第15話 おかしな世界

 店に帰るなりミートパイの時のように厨房を借りたコムギはエプロンを身につけるとグッと握りこぶしを作ってみせた。

 そのままやる気いっぱいの様子でアホ毛を揺らす。


「コムギ・デリシア、全身全霊をかけて味噌汁を作ってきます!」

「ゆっくりとコムギのやりやすいペースでいいからな……!」


 まさかここまで張り切ってくれるとは思わなかった。俺は宥めるように言いつつコムギに勧められたイスへと座る。

 ……でも自分のために真剣に取り組んでくれるのは正直言って嬉しい。

 コムギが厨房へと消え、トントンと包丁で材料を刻む音を耳にしながら俺はそんなことを考えていた。


(そういや味噌汁って簡単に見えて結構手間のかかる料理なんだよな、出汁を取るところから始めるならなおのこと)


 あれだけ張り切っていたんだ、もしかするとコムギも出汁から取っているかもしれない。そもそもこの世界に市販の粉末出汁がないとしたら一択だ。

 少し待つことになるかもしれないが、フードファイトの後なので満腹とまではいかないが少なくとも空腹じゃない。しっかりとここで待っていよう。


 そうして座っていると、しばらくしてコムギが赤茶のお椀と箸、そしてつやつやの白米がよそわれた茶碗をお盆にのせて戻ってきた。

 見事な炊き上がりだ。

 コムギは料理下手みたいだが、米を炊くのは失敗しないタイプなんだろうか?


「おお、本格的だな! 白米は? もしかして炊いてくれたとか?」

「あっ、白米だけはパパが事前に炊いてくれていたものなんです。大きな釜で一気に作るので個別に炊けなくて……すみません……」

「謝らなくていいぞ!? でもそういうことなら、……あっ! 今度機会があったら小さな飯ごうでも買って、ふたりで炊いてみないか?」


 俺も前世では炊飯器ばかり使っていたから釜や飯ごうでの米の炊き方を知らない。

 ふたりで勉強も兼ねて実践してみたら楽しいかも、とそう思って誘ってみるとコムギは「ふたりで……」と呟いて頬を染め、こくこくと頷いた。勢いが良い。


「ぜひ……!」

「よし! じゃあ資金を貯めないとな。その前に――」


 俺は赤茶色のお椀を見る。

 きらきらと輝くほど艶のある白い米とは正反対の、闇をそのまま絞ったかのような暗黒がたゆたう代物だった。


 豆腐はすべて砕け、闇の中で白い粒になって浮いている。

 細長く刻まれた玉ねぎも入っていたが、なぜか一部が赤黒く変色していた。恐らく汁を吸ったからだろう。

 つまりこの味噌汁は濃度が増したことで漆黒の液体と化しているが、よく見ると赤いわけだ。


(真なる意味での赤出汁って感じだな……)


 相変わらず不思議な失敗の仕方だが、匂いは少し塩水のような部分はあるものの味噌汁だ。

 これはコムギが俺のために作ってくれた味噌汁。

 そう思うとなんだか嬉しくて堪らなくなる。


「じゃあ、今回も――」


  俺はゆっくりと手を合わせて言った。


「感謝を込めて、いただきます!」

「はいっ!」


     ***


 ――テーブリア村、食事処デリシア前。


 食事処デリシアの用心棒シロに敗北したボクは黒いローブを目深に被り、付き人をひとり連れて店の前にいた。

 粗末な変装ではあるが……普段の格好のインパクトが大きければ、それを隠すと個人の識別がされにくくなる。ボクの素晴らしいファッションを見せつけられないのは残念だが致し方あるまい。


 更にはボクが主催したフードファイトには村人も強制参加させていた。

 本当は勝利するボクを見せつけ、コムギ・デリシアを娶ることを承認させるためのものだったが――それは叶わなかったものの、代わりに人払いに一役買っていた。

 つまり遅れた仕事を取り戻すためにせっせと働いており、この程度の不審者など気にしている暇がないのだ。

 半日すら休めぬとは貧乏な村だな。

 もしや税の取り立てでも厳しいのか?


 だがそれよりもまずはこの好機を逃さないようにしなくては。

 ボクはそろりそろりと出入り口の扉に歩み寄る。


(ククク……情報によればシロとやらはフードファイト直後だというのにあの娘に味噌汁を作らせるらしい。しかも!)


 コムギ・デリシアは極度の料理音痴。

 先日、自ら言い出す前からそんなことは知っていた。


 いくらシロでもフードファイト後に失敗作を食すのは辛いだろう。

 笑みを浮かべて食べようが、きっとどこかに粗が出る。


(我が料理人が作ったものは美味! ならば次から次へと胃に入るのは至極当然! だが冒涜的な失敗作ならどうだ?)


 ボクですら今は立っているのがやっとだ。

 王家秘伝の消化を促すマッサージを行なってもこれが精一杯だった。


(マッサージの達人がいればこんなもの一瞬で……いや、とにかく今は)


 シロが美味しそうにではなく、苦しそうに食べている姿をこの目で拝んでやろう。

 あいつはあの娘を大切にしているようだった。そんな娘から差し出された失敗作なら何としてでも食べようとするだろう。


 その姿を見ることができれば、留飲を下げて帰れる。

 付き人はなんともいえない目でボクを見ていたが、第三者がどう思おうが知ったことか。平民に負けたことでボクの心は傷だらけなんだ、少しはスカッとしてからでなくては帰れん。

 これは、そう、自分の機嫌を自分で取れるオトナな行動なのである!


