弐拾弐

 尊さんの背の向こう側には、あの忌まわしい扉があった。

 電灯の元、改めて見れば、その惨状は思っていたよりも大規模なものだった。

 到着した時は慌ていたから気付かなかったが、あの赤い手形は、美衣子の家の一室しかないその部屋のみを取り囲むように、窓や建物の外壁にいたる迄、点々と付着しているようだった。

 部屋の中からは、扉と窓、隣接する洗面所とキッチンの壁くらいしか確認出来ないが、それが綺麗に一周ともなると想像するだけで不気味過ぎる。


「それで、俺はどうすりゃいい?」


 嫌な想像を振り払う。

 尊さんは、どこか沈痛にすら見える面持ちで扉に付けられた手形を見ていたが、俺に声をかけられると、はっと我に返ったように顔を上げ、表情を正した。


「この手形……一見血に見えますが、別に本物の血液というわけではないんです。思念が凝り固まって痕になっているだけで、なので……こうすれば消えます」


 尊さんは、まるで通販番組のアナウンサーのように、軽々と目の前にあった手形を一部消してみせる。その手には、小さな掌に収まる大きさの小瓶が握られていた。

 以前にも見たことがある。確か、聖水を入れているという小瓶だ。

 尊さんがやってみせたのは、本当におもむろにただその小瓶の中身を一滴振り掛けただけだった。

 けれど、確かにそれだけで、あの生々しくベッタリと付いていた手形は、綺麗に消えていた。


「すごいね……それ」


 本当に深夜の通販で売れば、大ヒット間違いなしだろう。


「ええ。でもこれが思念の痕だからなんです。実際大量の出血をされて亡くなられた方による霊障の場合なんかは、本当に血痕が残る場合もあって……その場合はやっぱり雑巾でゴシゴシするしかないんですけど」


 尊さんは、ははっと笑う。

 冗談めかせてサラッと言っているが、それは本当にそんな現場を目撃したことがあるという事なのだろう。

 ちっとも笑えない。


「拓真さんはまず窓をお願いします。かけるだけで大丈夫です。ただ、消し忘れは無いようにお願いします。有村さんは敏感になっているでしょうし……」


 尊さんは、鞄から同じような小瓶を数本取り出し、そのうち三本を俺へと差し出した。


「邪気を払いましたので、そろそろ辺りに人が戻ってきます。なるべく早くお願いします」


 その号令を合図にそれぞれ作業に取り掛かる。

 尊さんはそのまま室内の扉や壁を、俺はベランダへと出て窓を。

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