨ならそのまま外出するし、あったとしても蝋で加工したフード付きのローブ……レインコートのご先祖様みたいなものを使う。

 コムギは後者を着ていった。

 一時間ほど、って言ってたから時間がかかるからだろう。


「しかしこんな日に雨とはツイてませんね……」

「ツイてない?」


 まだ店内に客がおらず、食器洗いや調理器具の整理を手伝っているとミールが残念そうに呟いたので俺は首を傾げた。


「おや、てっきりもう知っているものかと。昨日テーブリアに旅の一座が到着したんですよ、たしか名前はタバスコメントサーカスだったでしょうか」

「なんか凄い名前ですね……!」


 どうやらそのサーカスの開催日が今日だったらしい。

 ここは小さな村なのでショーをするのは一日だけ。しかしあいにくの天気になってしまった。

 あまりにも荒れていない限りは雨天決行だとミールは聞いていたそうなので、もしかするとサーカスに客は入っているかもしれないが。


「けど、こんな昼間からサーカスを見に行く人なんてこの村には、……」


 俺はフードファイトに群がる村人たちを思い出した。

 ビズタリートの時は強制だったそうだが、その他のフードファイトで人だかりができる時はすべて村人たちの意思によるものだ。そして大抵は毎回できる。

 ミールもまったく同じものを思い浮かべたのか、軽く咳払いをした。


「……結構いるかもしれませんね」

「ですね……」


 しかしたしかに残念だ。

 晴れた天気の下でサーカスをコムギと見に行けたらきっと楽しかっただろうに。

 いや、雨の日だからこそ客足が少ないタイミングで覗きに行けたかもしれない。うわ、そう考えるとかなり残念に思えてきたぞ!


(うーん、コムギが戻ってきたらダメ元で誘ってみようかな)


 念のためミールに訊ねてみると「予約は一件のみでお客さんもほとんどいないですし、良いと思いますよ!」というお墨付きをもらった。

 働きづめの娘にも娯楽を、という父心かと思ったが、行くとなったら店じまいしますよとわくわくしていたので自分が見に行きたかっただけの可能性も浮上した。


(いや、うん、けどミールさんにも休日は必要だよな)


 食事処デリシアは臨機応変に店じまいするものの、基本的には毎日営業しているタイプの店だ。決まった休日はない。

 いくら自由にクローズド出来るとはいえ、仕込みもあるし料理人のミールは大変だろう。朝も三人の中で一番早いし、寝るのも一番遅い。


 俺はタバスコメントサーカスにコムギを誘うのを楽しみにしながら皿洗いを続けた。

 しかし皿洗いが終わり、掃除が終わり、予約の時間の三十分前になってもコムギは戻らず――結局、香辛料は他の似た香りと味のもので代用することになったのだった。


     ***


「誠に申し訳ありません、メニューの香辛料からこちらの香辛料に変更することになりまして……」


 現れた予約客、男女二人ずつの四人組にぺこぺこと頭を下げながらミールが謝る。

 人の良さそうな四人は「いやいや、これも美味いっすよ! むしろ好き!」とミールを宥めながら笑ってくれた。

 どうやら旅人みたいだが、どこか花があるっていうか……煌びやかで溌溂とした印象のある人たちだ。

 荒くれ者かどこか疲れた様子の旅人が多かったから、こういうタイプは珍しい。


 四人の前に並べられた料理はどれも美味しそうで、調理段階からとても良い香りだ漂ってきていた。

 特にトマトソースを使った手打ちパスタが色も綺麗で目を奪われる。

 そのパスタに使うはずだった香辛料が無く、代わりにローリエになったらしい。ローリエでも十分すぎるほど合うのは口に含まなくてもわかった。


 謝罪を終えたミールは俺に駆け寄ると小声で言った。


「シロさん、お店は私一人で大丈夫なのでコムギを探しに行ってもらえないでしょうか?」

「わかりました。どこかで怪我でもしてたら大変ですしね……!」


 俺は快諾して外へと出る。

 コムギが出先で狩りに夢中になりすぎたり、急な手伝いで遅くなるってことは何度かあった。今回もそのパターンかもしれないが……。


(客を待たせたまま、っていうのが引っかかるんだよな)


 遅くなっている間に訪れた客を待たせてしまった、ってことはあったけれど事前に来るとわかっていた客を待たせたことはない。その辺りはきちんとしている。


 俺は違和感と焦燥感を同時に感じながら店から出ると、まずはコムギが向かうと言っていた森に向かって走り始めた。

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