「……」

「……」


 付き人の視線が生暖かい。

 何か言われる前にボクは店の中を覗いた。出入り口の扉には小窓が付いており、中の様子を見ることができる


 そこでボクは目を疑う。

 イスに座るシロ、その脇に立つコムギ、そして――この世のものとは思えない味噌汁。


(み、み、味噌汁? あれが? 暗黒物質を砕いて混ぜたものではないのか?)


 ボクはもう一度目を凝らしてよく見てみたが、健康優良な眼球の視力で何度確認してもそれは得体の知れないものだった。

 もはや食べ物かどうかも怪しい。

 ここまで料理下手な奴がこの世にいるか?


 シロは第三者目線で見ると『推定・味噌汁』の湯気が我が身に襲い掛かっているように見えると気づいているのだろうか……?


(まさかシロは人間ではなく、あの不気味なものを主食に動く魔物? いや、まさか。しかしあれを……あ、あ、あのように美味そうな顔で食べるとは!)


 恐ろしいことにシロは心の底からそれを『美味しい』と思って食べているようにしか見えなかった。

 ボクの望んでいた感情は欠片も感じられない。それが恐ろしかった。


 この世のものとは思えない料理を作る娘。

 それを主食とする魔物。


(これはとんでもないことだ!)


 あんぐりと開いていた口を強制的に閉じる。

 ボクは同じ表情を浮かべている付き人を見ると「王都へ戻るぞ!」と言い放ち、数分後には馬を走らせ村を離れていた。



 ――フルーディア王国、王都レイザァゴ。


 特殊な魔法をかけることで生み出された駿馬、魔馬まばで駆けること半日と少しの土地に位置する王都は昼夜問わず賑わっていた。

 住み慣れた城内へと戻り、ようやく一息ついたボクは父たるフルーディア王へ会いに廊下を急ぐ。しかしそんな急ぎ足を止める者がいた。


「ビズタリート。戻っていたのか」

「兄上!」


 フルーディアの第二王子、ロークァット・フルーディア。

 兄上は下々の者が好む絵物語などに登場する、王道の美麗な王子といった姿をした長身の青年だ。

 兄上はボクの未だに膨れたままの腹を見下ろして片眉を上げる。


「随分な格好だな」

「辺境の村にてフードファイトを少々」


 勝敗については触れず、そう答えると兄上は一瞬黙ってから眉を下ろした。

 ボクは兄上のこの反応がいつも不思議だった。考えすぎかもしれないが、どうにもフードファイトを快く思っていないように見えてしまう。

 一部の民間人には時折そういった邪教めいた考え方の者が湧くらしいが、王族にあるまじき考えだ。


(故に気のせいであろう)


 ボクはそう自分に自分で納得する。


「父上に報告があるので、ボクはこれで」

「待て。父上は体調を崩されて寝室でお休みだ。報告ならば私が代わりに聞こう」


 父、ナイファット・フルーディアは高齢であることも手伝い、近頃は体調を崩しがちだった。今日も朝から芳しくないらしい。

 昔は魔馬で各地を渡り歩きフードファイトに明け暮れるほどの猛者だったというのにお労しいことだ。


 そのため我が国は第一王子、第二王子が回している。

 今では影なるふたりの王などと密かに呼ばれているほどだ。


 第一王子のジェラット兄上は現在王都から出掛けているため、父上が臥せっているなら第二王子である兄上に報告するのはおかしくはない。

 しかしボクとしてはフードファイトにあのような反応を示す兄上に、食にまつわる報告をするのは少々恐ろしい気もした。

 それに報告という名の愚痴を言いたかったというのもある。父上は我が子に甘いのだ。きっとボクを慰めてくれるはず。


「ビズタリート」

「は、はい!」


 ――しかし結局、ボクは兄上の視線に気圧されてテーブリア村で見た『おぞましい料理』を作る者と、それを美味しそうに食する魔物じみた男の話をすることになったのだった。


 ひとまず都合の悪いところは伏せ、話をし終わったところで「……というわけです」と締めくくる。


「いくら料理音痴とはいえ、あのように邪悪な失敗の仕方はおかしい。我々に悪い影響を及ぼす邪神が憑いているやもしれませぬ。故に早急に父上に知らせ、何か対策をと――」

「よい」


 短い返事から意図を汲み取れず、ボクは目を瞬かせて兄上を見上げた。


(……!)


 兄上は笑っていた。

 兄上の笑顔を見たのは何年振りだろうか。しかし記憶に残るどの笑みよりも邪で、そして嬉しげに見えた。

 顔に出ていると気がついた兄上はそれを手の平で覆い、そして掻き消すと改めて口を開く。


「この件は私が預かった。お前の『尻ぬぐい』もしてやろう、ビズタリート」

「あ、兄上……」


 伏せていたというのに自分の犯した失態がばれていた。

 それだけで耳まで真っ赤になったのがわかる。ボクは縮こまって頭を下げ、反論もできないまま「ではお願いします」と引き下がり来た道を戻ることになった。


     ***


 ――弟のビズタリートは善人ではないが悪人でもなく、頭が悪いわけではないが良いわけでもない。王族とは思えぬほど普通の人間だ。


 だがその人脈や見聞の広さには自分にないものがある。


 ひとり残された私は城の庭を見た。

 しかし目に映るのは美しく整えられた庭ではない。見えはしないが、私が向いている方向はたしかにテーブリア村のある方角だった。


「コムギ・デリシアとシロ……私の思う存在であることを祈るぞ」


 もし探し求めていた人材ならば、ようやく壊すことができる。

 この誰もが食を重要視し、尊び、フードファイトなどという下らない手法で雌雄を決する『おかしな世界』を。

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