第15話 おかしな世界

(※15話の前半はいつも通り一人称小説、後半はシロのいない場所の描写となるため三人称小説となります)


     ***


 店に帰るなりミートパイの時のようにミールから厨房を借りたコムギはエプロンを身につけると握り拳を作った。

 そのままやる気いっぱいの様子でアホ毛を揺らす。


「コムギ・デリシア、全身全霊をかけて味噌汁を作ってきます!」

「ゆっくりとコムギのペースでいいからな……!」


 まさかここまで張り切ってくれるとは思わなかった。俺は宥めるように言いつつコムギに勧められたイスへと座る。

 ……でも自分のために真剣に取り組んでくれるのは正直言って嬉しい。

 コムギが厨房へと消え、トントンと包丁で材料を刻む音を耳にしながら俺はそんなことを考えていた。

(そういや味噌汁って簡単に見えて結構手間のかかる料理なんだよな、出汁を取るところから始めたら尚のこと)

 あれだけ張り切っていたんだ、もしかするとコムギも出汁から取っているかもしれない。そもそもこの世界に市販の粉末出汁がないとしたら一択だ。

 少し待つことになるかもしれないが、フードファイトの後なので満腹とまではいかないが少なくとも空腹じゃない。しっかりとここで待っていよう。


 そうして座っていると、しばらくしてコムギが赤茶のお椀と箸、そしてつやつやの白米がよそわれた茶碗をお盆にのせて戻ってきた。

「おお、本格的だ……! 白米は? 炊いてくれたのか?」

「あっ、白米だけはお父さんが事前に炊いてくれたものなんです、大きな釜で一気に作るので個別に炊けなくて……すみません……」

「なるほど――じゃあ今度機会があったら小さな飯ごうでも買って、ふたりで炊いてみないか?」

 俺も炊飯器ばかり使っていたから釜や飯ごうでの米の炊き方を知らない。

 ふたりで勉強も兼ねて実践してみたら楽しいかも、と思って誘ってみるとコムギは「ふたりで……」と呟いて頬を染めてこくこく頷いた。

「ぜひ……!」

「よし! じゃあ資金を貯めないとな。その前に――」

 俺は赤茶のお椀を見る。

 きらきらと輝くほど艶のある白い米とは正反対の、闇をそのまま絞ったかのような暗黒がたゆたう液体だった。


 豆腐はすべて砕け、闇の中で唯一白い粒になって浮いている。

 細長く刻まれた玉ねぎが入っていたがなぜか一部が赤黒く変色していた。恐らく汁を吸ったからだろう。

 つまりこの味噌汁は濃くなり限りなく漆黒と化しているが、よく見ると赤いわけだ。


(真なる意味での赤出汁って感じだ……)

 相変わらず不思議な失敗の仕方だが、匂いは少し塩水のような部分はあるものの味噌汁だ。

 これはコムギが俺のために作ってくれた味噌汁。

 そう思うとなんだか嬉しくて堪らなくなる。

「じゃあ、今回も――」

  俺はゆっくりと手を合わせて言った。


「感謝を込めて、いただきます!」

「はいっ!」


     ***


 ――テーブリア村、食事処デリシア前。


 黒いローブを被ったビズタリートは付き人ひとりを連れて店の前にいた。

 粗末な変装ではあるが、普段の格好のインパクトが大きすぎる者は得てしてそれを隠すと個人認識がされにくくなる。

 更にはビズタリートのフードファイトには村人も観客として強制参加させられていた。今はそれによる仕事の遅れを取り戻そうと皆が皆必死に働いており、多少の不審者を気にしている余裕はないようだ。

 そんな理由があるとは露知らず、ビズタリートは自分の変装の完璧さを自ら讃えながら出入り口の扉に歩み寄る。


(ククク……情報によればシロとやらはフードファイト直後だというのにあの娘に味噌汁を作らせるらしい。しかも!)


 コムギ・デリシアは極度の料理音痴。

 先日自ら言い出す前からそんなことは知っていた。

 いくらシロでもフードファイト後に失敗作を食すのは辛いだろう。笑みを浮かべて食べようが、きっとどこかに粗が出る。

(我が料理人が作ったものが美味で次から次へと胃に入るのは至極当然! だが失敗作ならどうだ?)

 自分ですら今は立っているのがやっとだ。王家秘伝の消化を促すマッサージを行なってもこれが精一杯だった。

(マッサージの達人である姉上がいればこんなもの一瞬で……いや、とにかく今は)

 シロが美味しそうにではなく、苦しそうに料理を食べる姿をこの目で拝んでやろう。

 ビズタリートはそれで溜飲を下げて帰るつもりだった。付き人から見ればあまりにも小物な思考だが、ビズタリート本人は至って真面目に自身の機嫌を取るために行なっている。


 扉には小窓が付いており、中の様子を見ることができた。

 そこでビズタリートは目を疑う。

 イスに座るシロ、その脇に立つコムギ、そして――この世のものとは思えない味噌汁。


(み、み、味噌汁? あれが? 暗黒物質を砕いて混ぜたものではないのか?)


