第16話 【番外編】シロ、野菜を育てる
「野菜の種……ですか?」
ある日の朝、思い立って「なにか育てやすい野菜の種はないか?」と訊ねるとコムギはきょとんとした顔でそう聞き返した。
「ああ、ここって村の大半が生産者だろ? 手塩にかけて色んなものを育て上げてる皆を見てたら俺もなにか育ててみたくなってさ」
「なるほど……」
店の裏にある畑の世話はしているが、それはあくまで食事処デリシアの畑だ。
植えられているものは店で提供するために共同で世話をしている。特に後から畑に植え直すタイプの場合、種から苗まで育てる段階はミールの役目だった。
でも俺も自分の手で一から作物を育ててみたいと思っていたんだ。
その気持ちを汲み取ってくれたのか、コムギはにっこりと笑うと質問に答える。
「もやしですね!」
「簡単度合いが予想以上!!」
いやもうちょっと!
もうちょっと手間のかかるものがいい!
わがまま言って申し訳ないけど!
そう懇願するとコムギは「うーん」としばらく考え込み、長いアホ毛を揺らして再び答えた。
「今の季節ならオクラはどうでしょうか?」
「オクラ?」
そういえばスーパーで購入する野菜って印象が強かったけれど、家庭菜園の本でチラッと見かけた気がする。
もちろん前世でのことだからこの世界でも同じ手法で育てるのかはわからないが、久しぶりにあの歯ごたえとねばねばを味わいたくなった俺は二つ返事で頷いた。
***
オクラは種から植える場合、固い殻をふやかしたりと一手間加えることがあるそうだが、今回は店が世話になっている野菜農家から苗を分けてもらうことができた。
厳密に言うと一から自分の手で……ということからは遠退いてしまうが、時期的に種からよりこっちの方がいいと勧められたので先輩方の言うことをきこうと思う。初めが肝心だ。
今回無事に育って種が採れたら、次はそれを使って育ててみたいな。
収穫は畑に移してから二ヶ月ほどかかるらしい。
「二ヶ月か~……」
いくら簡単だと言われている種類でも、やっぱり野菜を育てるのって大変だ。
それを噛み締めながら、俺はオクラの苗のそばにそっと八の字型の支柱を立てた。
植えたばかりの頃は水を多めに。
コムギに訊ねたところ、どうやら植えてすぐは苗が土に馴染んでいないため水分の吸収が悪いらしい。
そして馴染んでからも水やりはこまめにやるから思っていたよりも手がかかる。
加えてアブラムシ等の害虫対策も大切だ。
他の作物の世話もある上にフードファイトの助っ人や用心棒業が忙しい時は特に大変だったが、農業を本業にしている人たちよりはきっと楽だろう。
「シロさん、ちょっと休憩しませんか?」
よく冷えたお茶を持ってきてくれたコムギにお礼を言って一気飲みする。
今日は少し暑いから格別だ。
「やっぱりオクラの世話、大変です……?」
「ん? いや、世話そのものは他の作物と似たようなものだから大丈夫。……でも農業をやってる人の大変さが改めてわかったよ、これを何倍も広い畑でやるんだから朝早くから何時間もかかるはずだ。そんな苦労をして初めて安定した量の美味い野菜ができるんだな」
「ふふ、そう言ってもらえたらみんなも嬉しいと思います」
正直な気持ちで感想を述べるとコムギまで嬉しそうに笑った。
「これって種も撒いてから発芽までは結構かかるのか?」
「たしか一ヶ月くらいですかね……。あっ、もしかして」
質問を聞いたコムギはハッと顔を上げる。
察しが良いな、と俺も笑った。
「次は種から育てたいなって思ってるんだ。ま、まあ、これが成功してもいないのにこんなこと言い出すのは気が早いんだけどさ」
「そんなことありませんよ! 目標を持つっていうのは大切なことですから。あの……私も応援してますね、シロさん!」
俺は嬉しい気分になりながら頷いた。
オクラをしっかりと育て上げたいという気持ちと同時に、この期待にも応えたいという気持ちが湧いてくる。
あともう少しだ、頑張らなくちゃな!
***
そうして時は経ち――俺の目の前に姿を現わしたオクラの花は想像していたよりも綺麗なものだった。
植えて一ヶ月と少し。1メートル以上に成長したオクラは暖かな風を受けて、葉と花をさわさわとざわめかせている。
「えっ、この花も食べられるのか!?」
コムギから話を聞いた俺は思わず仰天した。
黄色い花はどうやら食べられるらしい。開花している期間は短いが、実を結び最後には食べられるなんて素晴らしい作物だ。
葉っぱもどうにかして食べられないかな? と思ったものの、これはコムギに止められてしまった。惜しい。
「花をもっと美味しく食べるための品種もあるってパパが言ってましたよ」
「へえ! 加食部分が多いのって良いな……俺が作ったこいつらの花も食べられるわけか」
「もちろんです。蕾を天ぷらにしたり花をサラダやおひたしにしたり……あっ、ハムとか味の濃いものを巻くのもいいですね!」
コムギの発案に思わず俺の腹がぐううっと鳴った。
期待が胃に直結してるのが少し恥ずかしいが仕方ない。
花は沢山ついていたので、そこから蕾と開花した花をいくつか頂戴して夕飯にしてもらった。
短い期間しか味わえないものだ。
そのことに感謝しながら食べてみると、実と同じく僅かに粘り気を感じられた気がして物珍しさからすぐにすべて完食してしまった。
開花してからは早い。
五日ほど経った頃に実ったサヤは見慣れたオクラの形をしていた。ちょっと歪だけど。
追肥もしっかりしたおかげか瑞々しく実った――と思うのは自画自賛かもしれないけれど、今だけは許してほしい。
成長具合にはバラつきがあったため、一番育っている若いサヤをいくつかチョイスして収穫した。どうやら成長しすぎると固くなってしまうらしいので明日には追加の収穫をしよう。
「ミールさん、宜しくお願いします!」
「大丈夫ですとも。シロさんが丹精込めて育てたオクラ、このミールがしっかりと調理させていただきます……!」
がしっ、と手を組み合った俺とミールを見てコムギがくすくすと笑った。
まるで娘を嫁に出すみたいだ、という理由らしいがまさしくそんな気分なので間違ってはいない。
――それから一時間ほど。
そわそわしながらテーブル席についていた俺は「お待たせしました!」と現れたミールを笑顔で出迎えた。
俺のオクラが使われたのは花と同じく天ぷら、そのままカットし生の粘り気を楽しむもの、そしてオクラをあえたパスタとベーコン巻き。
パスタのオクラはやや大きめにカットし、輪切りとはまた違った食感が楽しめるようになっている。味付けは柚子胡椒。和風な雰囲気で美味しそうだ。
「オクラ入り味噌汁や納豆とあえたものも試してみたかったんですが、今回はこのメニューにしました。あと試してみたいのは……」
「試してみたいのは?」
「オクラのピクルスですね」
オクラでもピクルスが作れるのか! と俺は好奇心と食欲で目を輝かせる。
その様子にミールとコムギ父娘は同じ表情で笑った。
「次の収穫も楽しみにしてますよ、シロさん」
「ありがとうございます、ぜひ楽しみにしててください! ……あっ、そうだ」
俺はおずおずと二人を見て言う。
「俺じゃ『食べきれない』んで――ふたりとも、一緒に食べませんか」
そんな天地が引っ繰り返ったようなセリフを聞き、静かな笑みとは打って変わって噴き出したふたりは「はい!」と嬉しい返事をしながら同じテーブルを囲んでくれた。
***
――翌日。
昨日はまだ若すぎたオクラもすくすくと育ち、それを追うオクラも将来性のある良い成長っぷりだった。こうしてこれまでの努力を形として見ることができるのって健康にいいな。
この場で齧ってしまいたい衝動に駆られながら茎を摘まんだところでハッとした。
(そういや俺の神気って……動物には誘引しちゃう影響があったけど、植物はどうなんだろう?)
店の作物に試すのは気が引けるが、自分が育てたものなら許されるかも。
もし今後の育成に活かすことができるなら万々歳だ。ちょっとズルにも思えるが、流通させるわけでもないし……それにどんな状態になっても俺が食べきる。
俺はじっと集中し、ウサギの時のように自分の神気を伸ばすとオクラに触れて包み込み――
「ミールさん! あの! これ! 味噌汁に入りますか!?」
――そう叫びながら厨房に駆け込むことになった。
両手で持って……いや、抱えているのは俺の背丈の半分ほどにまで急成長したオクラだ。顕微鏡でも使ったかのように産毛がめちゃくちゃよく見える。
いやいやいやまさかここまで急成長するなんて思わないだろ!?
俺の神気は栄養も豊富なのか!?
もしそうなら、むしろ俺自身が食ってみたいんだが!?
超巨大なオクラに目が点になっていたミールは我に返ると、再びまじまじとオクラを見た。
ホールに居たコムギもアホ毛をぴんっと立てている。……あれって神経が通ってるんだろうか。慌てていたはずの俺はそこだけ気が逸れた。
ミールはぐっと拳を握って言う。
無駄に力強いのは、多分まだ混乱しているせいだ。
「わ、輪切りにしても入る、店一番の大きな鍋を使いましょう!」
……結果、大きな鍋に巨大なオクラの輪切りがひとつ浮いたものが俺の夕飯になり、それが一週間以上続いたわけだが――きちんと美味しかったのだから、ミールには頭が下がるばかりだ。
でも次。
次に育てる時は神気は使わないでおこう。自然が一番。うん。
そう心に強く決め、俺は片方の手の平にのるほど大きな淡いクリーム色をした種に齧りついた。
ちなみにオクラにも花言葉があって『恋によって身が細る』というものらしいが――まあ、恋はともかく、後半は今の俺とは無縁だろうということだけははっきりとわかったのだった。
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