 ビズタリートはもう一度目を凝らしてよく見てみたが、健康優良な眼球の視力で何度確認してもそれは得体の知れないものだった。

 もはや食べ物かどうかも怪しい。

 シロは推定味噌汁の湯気が我が身に襲い掛かっているように見えると気付いているのだろうか?

(まさかシロは人間ではなく、あの不気味なものを主食に動く魔物……? いや、まさか。しかしあれを……あ、あ、あのように美味そうな顔で食べるとは)

 恐ろしいことにシロは心の底からそれを『美味しい』と思って食べているようにしか見えなかった。

 ビズタリートの望んでいた感情は欠片も感じられない。


 この世のものとは思えない料理を作る娘。

 それを主食とする魔物。


(これはとんでもないことだ!)


 そう恐れ慄いたビズタリートは同じ表情を浮かべている付き人を見ると「王都へ戻るぞ!」と言い放ち、数分後には馬を走らせ村を離れていた。



 ――王都レイザァゴ。

 魔法をかけた馬、魔馬まばで駆けること半日と少しの土地に位置する王都は昼夜問わず賑わっていた。

 住み慣れた城内へと戻り、ようやく一息ついたビズタリートは父たるレイザァゴの王へ会いに廊下を急ぐ。しかしそんな急ぎ足を止める者がいた。

「ビズタリート。戻っていたのか」

「兄上!」

 レイザァゴの第二王子、ロークァット・フルーディア。

 道化じみた格好を好むビズタリートとは正反対、つまり王道の美麗な王子といった姿をした長身の青年だった。

 ロークァットはビズタリートの未だ膨れた腹を見下ろして片眉を上げる。

「随分な格好だな」

「辺境の村にてフードファイトを少々」

 勝敗については触れず、そう答えるとロークァットは一瞬黙ってから眉を下ろした。

 ビズタリートはいつも兄のこの反応が謎だった。考えすぎかもしれないが、どうにもフードファイトを快く思っていないように見えてしまう。

 一部の民間人には時折そういった邪教めいた考え方の者が湧くらしいが、王族にあるまじき考えだ。

(故に気のせいであろう)

 ビズタリートはそう自分で自分に納得する。


「父上に報告があるので、ボクはこれで」

「待て。父上は体調を崩されて寝室でお休みだ。報告ならば私が代わりに聞こう」

 父、ナイファット・フルーディアは年齢もあり近頃体調を崩しがちだった。今日も朝から芳しくないらしい。

 そのため第一王子、第二王子がサポートに回っていた。今では影なるふたりの王などと密かに呼ばれているほどだ。

 第一王子は現在王都から出掛けているため、ナイファットが臥せっているならロークァットに報告するのはおかしくはない。しかしフードファイトにあのような反応を示す兄に、食にまつわる報告をするのは少々恐ろしい気もした。

 それに報告という名の愚痴を言いたかったというのもある。ナイファットは息子娘に甘い。

「ビズタリート」

「は、はい!」

 ――しかし、結局気圧されてテーブリア村で見た『おぞましい料理』を作る者と、それを美味しそうに食する魔物じみた男の話をすることになったのだった。


 都合の悪いところは伏せ、話をし終わったビズタリートは「……というわけです」と締めくくる。

「いくら料理音痴とはいえ、あのように邪悪な失敗の仕方はおかしい。我々に悪い影響を及ぼす邪神が憑いているやもしれませぬ。故に早急に父上に知らせ、何か対策をと――」

「よい」

 短い返事から意図を汲み取れず、ビズタリートは目を瞬かせて兄を見上げた。

(……!)

 ロークァットは笑っていた。

 兄の笑顔を見たのは何年振りか。しかし記憶に残るどの笑みよりも邪で、そして嬉しげに見えた。

 顔に出ていると気がついたロークァットはそれを手の平で覆い、そして掻き消すと改めて口を開く。

「この件は私が預かった。お前の『尻ぬぐい』もしてやろう、ビズタリート」

「あ、兄上……」

 伏せていたというのに自分の犯した失態がばれていた。

 それだけで真っ赤になったビズタリートは縮こまった様子で頭を下げ、反論もできないまま「ではお願いします」と引き下がり来た道を戻っていく。



 ひとり残されたロークァットは城の庭を見た。

 しかし目に映るのは美しく整えられた庭ではない。見えるはずがないというのに、その顔が向いている方向はテーブリア村のある方角だった。


「コムギ・デリシアとシロ……私の思う存在であることを祈るぞ」


 もし探し求めていた人材ならば、ようやく壊すことができる。

 この、食を重要視し、暴力を限りなく排し、フードファイトなどという下らない手法で雌雄を決するおかしな世界を。

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